65歳を過ぎてもできる

ブログは、癌の治療の開始2020年2月からスタート。癌は完治。コロナや災害、事故など心配は尽きないが、私は動く。

「山川異域 風月同天」

2021-03-02 08:17:00 | 日記
紀貫之が書いた土佐日記は、貫之が土佐国から京に帰る55日間の出来事を綴ったもので、935年(承平5年)頃のもの。

なぜこの部分を取り上げたか…というと、私が昨日思い出せそうなのに、思い出せなかったところ…今日突然思い出したから。笑
高校当時、古典が嫌いだった方も是非ご一緒に。土佐日記「阿倍仲麻呂の歌」の原文がこちら。

二十日。
昨日のやうなれば、船出ださず。
皆人々、憂へ嘆く。
苦しく心もとなければ、ただ日の経ぬる数を、今日幾日、二十日、三十日、と数ふれば、指も損なはれぬべし。
いとわびし。
夜は寝も寝ず。
二十日の夜の月出でにけり。
山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。
かうやうなるを見てや、昔、阿部仲麻呂といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、船に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。
飽かずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。
その月は、海よりぞ出でける。
これを見てぞ、仲麻呂の主、
「わが国に、かかる歌をなむ、神代よりも詠ん給び、今は、上中下の人も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む。」
青海原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
とぞ詠めりける。
かの国人、聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を男文字に、さまを書き出だして、ここの言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ愛でける。
唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。
さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、
都にて山の端に見し月なれど 波より出でて波にこそ入れ

この部分を思い出したわけ。大人になると、原文だけでもなんとなくわかるような気になる。のは、私だけ?
あと、気になって調べていて、見つけたものが、これ。

「山川異域 風月同天」
新型コロナウイルスの影響が広がる中国で、日本から続々と届く支援をメディアが連日手厚く報じている。日本から届く支援物資に添えられていた「山川異域 風月同天」という漢詩の一節も話題を呼んでいる。約1300年前に天武天皇の孫の長屋王が、唐の高僧・鑑真に宛てたとされ、「住む場所は異なろうとも、風月の営みは同じ空の下でつながっている」との意味。このメッセージに心を動かされた鑑真が来日を決めたと伝えられている。
「(鑑真を動かした漢詩が)再び中国の人の心を動かした」「1300年の時を隔てて私も泣きました」などの声が広がっているほか、中国人が武漢市で患者に対応する医師らに送るエールとしても使われている。
    2020.2.10新聞の記事から抜粋。

追記
トップ画像は、本日の私のランチ。月見蕎麦なら良かったかも。タイトルとはなんの繋がりもない。あしからず…笑