【3】へ
落ち着かない様子で固まっていた手塚が、ふと、くん、と動物のように鼻を鳴らしたのを柴崎は見逃さなかった。
「なに?」
「ん、別に。なんか、匂うなって」
え。柴崎の顔が曇る。
「くさい? この部屋」
慌てて手塚が否定。
「そうじゃなく。……良い匂いがするなって。女の部屋だからかな」
微妙に目を逸らしつつ言う手塚に、内心なあんだと柴崎が胸をなでおろす。
「人の部屋に転がり込んできて、くさいとか抜かしたら蹴るところよ」
「決して転がり込んだわけじゃないが、誤解があったら謝る」
やんわり訂正してやる。と、そこはスルーして、
「きっとそれ、アロマよ。今焚いてるキャンドルの」
「アロマ?」
手塚の視線が卓上へ映る。じりじりを身を焦がしつつ、赤い炎を生み出すろうそくが置かれている。
今は懐中電灯をオフにしてあるため、部屋の明かりはそれだけ。
「笠原の披露宴で使ったの、もらったのよ。一本だけ。まさかこんな使い道があるとは思わなかったわ」
「なるほどな」
「きれいだったわよねー。笠原。あんなに化けるんなら、俺が先に掻っ攫っておけばよかったって陰で臍を噛んでたやつらが同期で結構居たわよね」
おかしそうに笑う。
炎に照らされた笑顔が見られて、手塚もつい顔がほころんだ。
「女は怖いな。別人みたいだったな」
「あったりまえでしょー。誰があの子のウェデイングドレスやカクテルドレスを選んだと思ってるの。このあたしよ。誰もが垂涎ものの花嫁に仕上げてやったわって自負はあるわね」
「垂涎もの、って、お前な」
表現がもっとなんとかならんのかと苦言。
「言っとくけど俺は陰で臍なんか噛んでないからな」
「アンタの嗜好は例外なんだって」
「お前が俺の女の嗜好を知ってるのか」
何気なく聞き返したら、柴崎が虚を衝かれた顔になった。
あれ、と思う間もなく、勝手に口を言葉が突いて出る。
「お前も似合いそうだな。ああいう結婚式の綺麗なドレス」
お姫様みたいな、という最後が余計だったらしい。
柴崎が吹き出した。
「なにそれ。王子様発言の笠原の影響? おひめさまとか、あんたの口から、ありえなーい」
憎まれ口を叩く。指摘され、手塚は赤くなった。
「悪かったな」
「悪くはないわよ。でも折角だけどあたしは似合わないわよ。笠原と違って」
その発言に手塚は首を傾げる。
「そうか? そんなことはないと思うが」
柴崎はパジャマの裾から出た足首を抱え込んだ。膝の上におとがいを乗せる。
「結婚とか興味ないしね。願望ももってないし。ドレスとか、縁遠い話だわね。ああいうのは笠原みたいにかわいい女の子限定よ」
「そうか?」
「そうよ、理想の王子様追いかけて、その王子様を振り向かせてるため身体を張ってひたむきに努力してっていう女の子しか、幸福は微笑んじゃくれないのよ」
そっけなく言う。手塚はなんと返せばいいのか困る。
微妙に話が自分の苦手方向に逸れてしまったことに気づく。
居心地の悪い沈黙が流れた。
「でもそんな決め付けたもんでもないんじゃないか」
逡巡のあと、ためらいがちに手塚が口を開く。
「そんな、神様は狭量じゃないと思うぞ。笠原みたいに身体張らない奴は幸せにしてやらないなんて、普通の女にはきついだろ。みんながみんな、戦闘職種じゃなんだし」
それが手塚なりに慰めてくれていると分かり、柴崎は脚を抱える腕から力が抜けた。
「ばかね。そういう意味じゃないのよ」
力なく首を振る。
