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私という世界でたった一つの物語

野口英世とその母 その2

2011-07-17 | 写・画・絵・詩・物語

月日は淀みなく流れてゆく。みつの涙ぐましい働きでシカもいつしか七歳になった。この時、父の善之助が猪苗代の町の代官屋敷に奉公しておると教えてくれる人があった。これを知ったシカは、親に会いたい一念から一里半の野道を唯一人とぼとぼと猪苗代まで出かけて行った。

尋ね当てた代官屋敷のいかめしい門構えに、シカは気後れがして入りかね、幾度か門を行きつ戻りつしているシカの姿を不審に思った門番の老爺がシカを優しく労わって、親を慕う幼い娘の心根に涙しながら、その事を奥に取り次いでくれた。これを聞かれた代官の奥方はシカをいとほしく思われ、奥に呼び入れて数々のお土産をくだされた上に、善之助にニ、三日お暇さへ出されたのであった。懐かしい父に手を引かれながら、いそいそと帰途についたシカの喜びはどんなものであったろうか。朝から晩までシカは父のそばにまつわりついて離れようともしなかった。

喜びの数日が経った後はまた祖母一人、孫一人の淋しい日が続いた。シカが八歳になったとき、打ち続く苦労を過労のために、祖母みつはどっと病の床に臥し、これまでのように元気に立ち働くことができなくなってしまった。早く両親の手を離れた淋しいシカは今また杖とも柱とも頼む祖母に病みつかれてしまった。

みつの念ずる観世音の慈悲はまだこの哀れな二人の上に差し伸びられてはこないのであろうか。なんとかしておばあちゃんを助けてあげねばという心が幼いシカの心に湧き起こってきた。シカは進んで近くの農家に子守り奉公に出て、そして手に入る僅かな給金で祖母を助けようと思い立ったのである。年よりは大人びていたとはいってもシカは僅か八歳になったばかりの少女である。

どれほども給金がもらえるというわけではなかったのであるが、今のシカにとって大恩のある祖母にかえし得る道は、これより外にはなかったのであろう。しかしシカの奉公した農家の内儀は村でも名高いやかまし家で、今まで三日と奉公人の居付いたことのない家であった。

朝から晩まで子守りに使い走りに野良仕事に口やかましく罵りながら、シカをこき使うのであった。暇を見ては家に帰って祖母の看病がしたいと思ったシカのやさしい願いはこうして見事に打ちひしがれてしまった。この痛ましいシカの様子を見かねて、付近の人々がそうっと渡してくれるお菓子などをシカは一口でも時分で食べようとはしないで、それを祖母のために持ち帰るのであった。

「おシカ、有難うよ おばあちゃんはな、これを食べたらきっと元気が出てくるだろうよ」

と涙と共に押し頂く祖母と、その祖母の喜ぶ様を嬉しそうに見入って居るシカと、ああ家こそ荒れたれ姿こそ貧しけれ、なんという尊い光景であったろうか。祖母の念じた観音の慈悲の手はわれらの思いもかけぬ形になって、現れてき始めたのである。

どんなに働いても誉められるということのないシカはそれを自分の一生の修行と心得て働き通した。しかし同じ年頃の女の子が村の稲荷堂の法師について、手習いを始めておるのを知った時は、自分にそんなことを出来る暇もなければ、費用もないだけに羨ましく思われてならなかった。何とかしてかな文字だけは覚えたいと思ったシカは、ある日その法師に頼み込んでお手法を書いてもらうことが出来た。

シカはその手本を肌身離さず、子守りをする暇などにぢっと見入っては筆法を覚えるのであった。

つづく

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