フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

観光地の匂いはあちこちで・・・。そして、あの帽子の件も・・・。

2024-07-12 08:22:39 | 2024年の旅

 

サンレモにもcasinoがあった。マントンのカジノよりは大きくて立派で市役所かと見間違うほどだった。

またそのcasinoの前のホテルや店は豪華で、宝石など売っているブティックも立ち並び、「そうか、ここで一儲けしてそのお金で誰かにプレゼント!!ってことになるのか」と、思った。

ニースやマントンでは見かけなかった立派な身なりの紳士が、ホテルから出てきているのも

興味深かった。

そんな観察をしながら、街歩きをした。大きな町なので、ブティックやレストラン、カフェがたくさんあった。マントンよりずっと規模が大きい。

そして、モノプリやラファイエットと言ったフランスのスーパーやデパートのイタリア版みたいな店もあった。

少しあちこちの店をのぞきながら、海の方へと向かった。

海岸近くに土産物店があり、店の前で帽子を売っていた。たしか1つ10ユーロ前後だったと思う。夫が紳士物を見ていたら店の男の人が出てきた。品物に比べ高いなと思って見ていると店の人の口からだんだん値が下がってきた。店を離れかけると、1つ5ユーロと叫んでいる。それを聞いて一遍に嫌になった。

 

要塞跡のような施設があり、昔の大砲も並んでいた。沖の遠くには大きな船が浮かんでいた。海岸から見ると動くスピードがゆっくりに見えるので、なんだかのんびりした感じだ。

海辺の近くのレストランはにぎわっていた。

しかし、いかにも観光地という感じの店ばかりのようにも思えた。


 

 

歩き疲れて、ジェラートを食べることにした。

席に着くとジェラートもそこそこの値段になるが、座るとほっとした。

しばらく、休憩し、駅へと向かうことに。

帰りは不思議なもので、行きより早く感じる。

 

列車は16時半までないようで、ゆっくりホームの近くへと向かう。というのもこのサンレモ駅は、出入口からホームまでの通路がかなり長い大きなトンネルのようなのだ。

夜など人が少ないと、少し不安になるかもしれない。

まだ30分くらい時間があったので、ホームの近くの待合の椅子に座り、待つことにした。

このときは確か時間通り列車がやってきたと思う。わざわざ時間通り来たかどうか書くこと自体まあ変なのだが。

 

そしてサンレモを後にし、ボルディゲーラに戻り、ホテルに帰った。

 

明日の予定を考える。まずホテルに荷物を置かせてもらえるかどうか。

もし無理なら早めにニースに帰ることになるだろう。

でも荷物を置かせてもらえるなら、セルボガ公国へバスで行こう。

 

明日はニースに戻るため、イタリア最後の時間を過ごすことになる。

そんなことを考えながら、今日も早めに休んだ。


音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

2024-07-10 09:37:01 | 2024年の旅

 

イタリア2日目

 

昨夜も早く眠ったせいか、朝早く目が覚めた。

今日の予定は、サンレモ。

サンレモは音楽祭で有名で名前くらいしか聞いたことがないが、ボルディゲーラから列車で20分くらい。

 

朝ごはんは昨日の残りのパンとスーパーで買った常温保存できるジュースだけだった。

今日も昼は外食になるので、ちょうどいい。

 

ささっと食べて、駅へ向かった。8時37分発の列車で9時到着だった。

サンレモについては、全く予備知識もなく来たので、列車の駅から市内中心までこんなに遠いとは思わなかった。

ほぼ一本道だったのだが、途中で何人かに尋ねながら、旧市街へ抜ける広場を目指した。

 

やはりサンレモは大きな町だった。新しい町を通り抜け旧市街へ上がると、ニースのエズ、ロックブリュンヌ、マントンやボルディゲーラの旧市街と比べると、あまり手入れされてないようなただ古いだけと言った感じだった。

古い街を少し見飽きたからか?というわけでもない。翌日に行くことにしたセルボガ(公国)は小さいながらそれなりに手が入れられていたから。

 

旧市街から下りてきた広場で昼食を取ることにした。レストランが集まっている広場で観光地のレストランだった。

味も悪くなかったが値段もそれなりだった。

こういう大きな町では、もう少し小さな店を探すといいのかもしれない。

お気づきのように、レストランにはそこまでのこだわりがないこともあり、下調べはしないことがほとんどである。

 

