シャンパンフルートの細身に透明な金色の液体が注がれる。
グラスのなかではパチパチと小さな気泡が生まれては弾けて消えた。
グラスを心持ち高く掲げ、見つめ合った。
ふたつの黒曜石は今日はことさら潤んで見える。その下のうっすらと染まった薔薇色とのコントラストが艶めいていた。
グラスを傾ける互いを確認する。
「麻子」
膝の上の柔らかな身体に呼びかけた。
「ん?」
こちらに顔を向ける。
その手からグラスを取り上げ、テーブルに置く。勿論自分のグラスも一緒だ。
「まだ一口しか飲んでない」
舌足らずな声で両手をテーブルに伸ばす。珍しい。そんなに酔わせてはいないはずだ。
両手で抱き込んで、紅い唇を奪った。うなじを手で押さえてうっすらと開いた口に舌を滑り込ませる。シャンパンよりも甘い口の中をじっくりと味わう。
んんん─くぐもった声が漏れる。小さな両手に肩を押された。
あんまり抵抗されてもな…。
あとのことがちらりと頭を過ぎって、唇を解放した。
「もう!あんたなにを考えているのよ。人がシャンパンを楽しんでいるのに」
再びグラスを手に早速文句が始まった。
怒ってもやっぱり美人…か?いや、これはやっぱり可愛いというべきだな。
自分もグラスを手にしながら、そんなことを思った。
「ダメか?」
横顔を見つめながら問い掛けた。
「ダメ」
即答だな。
「イヤか?」
「イヤよ!あんたからのベロチューなんて!!」
おいおい、非道い言いようだな。少しばかり旦那としては傷つくぞ。
普段ならできない「上目遣い」でじとっと妻を見つめた。
若干は良心が疼いたのか、もぅと小さく舌打ちする。
「あんたがシャンパンの時間を邪魔するのが悪いんでしょっ!!」
旦那よりもシャンパンが大事か?
「たかが粘膜の摩擦じゃない」
大きく出ましたね、奥さん。粘膜の摩擦って擦り合いってことだよな。そうするとあんなコトやこんなコトも含まれるぞ。気持ちいっ、って言ってたのはドコのどなたでしたっけ?
「そうよ。あんたの考えてるあんなコトも摩擦よ」
で、お気に召さなかったコトが今までありました?奥方さま?
「だいたいね、膣のなかなんて人間の皮膚感覚のなかではいちばん鈍感なんだってよ」
ほー。
「出産のときには産道になるんだから、敏感だったら出産なんてできる訳ないのよね。オンナはオトコより痛みに強いって謂われてるし」
ハイハイ。俺が貴女に勝てることは確かに少ないよな。
「赤ん坊って奇跡のかたまりみたいな存在だって知ってた?」
随分話が飛んだね。完全に酔ってるのかな?出産→赤ん坊と連想したんだろうけど。
「膣の中って強い酸性でしょ。その中を生き残ることができる強い精子だけが卵子に辿り着ける。それから受精卵がきちんと細胞分裂できるかどうか。その受精卵は子宮内膜に着床できるか。受精卵が子宮内で育っていく間、流産しないかどうか。先天性の病気、出産時のリスク。出産直後の病気。ホラ、これだけでもかなりいろんな困難を乗り越えなきゃ、元気な赤ん坊は生まれないわよね?」
仰る通りでございます。
「そうやってこの世に誕生することができたあんたとあたしが出会う確率はどれくらい?」
…確かに天文学的な数字になりそうだ。
「同じ時代に生まれることができること」
「同じ言語で気持ちを伝え合うことができること。ドラヴィダ語とスワヒリ語で愛を確認し合うなんて究極の困難でしょ?」
「お互い、幾つかの恋愛を経験して…。あたしたちが出会う前にほかの誰かと結婚が決まってたら出会えなかったでしょ?」
そうであっても俺が奪いに行くけどな。
「それからお互い結婚の意志がシンクロして、今まで婚姻関係が継続してる」
それはひとえに俺の努力が大きいかと…。
「だからね…」
麻子がシャンパンを一口飲んで徐に俺に向き直った。
「ありがとう、って…。…言いたかった。改まって言うのはなかなかできないけど、いろんな奇跡があって、今あたしと光が一緒にいることのできるこの時間をありがとうって」
どうしてこんな反則ワザを出してくるかな、うちのカミさんは。
麻子が俺の首に腕を巻き付ける。
「さっきイヤって言ったのはあたしからこうしたかったから」
囁いた唇がそのまま落ちてくる。
どんな強い酒も敵わない甘さに酔う。
麻子の背中にまわした腕に痛くない程度の力を加えた。
「さて、奥様。貴女には悪いが、摩擦と奇跡のかたまりの共同作成作業に協力していただけますか?」
腕のなかの宝石に俺が戯けて問い掛ける。
「喜んで」
「さっき『イヤ』って言ったじゃないか」
俺は若干拗ねて反論する。
麻子はクスクスと笑ってる。
「あたし、キライとはひと言も言ってないわよ」
「絶対今夜は寝かせない。明日ベッドから起き上がれなくても苦情は一切受け付けないからな」
返事を待たずに寝室へ強制連行した。
Fin.
<09/08/18>
世羅粧香さんから、サイト開設一周年記念によせてお祝いSSをいただきました↑
公開がこんなに遅くなりまして申し訳ありません。せらさま
いつも素敵なSSをありがとうございます。(あだち)
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もうなにもかもが良いですねぇ…
シャンパンはないですが、チューハイでも飲みながら、また読みたいです。