フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ミッシェルさんの食欲に脱帽 

2024-07-20 19:26:34 | 2024年の旅

Jクロードからヴァンチミリアに着いて私たちを待っていると連絡が取れて、一安心。

私たちがモナコ駅で、座れるようになった時、ミッシェルさんは依然として立っていたのだが、前席の大学生の女の子が「どうぞ」と席を代わってくれたのだった。

しばらく私は彼女と話をしたのだが、その中で彼女はトゥールーズから来た大学生で、マントンでバカンスを過ごすという。

また彼女の出身はスイスに近いコンテ地方で、小さな村だと言っていた。

 

彼女は日本が大好きで、中でも日本文化にとても興味を持っているという話や、日本についていくつかの質問をしてきたりして、話が弾んだ。日本人の友人(東京の若い男の子と言っていた)がいるとのことだった。

感じのいい彼女は、いつか日本へ行きたいというので、連絡先を交換しておいた。

 

そして彼女たちは、マントンで休暇を過ごすため、先に降りて行ったのだった。

 

私たちの列車もマントンを過ぎ、ほどなくヴァンチミリアへ到着。この時、12時前になっていた。(ニース駅に着いたのは10時15分くらいだったのだが)

まずはランチかと思いきや、衣類の市が通常午前中だけということで、ザーッと見ながら歩くことにした。

本当に売られているものは衣類がほとんどだった。

下着や靴などもあった。

よく見ると、イタリア製のものも売られている。

安いストールをJクロードとわたしは数枚買い、夫は白い革のベルトを買った。

 

そして、レストランに着いた頃には14時を回っていた。

それでも大変な混みようだった。彼らはいつもここで食べるという。後で聞くとピザが有名な店だったらしい。

が、四人誰もピザを注文せずだった。またおすすめのものはもう売り切れと言うことで、Jクロードはがっかりしながら魚介のグリルを注文、夫はいつも奥さんの選択に「外れ」がないこと知っていて、同じものを注文していた。

 

私はパスタ、ミッシェルさんのは注文した物とは間違えられて、やってきたのはバーベキューのような、お肉を焼いたボリューム満点のものだった。それでも文句を言うこともなく、ミッシェルさんはほとんど平らげていた。91歳にしてさすが大した食欲である。

デザートとコーヒーもそれぞれ注文をして、この店を後にした。

何ということのないレストランではあったが、ミッシェル夫妻と一緒にイタリアで食べるという機会になったので、よしとする。



そして、まだ市は続いているところもあり、ミッシェルさんは革靴(イタリア製)をリーズナブルな値段で購入。

Jクロードはカジュアルなパンツ、私も似たようなもの(イタリア製で10€)を記念に購入。

 

川向こうに見えるのがヴァンチミリアの旧市街なのだろう。もっと時間があれば海へも行けたかもしれない。そんなことを思いながら、市場を後にして、駅の近くで少し休憩して帰ることにした。



駅付近は治安が悪いという情報もあったが、この日はそのようなことを感じることはなかった。

明るい時間なら私達だけでも、大丈夫そうに思えた。

行きはいろいろあったが、彼らと一緒に来れてよかった。

帰りの列車は何も問題なく帰宅でき、Jクロードがまた簡単な夕食を用意してくれたのをいただいた。

明日は、ニースの街歩きをすることになった。







ニースに置き去りにされ、Jクロードだけがのれた列車は出て行く!!

