フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

一日目のスタートは鷲巣村・エズから。

2021-07-14 08:08:01 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

ニースに無事到着した翌朝は、まずアパルトマンのバルコニーからの景色。

海も見えて、「コートダジュールへ来た!」という感じがする。

朝見る部屋の中も爽やかで,九月下旬とは思えないくらいまだまだ明るく夏気分。

バルコニー↓

そして朝食の準備↓

このアパルトマンには、所有者専用のプールもあるので、もちろん借りた人も使えることになっている。しかし、夏のようではあっても水温は低く、プールを使っている人はほとんどいなかった。

 

朝食後、朝の散歩をしていたら、犬の散歩中のシニア男性に出会った。

「日本から来た」と友人が説明すると、「日本は素晴らしい」とほめてくれた。

親日家が増えているので、このように日本人だとわかると、とてもフレンドリーだ。

この滞在中に会うたび、にっこり微笑み挨拶を交わすようになった。

 

今日は、まず鷲巣村で一番有名な?エズ村へ行く。ここはニースへ滞在中に行く人も多い。

すぐ近くで、バスの便もいいらしい。

 

途中、ニースの海岸沿いを走ったが、実はこの旅の数カ月前にニースでテロが起きたばかりだった。この美しい海岸を見ながら、胸が痛くなった。

 

そして、エズ村に到着。車で30分くらいだったろうか。

 

こういう村の道を歩いているだけで、私は幸せな気分になる。

中世の村がとても好きで今までにもたくさん訪れたが、ここは南仏、オレンジや黄色の建物や道が多く、明るい。

 

こんな小さな村に雑誌にもよく載っている有名な星付きホテル?レストランもある。

ちらっとメニューを見てみるが、私たちには縁がなさそうだ。

さて、そのあとはモナコへと向かう。

車だとアンティーブからモナコ、そしてマントンも近いが、この辺りは列車でも簡単に行けるところだ。

 

まずは、そろそろお昼ごはん。

この夫妻、魚が苦手で来日したときも それを知らず日本食のお店を選んであちこち行ったが、アニエスなどは、「またか」とため息をついていた。

そんな彼らといっしょなので、魚の美味しいお店に行くのは期待できない。

でもお昼なので、オムレツやサラダがどこにでもあるので問題ない。

お昼一回目なので、こちらが持とうと言ったが、「こういう時は割り勘だよ」と言ってくれたので、彼らの言葉に従うことにした。




アンティーブのセカンドハウスは、いわば「みそぎのプレゼント」

2021-07-13 10:01:02 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

ニースへの便は、パリ乗継便。久しぶりにパリで乗り継ぐ。

関西空港で預けた荷物は、そのままニースで受け取ればいいので、パリで少しの時間をどう過ごそうかと思っていたが、目新しい免税店などを見ていたら、あっという間に搭乗時間。

さあ、いよいよ、コートダジュール。

ニースの空港で、アンリ夫妻が待っていてくれた。

彼らのアンティーブのアパルトマンからは車で三十分ほどらしい。

着いたらそのまま眠りたい・・・、のが本音だけれど、ニースの夜景を見ながら少し走って、アパートに着いたら、簡単な夕食が待っていた。

日本風の漆器の様な器にデザート↓

彼らと会うのは、2014年以来で、サルラでアパートを一週間借りたとき、会いに来てくれたのだった。彼らの住むアヴィニョンからすごい長旅ににもかかわらず車でやってきた。

その近くに住む彼らの友人がいるので、アンリ夫妻はその友人宅に泊まって、私をその友人宅へも連れて行ってくれたり、一緒に観光もしたりの楽しい日々だったが、それはまた2014年の旅行を書くときに、詳しく記そう。

この夫妻、大学の同級生で仲良しの二人だったのだが、2010年あたりから危機的状況に陥った。彼らを知っているヴァンサンクリスチーヌなどは、本当に心配していた。現に2010年アヴィニョンを訪ねたときは、アニエスには会えなかったのだ。

