会社の上司に誘われ被災地へ。
このイベントは昔から誘いはありましたが、どうにも気が乗らず逃げ回っていました。
今ではたいぶ復興が進んでいたみたいですが、実際はそうではなく風評被害や
今だ残る放射能の影響や
東電への怒り
がまだまだ取り除けていない状態でした。
私は東電の出来事は一企業として仕方ない事だとずっと考えていました。
しかし、実際は東電への怒り、憎しみが残っています。まだ担当の方は申し訳なさそうに謝罪をしていました。
被災地の方はこの状況を改善すべく東電に勤めている方も多いそうです。
また道の駅の建物には幼稚園児や小学生が書いたと思われるメッセージがありました。
はやくおそとであそびたい。
はやくおいしい魚が食べたい。
翔
中には離ればなれになってしまった友人を想うコメントもあり苦しくて涙をおさえるので精一杯でした。
あれからもう何年も月日が経ちました。
それであの出来事は大変だった出来事として処理され誰もが忘れています。
私もそうです。
でも被災地の方には今でも重く苦しい出来事でようやく前を向いて歩き出しているそうです。
だから
少しでも忘れないようにしたいし、日本人として考え方を改めないといけないと感じました。