2024-07-17 08:20:30 | 2024年の旅

 

ニースに戻り、ミッシェル夫妻の家で過ごすと、どれだけ快適かがわかる。

清潔で広い部屋、シャワールームや洗面台は部屋にある。

トイレは二つあり共用ではあるが、一つはバスタブ付きの浴室の中で、こちらは夜利用する、もう一つはリビングにあって、いつでも使える。

もともと彼らが引っ越してきたときは、リビングのトイレはなかったので、新たに作ったということだった。

確かに客人があるときは便利である。

泊り客でなかったとしても、いちいち浴室のトイレ利用をするより、リビングに独立しているトイレのほうがずっといい。

 

さて、今日はヴァンチミリアへ行く日。

いつものように?列車の時間を調べることもなく、朝の支度がすべて終わったころが出かける時間である。

10時過ぎには出発した。そして、改札付近の大勢の人を横目に、近郊線の駅で切符を買う時、また駅の人に夫妻は尋ねていた。

すると、「往復切符を買うといいですよ」というアドバイスだった。

「初めて知った」と夫妻はその係員に言っていた。ニースへの引っ越しは2020年1月であるが、4年以上たって初めて知ったということだった。もちろん夫妻はそれまでに何度もこの近郊線は利用しているはずなのだが。

ビオットに行くときもそれを知っていたら、使えたのはもちろんである。

この夫妻にはこういうことは、よくある。私たちも慣れているので別段驚きもしない。

まあ、安く買えてよかった。奥さんのJクロードが4人分買ってくれて、しっかり握りしめていた。

 

さて、とホームに行ってびっくり!!!!

ホームにも人があふれかえっている。スリに気をつける必要があるくらい尋常でない人の多さだった。日本のラッシュ時でもこのくらいの人の多さに遭遇したことがないくらいだ。

また、来た電車に乗れるのだろうかと、不安になってきた。

そして、15分くらい待って列車が入ってきた。

とにかく、持ち物に気をつけながら、けがをしないようにと思い、夫妻のそばにいた。

しかし、人混みに押され、少しずつ離されてしまった。

Jクロードは何とか、乗り込めたのだが、私たちとミッシェルさんは、乗れなかった。

 

ホームに置いてけぼりになった私たちは、どうしよう?と途方に暮れそうだった。

ミッシェルさんは、すぐにJクロードに連絡を取ったのだが、何しろ彼女は息もできそうでないくらいの混雑の中、携帯電話を取り出すことは不可能だったろう。

ミッシェルさんが「困ったことに彼女が4人分の切符を持っているんだよ」と、苦笑い。

 

向かいのホームに見えるパリ行のTGVを見て、気分を変える?↓

さあ、どうするのがいいのか。

とにかく次の列車を待とう。でも次の列車はいつ来るのか。またその列車も満員だったらと、心配は尽きない。何しろ、まだホームには乗れなかった人たちが、さっきよりは少ないが、相当いることはいる。

その一人の女性が「私は9時からずっと乗れないのよ」と言ったことも心配を大きくした。

しかし、なるようにしかならないのだ。

 

私もJクロードにメッセージを送ったが、返事はない。

 

30分くらい経ったとき、次の列車がやってきた。

一抹の不安はあったが、今度の列車には、乗ることができた。もちろん座ることはできなかったが、息ができないような混雑でもなく、安堵した。

 

そしてその列車が途中のモナコに着いた時、多くの乗客が下りた。今日はモナコで何かイベント?があったようだ。(F1グランプリに先駆けて、クラシックカー?のイベントがあったらしい)

そこで私たちは座ることができて、ミッシェルさんも席を若い学生に譲ってもらい、座ることができた。

 

そんな時、Jクロードと連絡がついた。彼女はやっとヴァンチミリアについて、私たちを待っているとのことだった。






ヴァンチミリアでの乗り換えは、滑り込みセーフ

2024-07-15 19:28:21 | 2024年の旅

      

セルボガ(公国)を後にして、ボルディゲーラに戻ると、まずホテルに荷物を引き取りに行った。

部屋は問題点がないこともなかったが、オーナーは本当にいい方で、「今度は予約サイトを通さずに直接予約して」と、名刺をくれた。

お礼を言って、ホテルを後にする。

 

列車の時刻は 15時54分発で、出発まで少し時間があったので、トイレ休憩もかねて、駅前のカフェに入った。

最後の?ブラッドオレンジジュースを注文して、時間まで過ごすことにした。

 