その後、アンリは時間をかけてアニエスの心を取り戻そうと頑張った。その一つがこのアパルトマンで、アンリの両親がなくなった時に相続したお金で、「地中海の島を全部めぐるのが夢」と言っていたアニエスのために、アンティーブにセカンドハウスを買った。いわばアンリからの「みそぎのプレゼント」というところだ。

 

普段はアヴィニョン(詳しく言うと郊外のシャトールナール)に住んでいるので、バカンスのための家だ。

彼らが使わないときは、人に貸したりもしてる。

「日本人に貸したい」と言っていたけれど、そのサイトを知っている日本人は多くないかもしれない。日本人は丁寧に、綺麗に使うというのがフランスでの定評になっている。

しかし実際私がここを一人で借りるとなると、車がないと生活が難しいこともあり、彼らにアンティーブのセカンドハウスを貸してあげるけれどどう?尋ねられた時「あなたたちも一緒に」と、お願いしたのだった。

 

寝室は私に貸してくれ、彼らはソファーベッドを使っていた。

 

夜中にトイレなどに起きるときは、そこを通っていくことになるので、ちょっと気を遣うところだが、それを気にしていてはこういう滞在は出来ないので、気にしないことにした。勿論彼らも「全然問題ない」と言っていた。

 

さあ、今日から6泊の滞在。観光コースはお任せ。

 

コートダジュールは、2005年にひょんなことから予定外にカンヌだけ立ち寄ったことがある。

コートダジュールはお金持ちのリゾート地なのだが、いかにも高級リゾート地というのは気後れして苦手なので、出来れば今回は、点在する中世の小さな村を訪ねてみたい。

 


2016年秋 コートダジュールとパリ 旅行計画のあらまし

2021-07-13 00:22:38 | 2016年秋の旅行(パリ・コートダジュール)

今回旅程を立てるとき考えたのは、到着をパリにするかニースにするかだったが、

アンリ夫妻が20時過ぎの到着でも迎えに行くよの返事があったので、パリ経由で(2005年のイタリア訪問以来)ニースへ行くことにした。

 

この場合の問題はスーツケースの移動だ。つまりニースからパリに移動するとき、空路にするか、陸路か。

アンリはアンティーブの駅まで送る方が近いということで、列車にしたらいいと言ってくれたが、迷っているうちに料金が上がっていき、パリまで5時間近くかかるので、空路で移動することにした。

 

シャルルドゴール空港でもミッシェルさんは迎えに行くと言ってくれたが、オルリーは郊外に住むフランソワ夫妻宅から30分もかからないからとの申し出もあり、チケットもそちらの方が安いのがあったので、これは本当に1980年の初ヨーロッパ、初フランス以来のオルリー空港になる。

 

それ以外誰に連絡するか考えたが、パリでの滞在は長くないので、エスカレーターにもブルゴーニュには行けない旨を伝えたところ「もちろんパリまで行くよ」との返事があった。

 

アンリモルガンさんつながりで知合った東京在住でフランス好きの日本人の友人と滞在日が重なることになったので、初めてフランスで会うことに。

 

あとはミッシェルさんつながりのマルチーヌ、そしてソフィーだった。

 

短い滞在でコンパクトにしたつもりだが、それでも毎日予定がびっしり。



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詳しい旅程は以下の通り。

 

①6泊 南仏コートダジュールのアンティーブのアンリ夫妻の別荘

②1泊 パリ郊外 フランソワ夫妻

③6泊 パリ   ミッシェル夫妻

 

コートダジュール編

①パリ経由→ニース着    アンリ夫妻が迎えに来てくれる

観光は5日間で、私の希望は鷲巣村の訪問で、エズとサンポールは必須であとは夫妻にお任せ。

②エズ ー モナコ ― マントン

③グルドン ― グラース

④アンティーブ

⑤ニース

⑥ヴァロリスーサンポール・ド・ヴァンス

 

パリ郊外

⑦移動

ニース ー パリ・オルリー空港  フランソワ夫妻が迎えに来てくれそのまま郊外の彼らの家で一泊

 

パリ編

⑧ミッシェルさん宅へ移動

➈パリ郊外で私の希望の小さな村へ

⑩日本人の友人と蚤の市へ

エスカレーターがパリにやってくる

⑫ミッシェル夫妻とパリ散策

⑬ミッシェル夫妻とマルチーヌ宅へ

 

