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私という世界でたった一つの物語

野口英世とその母 その1

2011-07-16 | 写・画・絵・詩・物語

これから昭和の雑誌に書いてあったものを紹介していこうと思いました。
昔の字体や表現でわかりずらいところがあるのですが、なんとなく情感豊かな文体が心に入ってきます。こういうのもいいかなと思います。



嘉永の頃、やがて黎明日本の姿が照らし出されようとする時代の事であった。

名にし負う磐梯の山の懐に抱かれた猪苗代湖の、それも西の片ほとり三城潟といふ小さなに、野口といふ貧しい農家があった。杖とも柱とも頼む父親の岩吉は、百姓仕事を嫌ってか、早くから武家奉公に出て留守がちであり、家を守るのは母親のみつと娘のみさ2人、僅かな田畑を耕して、どんなに働き通して見たところで、家運の興隆はなく、みつは苦労の明け暮れを送り迎入っていた。

こうした中にみつが唯一心の頼りとしたものは観世音のお慈悲にすがる信仰であった。苦しいにつけ、嬉しいにつけ、みつは三城潟から一里ばかりの中田観世音の方を伏し拝むのであった。やがて年頃になったみさに隣村から善之助という婿を迎えた。その翌年の嘉永六年には孫娘のシカが生まれて、これでどうやら野口の家もやって行けそうだと思ったのも束の間、どちらのわがままからか、みさと善之助との間に諍いが絶えなかった。そしてあろうことか、シカの四歳の時、みさはついと家出してしまった。家附きの妻に家出をされて辛抱の出来ようはずもない、善之助も亦姿を隠してしまったのであった。

一時に二人の働き手に逃げ出されたみつはいたいけなシカを残されて途方に暮れたのであったが、併しそのいたいけなシカの姿を見るにつけてもみつはぢっとしては居られなかった。すべてを雄々しくも立ち上がった。忙しい野良仕事の暇暇には湖に出て海老を捕り、それを売り歩いて暮らしの足しにしたりした。期限よく遊びに出たシカが、泣き出しそうな顔をして帰って来ることがあった。

子供心にも同じ年頃の娘たちが父親からもらったとか、母親に着せてもらったとか言って珍しい玩具や新しい着物を着ているのを羨ましくも思うてのことであった。

「おばあちゃん、うちのお母ちゃんは何日(いつ)帰って来るの?」

祖母に取りすがるやうにして泣きながらたづねるシカを、みつは優しく抱きしめて

「お母ちゃんはもう直(すぐ)に帰って来るよ。たくさんお土産を持って帰って来るからさ、泣かないで遊んでおいで」

「ほんと?お母ちゃんすぐに帰るの?」

と飛び上がるやうに喜んで出て行くシカの後姿、みつは涙にかすむ目に見送りながら、その手はいつか中田観音の方に向かって合わされていた。

「南無大悲観世音さま。このシカを哀れと思し召して、母親が一日も早く帰って参りますように、お助けくださいませ」とさすがに気丈な働き手のみつも孫いとほしさの為に泣き伏すのであった。

しかしこうしたみつの涙の祈りも容易には聞き届けられなかった。みさのゆくえは依然として手掛かりがなかったのであるが、しかしそれはただ人間の小さな心で、形に現れたもののみを見ることから起こる大きな誤解であった。

シカという貧農の娘を通して大きな貴い生命を創造するために、この時すでに観世音の博大な慈悲の御手がこのみつの切なる願いに応えて静かにさしのべられていたことを、恐らくはみつ自らも、それを知り得なかっただけのことである。母親恋しさに耐えかねたシカは、押入れから一枚の古着を引き出してそれに包まって寝るのが常であった。

「シカよ、何でそんな汚い物を出して来た?」

と尋ねる祖母に、「これお母ちゃんの匂いがするんだもの、あたしお母ちゃんに抱っこして寝るの!」

と恥ずかしそうに答える哀れなシカのために、みつは夜仕事の手を忙しく働かせながら、習い覚えた観音経を読誦し続けるのであったが、その声は母の面影を幼い心にえがきながら、いつしか寝入ったシカの夢の中に滲み入って、知らず知らずの間に観音の信仰を植え付けて居たのであった。

つづく


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