そして、そろそろと思い、ホームに入った。

すると、列車の遅れの表示が出ていた。15分遅れだった。

普通なら何ともないくらいの遅れなのだが、ニースまでの直通列車はないので、ヴァンチミリアで乗り換えが必要だ。

予約した列車の乗り換え時間は、遅れがなければ十分だった。

しかし、15分遅れで来ると、ボルディゲーラからたった一駅のヴァンチミリアでの乗り換えは不可能になる。

とにかく来た電車に乗るしかなかった。

 

幸い、13分遅れで列車はやってきた。それでも乗り換え時間1分しかないので、来たときと同じようにホーム移動があったら、不可能であった。

さて、何番線につくのか、そしてニース行は何番線から出るのか。

乗り合わせている乗客に尋ねても、わからないという

 

しかし、ヴァンチミリアに滑り込んだ列車の同じホームの向かい側に、それらしき列車が止まっていた。

普通なら列車やホームの表示を確かめる必要があるが、そんな時間はなかった。

が、乗り合わせていた乗客の一人が「これよ。ラッキーだったね」と教えてくれたことで、何も見ずに向かいの列車に乗り込んだのだった。

 

その列車は、乗り継ぎ連絡をしていないのか、待つことなし(遅れることなし)に定刻に出発した。

もちろんここからフランス鉄道になるので、当たり前なのかもしれないが、もしもたもたしていたら、とか、体が不自由な人がいたらどうなるのか、と考えずにはいられなかった。

 

とにかくひと安心して、到着時間をニースで私たちの帰りを待っているミッシェル夫妻に連絡した。

 

「駅から、うちまで来れる?もし迷ったら連絡してね」という返事が来た。

駅から夫妻の家まではほぼ直線なので、迷うことなく5日ぶりに帰ることができた。

 

荷物を下ろし、5日間の話を聞いてもらいながら、準備してくれていた夕食をいただくことにした。

これはニース名物の青菜のタルトで(Tourte des blettes)、前回はデザートバージョン、今回は甘くないメイン?になるサレバージョンのタルトであった。

明日の予定を決めるところで、「金曜日だからヴァンチミリアで、衣類の市があるのよ。もし興味があれば」ということで、乗換で通過しただけのヴァンチミリアだったし、ミッシェル夫妻もアンリ夫妻もこの衣類の市で買い物をするという話を聞いていたので、「ぜひ」ということになった。





勝手に独立して、王様もいる「セルボが公国」

2024-07-14 08:14:12 | 2024年の旅

 

 

 さてこのセルボガ村なのだが、実はイタリアから独立宣言して王様も今は2代目であるらしい。

 村の各家には「セルボガ公国」の旗が翻っている。バス停近くには初代公国王の胸像もある。敵(?)が攻めてきたときの備えとしてちゃんと大砲も1門置いてあった。

 現在の王様は、なんとこの前に書いたウサギの料理を出すレストランを経営している。

 

 イタリアから独立したといっても税金はちゃんとイタリアに収めていて、いわば勝手に独立したといっているだけなのだ。しかしこのことが有名になり、この山奥の村に大勢の観光客が来るようになった。

 

 村は古い歴史があるようで迷路のような道をあちこち歩いたが、そんなに大きくはなく、全部を歩き回るのに時間はかからない。バス停の反対側からピクニックの人たちが杖をついて歩いて登ってきたのにも出会った。その人たちもこの「公国」の面白さに惹かれてやってきたのだ。

 もしこの独立宣言がなかったら、ただの山の上の古い村に過ぎなかったわけだ。

 実は、当初、ボルディゲーラ1泊、この村で一泊する予定だった。この村にはアグリツーリズモ(農家滞在)ができる宿があり、食事もついて、かなり魅力的だったからだ。以前ナポリの南の海沿いで経験した事があり、なかなかいい感触を持っていることもあった。

 