「いや、俺が言いたいのはだな」
言葉をかぶせようとした手塚に、頬だけで笑って見せ、
「いいの。分かってる。ありがとね」
と畳んだ。
そう言われてしまえば、手塚は言を継げない。不承不承、口を噤む。その表情を見てさすがに悪いと思ったか、
「悪かったわ。あんたにフォローしてもらうつもりはなかったの。愚痴みたいに聞こえたらごめん」と言い添える。
手塚は憮然とした。
「愚痴なんか俺でよけりゃいつでも聞くけど。勝手に話を仕舞うなよ」
そりゃ、俺はお前に比べたら全然弁なんか立たないし、と多少拗ねモードで言ってから、
「俺はただ、お前も綺麗だろうなって思っただけだ。結婚式のドレスを着たら。お前は少女趣味って笑うかもしれないけどな、きっとお姫様みたいだろうって。……それだけだ」
とても目を見てなんか言えないので、柴崎の白いつま先を見ながら呟いた。
数秒後、
「ありがと」
ひどく小さな声が返ってきたので、思わず顔を上げたら、「見るな」と言って柴崎が膝に突っ伏した。
長い黒髪が背中から前に滑り落ちる。
「見るんじゃないわよ。見たら殺す」
噛みつかんばかりに吼える。
分かりやすすぎる照れ隠しに、手塚は相好を崩した。
思わず手を伸ばし、柴崎の頭に触れた。ぴくっと一瞬柴崎の肩が跳ねたが、手塚の手をのけようとはしなかった。
撫でられるままに任せた。
「お前の評価は、意外とお前が一番低く見繕ってるのかもしれないな」
そこでようやく柴崎が顔を上げる。
手塚の手は、柴崎の頭に載せられたままだ。
「……それってどういう意味?」
「言葉のまんまの意味だよ」
自己評価が案外低い。前もそうだった。かなり昔の話になるが、郁が未来企画の兄の陰謀で査問に遭ったときだ。朝比奈という慧の部下が柴崎に接近した。計画は明るみになって、決別を宣言した際、柴崎は言ったのだ。必要があるならハニートラップを仕掛けられるだろうと。
そのときは笠原をダシにして諭したのだったが。いやあれは諭したうちには入らないか……。
普段、自信家で、隙を見せない女だけに、随分気弱な顔を見せるんだなと思ったことを覚えている。
「なんか、やな感じ、あんた」
なにこの見透かされてる感。っていうか、手のひらの上でいい子いい子とあやされてる感じ。
そのくせ全然不快じゃないっていうか、むしろ撫でられてるのか嬉しいっていうか。
柴崎は俯いたままだ。
完全、拗ねた柴崎が可愛くて、手塚は柔らかい声で囁いた。
「お前は大丈夫だよ。ちゃんと幸せになる」
その資格がある。と断言した。
柴崎はのろのろと、手塚に視線を向けた。
手塚はその顔を見て、うろたえた。
夜の湖面のような真っ黒な目で、まっすぐ自分を見たから。いや、まばたきもせず、食い入るように見つめるから、うろたえた。
動揺したのを見せても、柴崎は目を逸らさなかった。息を詰めてまじまじと見つめる。
手塚の心臓が妙なリズムで鳴った。
「あ、いや」
さっと手を引く。まるで熱いものでも触ったかのように。柴崎の頭から。
置き所に困って、身体の後ろに引いた。
ぎゅっと握る。
その間も、柴崎は手塚から視線を離さない。まるで見えない力で惹きつけられているかのように。
「な、なんだよ」
手塚が言うと、不意に泣きそうに柴崎が顔を歪めた。
資格があるとか言って、と前置きしてから柴崎が手塚を睨んだ。
「……俺が幸せにしてやるとは、言ってくれないのね」
え。
瞬時にして頭が真っ白になった。それって、
――え?