さて、今日はパスタを食べてみたい。ボンゴレ、そして魚介のサラダをシェアすることにした。魚介のサラダはさすがに美味しかった。

デザートはキャラメルソースのパンナコッタだったが、これは普通だった。

隣り合わせたのがフランス人カップル。確かニームのあたりから来たと言っていた気がする。日本にかなり前(30年以上前)に来た事があると話してくれた。「その時はほとんど英語の表記もなく、英語を話せる人もいなかったのよ。今は違うでしょうけど」と笑った。

親戚の誰かが日本に住んでいるとも言っていた。

このように今のフランス人には日本びいきな人が多いのだ。

今回の旅でも、少し話すと自分と日本とのかかわりを楽しそうに話してくれる人が多かった。

 

お腹が膨れたところで、街中を散策することにした。


大当たり! 本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

2024-07-08 08:16:22 | 2024年の旅

ボルディゲーラの旧市街に行くために、駅の方へ向かった。

駅の近くから、今度は山の方へ向かって上り坂を歩いていく。

やがてものすごいお屋敷、高級なアパートが立ち並んでいるのを見た。ニースやカンヌなどとはまた違う豪華さだった。

目を見張りながら、確かこの辺りにモネも絵を描いた場所があるはずと思い探して歩いてそれらしきところへは行きついたが、今はその当時の面影はなくちょっとがっかりした。

 

気を取り直し、少し引き返し、またさっきの道をとぼとぼ歩いていると、左手に小さな道があってここだなと直感を果たらせのぼっていくと、旧市街のかわいい街が開けてきた。

 

イタリアの旧市街もまた可愛らしくていいなと思った。ここの場合は頂上にお城跡はなく、教会があり広場があった。

お昼をかなり回っていて、お腹もすいていたので、頂上の広場のレストランでピザを食べることにした。

 

このシンプルな「ピッツァマルゲリータ」は、大きいだろうと予想して、二人でシェアをお願いしたが、今まで食べた中で一番おいしいと感じ、ぺろりと平らげてしまった。

デザートのティラミスもシェアしたが、これはまあまあといったところ。

そして、ミッシェルさんが「イタリアのコーヒーは世界一美味しい」というコーヒー(エスプレッソ)も注文した。あまりコーヒーはよくわからないのだが、ただ濃いだけではない味わいがあり、美味しい気がした。

初めての外食は大当たりだった。何より、安い!!この大きくて美味しいピッツアが10€もしないのだから。

この店のご主人は「最近は日本の観光客が少ない」と言っていた。

この円安では仕方がないだろう。

 

食べた時間も遅かったので、今日はこれを昼夜兼用にしようと思う。帰りは海岸までおりて海沿いに散歩して帰ってきた。

ここもリビエラ海岸になるのだが、フレンチリビエラのほうがイタリアンリビエラより車窓がきれいだと聞いていた。しかし実際海岸を歩いてみても、そこまでの差は感じない。こちらもきれいだ。しいていえばフレンチリビエラのほうが大型のヨットなど停泊しているなどの豪華さの違いがあるということだろうか。

もっとも、イタリアンリビエラは電車からほんの少しの距離しか見ていない。

 

ホテルの部屋にはポットもないし、喉が渇いたとき用の飲み物を帰りに買って、ホテルに戻ることにした。

 

明日はどうするか。

観光案内所のシャイな若いお兄さんにいろいろ尋ねてみたが、これと言った決め手はなかった。

 

そういえばミッシェルさんの奥さんのジャンヌクロードは、今回ニースを出てくる時「イタリアはハンサムが多い」と言っていた。でもイタリア女性も美人が多く、ソフィアローレンが団体で歩いているように思うとのこと。(わが夫談)

 

明日は、イタリアから勝手に独立宣言した?というユニークなセルボガ公国へ行くか、音楽祭で有名なサンレモまで足を伸ばすか。

どちらかになるだろう。


マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

2024-07-07 08:37:11 | 2024年の旅

マントン最終の朝は、市場でバゲットを買おうと思っていたが、10時から開店ということで断念した。地元のパン屋さんでは考えられない遅さだ。

 

ということで、もう一軒の地元のパン屋さんへ戻った。

そこは洗練されたパン屋さんというより洋菓子屋さんと言った感じ?で、お菓子もおいしそうだった。

ブリオッシュとシューケットを買ってみた。

美味しい朝ご飯を食べて、アパートを少し掃除して出ることにした。

「鍵はテーブルの上に置いておいて」ということだった。忘れ物がないように点検し、この便利だったアパートを後にして、駅へとまた徒歩で向かった。

このような高級マンションを見ながら駅へ↓

 