 しかし、地図で見ると、村の近くとは言え、車でないとちょっと行きにくい、人通りが少なそうな小道を歩かないといけないようで、無理だと判断した。その後、ボルディゲーラに2泊に変更したせいで、宿探しに困難を極めることになったのだった。(出発間近でもあって)

 

でも、結局日帰りで行くことにしたのだが、来れてよかったと思った。

 

 さてようやくバスに間に合って乗ったが、運転手が若い女の人と喋りだし。話に夢中になりジェスチャーを交えて話すものだから、ハンドルから両手を話すことがあるのが気になって仕方がなかった。若い女の人も運転手に「あんたはきれいだ」などとおだてられ気分が乗っているらしい。

 

 ようやく途中で年配の女性たちが乗り込んできたので、この女性もおしゃべりを止め、座席に座った。そして運転手は元のまじめな運転手に戻り、ほっとした。


帰りの時間が迫り、メイン料理は大急ぎ。

2024-07-13 22:04:00 | 2024年の旅

 

今日でボルディゲーラともお別れ。

まず、フロントに荷物を預かってもらえるか尋ねたら、「もちろん」と快諾してもらえた。

このホテルは立地もいまいちだし、部屋もよくなかったが、このオーナーの応対だけは評価できる。

 

よって、セルボガ村へ行くことにした。

10時45分のバスなので、まず朝食をと、カフェへ向かった。

昨日、心当たりをつけておいた駅に近いパン屋兼カフェである。

3.9€と、とても安い朝食だったが、カプチーノ、甘いパン、オレンジジュースとどれもおいしくて、満足できた。

実はこのカフェ、人気があるのか、観察していると、注文を結構待たされるくらい、パンを買いに来る人が多い。

お店の人もきびきび働いていた。

年配のマダムが最初1人できりもりしていたが、若い人たちがやってきて交代したりしていた。

 

常連さんと思えるマダム、いやセニョーラ?が、1人で来て、いつものものなのだろう。

何も言わなくてもテーブルに運ばれる。

少しおめかしをしているようにも見えた。

新聞を読んだり、店の人と話したりしている。常連らしき現役世代の男性客2人が帰るとき彼女に 挨拶し、自分の見ていた新聞を彼女に渡したりしていた。このような交流はシニアにはとても大切なことだ。

家にじっとすっこんでいてはだめだ。

日本でも1人暮らしのシニア世代でこのような人が増えたらいいのにと思った。

 

そして、まだ時間があったので、散策を続けた。

小さな教会を見たり、お屋敷マンションの通りを散歩したり。

意外に高くないお店もあったりして、小物を記念に買ってみた。

 

そして、そろそろと思い駅の方へ向かい、バスの切符をタバで買い、バス停の前のカフェでトイレもかねて、エスプレッソを注文。

そして時間になった。

30分くらいでセルボガに着くのだが、このバスは路線バスだが、いい景観のところを走る。

つまり、一日目に歩いたあたりや海が見えるところもあって、なかなかパノラマを楽しめた。

 

帰りのバスは、14時15分発で、11時15分についたあと、小さな村なので、見学に十分であろうと思った。

 

案の定、可愛い村は、あっという間に見終わった。

そして、昼食をと、小さなレストランに入った。

ここはコース料理もワインがついて20€ちょっとで、リーズナブルだったが、

メインのウサギをシェア、その前にパスタをシェアすることにした。

小さなレストランは大繁盛で、入ったのは、12時過ぎだったのだが、パスがゆっくり運ばれてきて。

メインの到着までかなり時間がかかり、心配になってきた。

何しろ、バスに乗り遅れたら、夕刻までないので、ニースへ帰る列車にも乗れなくなる。

メインが来てから大急ぎで食べた。

もう14時に近かった。

レジまで行っても、すぐにレジに来てもらえず、「待ってね」と軽く言われ。

店の女性は個々のマダムらしいが一人でてんてこ舞だった。

ひやひやしながら、ようやく精算を終えたのだった。



          

 

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