完全なるブランク。
その顔を見て柴崎が満面の笑みを浮かべた。胸の前でちいさく拍手。
深夜の両隣の部屋を気にした風に。
「やったわ。引っかかったわね」
けらけらと笑う。手塚はその場に崩れそうになった。
「……なんだよ、引っ掛けかよ」
きついぜ。とぼやいてから、はあー、と長いため息が漏れる。
胡坐のままがくりとうなだれた手塚に、追い討ちのように柴崎は言った。思わず見とれてしまうほどの艶やかな笑みで。
「あんたがあたしを慰めようだなんて、百年早いのよ、憶えておきなさい」
【5】へ
web拍手を送る
メッセージボード
通販ラインナップ
落ち着かない様子で固まっていた手塚が、ふと、くん、と動物のように鼻を鳴らしたのを柴崎は見逃さなかった。
「なに?」
「ん、別に。なんか、匂うなって」
え。柴崎の顔が曇る。
「くさい? この部屋」
慌てて手塚が否定。
「そうじゃなく。……良い匂いがするなって。女の部屋だからかな」
微妙に目を逸らしつつ言う手塚に、内心なあんだと柴崎が胸をなでおろす。
「人の部屋に転がり込んできて、くさいとか抜かしたら蹴るところよ」
「決して転がり込んだわけじゃないが、誤解があったら謝る」
やんわり訂正してやる。と、そこはスルーして、
「きっとそれ、アロマよ。今焚いてるキャンドルの」
「アロマ?」
手塚の視線が卓上へ映る。じりじりを身を焦がしつつ、赤い炎を生み出すろうそくが置かれている。
今は懐中電灯をオフにしてあるため、部屋の明かりはそれだけ。
「笠原の披露宴で使ったの、もらったのよ。一本だけ。まさかこんな使い道があるとは思わなかったわ」
「なるほどな」
「きれいだったわよねー。笠原。あんなに化けるんなら、俺が先に掻っ攫っておけばよかったって陰で臍を噛んでたやつらが同期で結構居たわよね」
おかしそうに笑う。
炎に照らされた笑顔が見られて、手塚もつい顔がほころんだ。
「女は怖いな。別人みたいだったな」
「あったりまえでしょー。誰があの子のウェデイングドレスやカクテルドレスを選んだと思ってるの。このあたしよ。誰もが垂涎ものの花嫁に仕上げてやったわって自負はあるわね」
「垂涎もの、って、お前な」
表現がもっとなんとかならんのかと苦言。
「言っとくけど俺は陰で臍なんか噛んでないからな」
「アンタの嗜好は例外なんだって」
「お前が俺の女の嗜好を知ってるのか」
何気なく聞き返したら、柴崎が虚を衝かれた顔になった。
あれ、と思う間もなく、勝手に口を言葉が突いて出る。
「お前も似合いそうだな。ああいう結婚式の綺麗なドレス」
お姫様みたいな、という最後が余計だったらしい。
柴崎が吹き出した。
「なにそれ。王子様発言の笠原の影響? おひめさまとか、あんたの口から、ありえなーい」
憎まれ口を叩く。指摘され、手塚は赤くなった。
「悪かったな」
「悪くはないわよ。でも折角だけどあたしは似合わないわよ。笠原と違って」
その発言に手塚は首を傾げる。
「そうか? そんなことはないと思うが」
柴崎はパジャマの裾から出た足首を抱え込んだ。膝の上におとがいを乗せる。
「結婚とか興味ないしね。願望ももってないし。ドレスとか、縁遠い話だわね。ああいうのは笠原みたいにかわいい女の子限定よ」
「そうか?」
「そうよ、理想の王子様追いかけて、その王子様を振り向かせてるため身体を張ってひたむきに努力してっていう女の子しか、幸福は微笑んじゃくれないのよ」
そっけなく言う。手塚はなんと返せばいいのか困る。
微妙に話が自分の苦手方向に逸れてしまったことに気づく。
居心地の悪い沈黙が流れた。
「でもそんな決め付けたもんでもないんじゃないか」
逡巡のあと、ためらいがちに手塚が口を開く。
「そんな、神様は狭量じゃないと思うぞ。笠原みたいに身体張らない奴は幸せにしてやらないなんて、普通の女にはきついだろ。みんながみんな、戦闘職種じゃなんだし」
それが手塚なりに慰めてくれていると分かり、柴崎は脚を抱える腕から力が抜けた。
「ばかね。そういう意味じゃないのよ」
力なく首を振る。
「いや、俺が言いたいのはだな」
言葉をかぶせようとした手塚に、頬だけで笑って見せ、
「いいの。分かってる。ありがとね」
と畳んだ。
そう言われてしまえば、手塚は言を継げない。不承不承、口を噤む。その表情を見てさすがに悪いと思ったか、
