「あ,柴崎と手塚じゃん」
休日。買い物に出かけた郁は,街中で二人の姿を偶然見かけた。
おしゃれな外装のミニシアターの前だった。
二人はちょうど映画を見終わったところのようで,出口のあたりに並んで立っていた。
ドアから吐き出される人波に紛れてよく見えないが,二人はどこにいても人目を引く。
悔しいが間違えようがない。
やっだ偶然! と声をかけようとして郁は開きかけた口を結ぶ。
柴崎が目元をハンカチでしきりと押さえている。どうやら泣いているらしい。
映画館の上にかけられている横看板を見やると,べたべたなフランスの悲恋ものだった。
彫りの深い顔立ちの男女が,今まさに口づけをしようと唇と唇を寄せ合っている情熱的な絵が目に飛び込んでくる。
えーうそ。まずそんな言葉が郁の頭に浮かぶ。
自分が結婚する前は,柴崎と休みの日に出かけても,この手の類の映画をチョイスすることは絶対になかった。
断言できる。
ベタ甘は大の苦手だと言って,いつも派手なアクションものかコメディっぽい軽めのものだったのに。
二人できゃあきゃあ言いながらシートで肩を寄せ合って楽しんでいたのに。
なんだよー。と郁は少々面白くない。
手塚とデートだったらこんなの観るんだ,柴崎ってば。ベタ甘どころかヒロインが最後何かの病気で死にそうなミゼラブルっぽいのじゃん!
でもってしおらしく泣いちゃってえ。鼻の頭真っ赤にして可愛いったら。
手塚が柴崎からハンカチを受け取って,拭い切れていない涙を拭き取ってやる。
困ったように,たどたどしい手付きで。
「化粧が落ちちゃう」とか何とか呟いたのか,柴崎の唇がきゅっとすぼめられた。
……でもまあ,いっか。
二人のそんな姿を見ていたら,郁の溜飲がすうっと下がる。
そうかあ。手塚の隣なら映画観て泣けるんだね。素直に。
無理してお祭り騒ぎみたいな内容のもの選ばなくても,悲恋ものでも何でも好きなのチョイスして楽しめるんだね。
……よかったね。柴崎。
一抹の寂しさを覚えつつ,郁の心はあったかい気持ちでじんわり満たされていく。
結局そのまま二人には声をかけずに郁はそっと踵を返し,駅に向かって歩き出した。
(2008,9,21)
※ 親友に恋人ができて,嬉しいんだけどちょっぴり寂しい郁の気持ちを書いてみました。