いよいよイタリアに向けて出発だ。

改札でスマホのチケットをかざして駅に入り、ホームで列車を待った。 10時56分発の列車は正確にやってきた。

SIMカードは、国境を超えるとその知らせが入るので、ヴァンチミリアに近づいたことが分かった。

 

乗換駅は国境を越えてすぐのヴァンチミリア駅で、ここはすでにイタリア。

もしかしたらパスポートコントロールがあるかもと、直ぐにパスポートを見せられる準備はしていたが、このあとも必要なかった。

マントンを出て40分。ボルディゲーラ駅に到着。

ホテルまでの道はまっすぐ歩いて15分くらいのところだった。

ただ中心地と反対側に行くので、何となく賑わいが少なくなってくる感じがしないでもなかった。

 

ホテルが見えてきた。

ドアが開かない。シエスタかと思ったら、外から帰って来た人が開けてくれた。

後で分かったことだが、このホテルのドアはとても重かったのだ。

 

部屋は、小さくて、ポットや冷蔵庫もないが、水周りは比較的清潔だった。

ただトイレやシャワーがある部屋の電気をつけると、換気扇の轟音が鳴り響き、夜中のトイレなどは、隣の部屋に聞こえているのではないかと申し訳なく思うくらいだった。

このホテルのオーナーの人柄の良さは、態度、物腰、会話の中で十分伝わり、おすすめできる点ではある。

 

まさか!!のフランスとのコンセントの違いで、ヒヤッとした。念のため持ってきたたこ足?が役立つとは。↓

早速荷物を置いて、町へ散策に出かけることにした。


若い人の時間、そして夢を持ち続けること

2024-07-06 15:27:14 | 2024年の旅

ロックブリュンヌからマントンに戻り、海岸沿いを歩いていた時、海岸がきれいにならされているのに気が付いた。

 

来日のフランス人に、「日本はとてもきれいな街だけれど、海岸がきれいじゃないね」と言われたことがあり、聞けばフランスの海岸は毎日掃除されるということだった。

本当に砂浜もきれいにされているのだ。

 

そんなことを感じながら、昨日の日本人の女性が働いているお店へと向かった。

今日はお目当ての魚介のフリットがまだ残っていた。

少しイタリア人堅気なオーナーも この若い日本人女性を褒めていたが、以前リヨンのチーズ屋さんで働いていた女性もとてもよく働いてくれると言われていたことを思い出し、そんな話を彼女にもした。

 

もちろんここの彼女も、しっかり働いていて、少しお客さんが途切れたら、話をする時間もあったし、オーナーも気さくな人であることがわかった。

この女性はまだフランスに来て2ヶ月足らずだと言っていたが、連絡先を交換し、その後も時々近況を聞かせてもらっている。

 

もうそろそろマントンの生活にも慣れ、フランスで残りの時間をどのように過ごすかなど

少しずつ、見えてきたころかもしれない。

またメッセージを入れてみたいと思う。

 

このような若い人を見ると、私は「三ヶ月滞在」がコロナで実現できなかったので、「時間がある」ということはどれほど大切か、よく感じるこのごろである。

若い時期の数年と、シニア世代の数年はあまりにも違う。

しかし、まだあきらめることなく夢を持ち続けていたいと、若い人が海外で頑張る姿を見ると勇気づけられもする。

 

彼女が教えてくれた、ジェラートのお店は本物のフルーツを使って作っていることで有名らしい。暑い日でもなく、そんなにたくさん食べることができないのだったが、味見をしてみることにした。

レモンの町だからと、レモン味にしたが、別のものもよかったかもしれない。シーズンのいちごとか。

また夜は、昨日の残りにチキンを食べなければならない、拷問の?ようにさえ思えてきた。

いや、昼のフリットの残りまである。トホホである。

 

近所には候補の一つのホテルも散策していて偶然通りかかった↓悪くない立地。

 

市役所↓

 

明日はいよいよイタリアに向けて出発する。

ここマントンもどちらかというとイタリアのような街ではあるが、本場イタリアはまた違うのかどうか楽しみである。

 

スマホでチケットの予約を試みることにした。

途中、イタリアに入ってすぐのヴァンチミリア駅で乗り換えるが、マントンからは40分だ。10時56分発の列車なので、朝は時間の余裕もある。


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