「悪かったわ。あんたにフォローしてもらうつもりはなかったの。愚痴みたいに聞こえたらごめん」と言い添える。
手塚は憮然とした。
「愚痴なんか俺でよけりゃいつでも聞くけど。勝手に話を仕舞うなよ」
そりゃ、俺はお前に比べたら全然弁なんか立たないし、と多少拗ねモードで言ってから、
「俺はただ、お前も綺麗だろうなって思っただけだ。結婚式のドレスを着たら。お前は少女趣味って笑うかもしれないけどな、きっとお姫様みたいだろうって。……それだけだ」
とても目を見てなんか言えないので、柴崎の白いつま先を見ながら呟いた。
数秒後、
「ありがと」
ひどく小さな声が返ってきたので、思わず顔を上げたら、「見るな」と言って柴崎が膝に突っ伏した。
長い黒髪が背中から前に滑り落ちる。
「見るんじゃないわよ。見たら殺す」
噛みつかんばかりに吼える。
分かりやすすぎる照れ隠しに、手塚は相好を崩した。
思わず手を伸ばし、柴崎の頭に触れた。ぴくっと一瞬柴崎の肩が跳ねたが、手塚の手をのけようとはしなかった。
撫でられるままに任せた。
「お前の評価は、意外とお前が一番低く見繕ってるのかもしれないな」
そこでようやく柴崎が顔を上げる。
手塚の手は、柴崎の頭に載せられたままだ。
「……それってどういう意味?」
「言葉のまんまの意味だよ」
自己評価が案外低い。前もそうだった。かなり昔の話になるが、郁が未来企画の兄の陰謀で査問に遭ったときだ。朝比奈という慧の部下が柴崎に接近した。計画は明るみになって、決別を宣言した際、柴崎は言ったのだ。必要があるならハニートラップを仕掛けられるだろうと。
そのときは笠原をダシにして諭したのだったが。いやあれは諭したうちには入らないか……。
普段、自信家で、隙を見せない女だけに、随分気弱な顔を見せるんだなと思ったことを覚えている。
「なんか、やな感じ、あんた」
なにこの見透かされてる感。っていうか、手のひらの上でいい子いい子とあやされてる感じ。
そのくせ全然不快じゃないっていうか、むしろ撫でられてるのか嬉しいっていうか。
柴崎は俯いたままだ。
完全、拗ねた柴崎が可愛くて、手塚は柔らかい声で囁いた。
「お前は大丈夫だよ。ちゃんと幸せになる」
その資格がある。と断言した。
柴崎はのろのろと、手塚に視線を向けた。
手塚はその顔を見て、うろたえた。
夜の湖面のような真っ黒な目で、まっすぐ自分を見たから。いや、まばたきもせず、食い入るように見つめるから、うろたえた。
動揺したのを見せても、柴崎は目を逸らさなかった。息を詰めてまじまじと見つめる。
手塚の心臓が妙なリズムで鳴った。
「あ、いや」
さっと手を引く。まるで熱いものでも触ったかのように。柴崎の頭から。
置き所に困って、身体の後ろに引いた。
ぎゅっと握る。
その間も、柴崎は手塚から視線を離さない。まるで見えない力で惹きつけられているかのように。
「な、なんだよ」
手塚が言うと、不意に泣きそうに柴崎が顔を歪めた。
資格があるとか言って、と前置きしてから柴崎が手塚を睨んだ。
「……俺が幸せにしてやるとは、言ってくれないのね」
え。
瞬時にして頭が真っ白になった。それって、
――え?
完全なるブランク。
その顔を見て柴崎が満面の笑みを浮かべた。胸の前でちいさく拍手。
深夜の両隣の部屋を気にした風に。
「やったわ。引っかかったわね」
けらけらと笑う。手塚はその場に崩れそうになった。
「……なんだよ、引っ掛けかよ」
きついぜ。とぼやいてから、はあー、と長いため息が漏れる。
胡坐のままがくりとうなだれた手塚に、追い討ちのように柴崎は言った。思わず見とれてしまうほどの艶やかな笑みで。
「あんたがあたしを慰めようだなんて、百年早いのよ、憶えておきなさい」
【5】へ
web拍手を送る
メッセージボード
通販ラインナップ
映画みて手柴不足だー!!ってなってたのでww
あー柴崎かわいい☆☆☆
手塚も手塚だし…
部屋の隅で隠れてみているのは、楽しい二人です(^^)
映画はDVDになるのを待つことにしました。
というのも、小娘はもともと堂上好き。
私はSPからの岡田くん好き。
二人してもだえまくっているので、映画館では危険だろうと意見が一致しました(^^;)
パンフレットだけは買ってきました!
評判もいいので、楽しみ楽しみです!