帰国へ:ミッシェルさんに送られ空港へ



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南仏では6日間アンリ夫妻と一緒に行動。彼らは親戚関係と呼べる一番古いフランス人の友人だ。

 

パリ郊外のフランソワ夫妻もこの翌年バスクへ旅行するくらい親しい友人

 

ミッシェルさん夫妻も親戚関係と言える友人で、パリで会うことになるエスカレーター然りである。

 

夕食招待のマルチーヌもミッシェルさんを紹介してくれた友人だし、全く気を使う必要がない人ばかりに会う旅だ。

 

マルチーヌの友人の娘さん(ソフィー)もとてもいい子で夕食の招待があり、パリに行くときマルチーヌやミッシェルさんに連絡するときは必ず彼女にも連絡している関係である。





出発の朝、パン屋で子供の「メルシー、マダム」

2021-07-08 15:09:46 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

出発の朝、タクシーは、余裕を見て9時半に予約してくれたらしいので、それまでにパン屋さんに行こうと思った。

この近くには美味しいパン屋さんが何軒かある。

一番近いビオのパン屋さんは、あいにく定休日だ。

 

そこで私はこっそり朝早く私の部屋がある3階の部屋から出て、駅に近いパン屋へ行った。

そこは黒人のムッシュがいつもいる店で、何を買おうか考えていたら、小学生のやはり黒人の子供がやってきた。

学校に行く前に寄ったように思えたので、「どうぞ」と譲った。

その子は「メルシー、マダム」ときちんとお礼を言って、学校へ急いだ。

お店のムッシュもまた「ありがとう、マダム。あの子は学校へ急いでいたので、助かったと思うよ」と、私に対して言ってくれた。

こういうごく当たり前の挨拶のような言葉の大切さを改めて感じ、私はとても爽やかな気持ちになった。

そして、そのムッシュおすすめの「バゲット・トラディション」やマカロンなどを買った。

残念ながらシューケットはなかったが、それはアニーが朝ごはんに用意してくれていて、残りも全部持たせてくれた。


 

余裕をもって、空港にも到着。WIFIは使えるが、使う人が多いからか、電波は気まぐれだった。

今回は、バスクからパリに戻る時刻を勘違いし、予約していた電車に乗れなかった大きな失敗はあったが、バスクと北マレと呼ばれるこの地区に初めて滞在し、どこに行くにも意外に便利で、徒歩圏で中心地は行けることがわかったり、いろいろな発見があった。

 

さて、次は2016年のコートダジュールでアンリ夫妻との日々を中心とした滞在を記していきたい。

 


ブルーノ夫妻の最後の手料理と古いビストロ。

2021-07-06 08:58:40 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

帰宅したら、ブルーノ夫妻が夕食の準備をしてくれていた。

 

サーモンがメインだった。

 

サラダに乗せるパセリを切るためにブルーノが持ってきたはさみがとても面白いものだった。こういうのを探してみたいと思うが、なかなか見つけられない。

 

そして、お米でご飯も炊いてくれていた。

やはり日本人だからと思うのだろう。

日本のお米とは違うのだが、彼らに取ったらその差は判らないのも無理ない。

 

ヘルシー志向の彼らはサラダやデザートも健康的なものばかりだった。

 

そんな彼らの気持ちに感謝しながら、翌朝の空港へのタクシーの予約を頼んだ。

実は、ブルーノ夫妻のすぐそばに昔ながらの小さなビストロがあり、ブルーノが教えてくれたのだが、シラク氏が大統領だった時、そのときのアメリカのクリントン大統領を招待するために、大きなレストランではなく、敢えてパリらしさを味わってもらうためにこの小さなビストロに来たのだという。

メニューをちらっと見ると、値段は決して「小さく」なかった。

大きなレストランも顔負けの値段だが、伝統的なフランス料理を味わえるという。

かなりボリュームもあるそうなので、もう少し若ければ、一度くらい行ってみたいようなお店であるが、今はもうとても無理だ。(もちろんお財布にも厳しい)

 


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