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人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
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私という世界でたった一つの物語

野口英世とその母 その4

2011-07-26 | 写・画・絵・詩・物語

シカといえども女である。両親も夫も頼みにならぬただなかに生まれて来たこの清作をシカはしっかりと抱きしめ喜びに震えた。

この子をこの清作をこそ立派に育てて野口の家を興さねばとシカは嬉しく勇み立つのであった。ああしかし、シカのこの喜びも長くは続かなかった。清作が三歳になった晩春(晩春といってもこの雪深いこの地方のこと、大きな炉には赤々と薪(まき)が燃え盛っていた)のある日暮れのこと野良仕事から帰ったシカは、清作を温かい炉の傍らに下ろして、夕食の支度に裏の畑に出たと思う間もなく、家の中から清作の狂うような泣き声が響いてきた。馳せ帰って見る無惨な光景!清作は炉の中に転がり込んで左の手足を、ぐさと燃え盛る炎の中に突き込んでいたではないか。シカが生命(いのち)と頼んだ愛し子清作の思わぬこの大火傷。苦痛に泣き狂う愛し子を抱いて、じっと座っているシカの両眼からは涙が溢れている。

思うても見よ、シカ甘六年の越し方は、それは正しく苦しみの連続であった。よくぞ今日まで耐え忍んだと思われるのに、またしても振りかかるこの大難である。けれどもシカの頬を流れている涙は人を怨み世を呪うの涙でもなかった。身の重なる不幸を嘆く悲しみの涙でもなかった。それは子に対する母親の不注意を詫び入る悔恨の涙であったのである。

「おお、痛かろう痛かろう。かんべんしておくれ。母ちゃんが悪かった、悪かった。」

と詫びながらも、この大火傷を医師に診せる力もない我が身の不甲斐なさを悲しむのであった。それから二十数日の間、シカは清作を抱いたまま、床の上に座り通して、僅かに付近の人々の情けで与えられた薬で治療をしながら心の中では中田観世音を念じ続けていた。打ちひしがられたシカの胸の中では、そうすることがただ一つの慰めでもあり、また唯一の希望でもあった。憂きことのなほも我身にかかれかし、唯、何ものの力を以ってしてもシカのこの信念を打ち破ることは出来なかったのである。

シカの懸命の介抱でとにかく、清作の火傷は癒った。が、「左手の手首から先は赤黒く爛(ただ)れて五本の指の内:親指は腕首の脈所に、中指はてのひらに、皆一つに癒着して、手先はすりこぎのように」なってしまった。それ以来:シカの清作に対する愛の奉仕は火の如き活動となって現れた。

「手ん棒、手ん棒」

と心なき村の童(わらべ)たちが、清作にあざける声を聞くたびに、母としての自責の念は、やがて奮闘の大きな原動力となって来た。

「清作は一生自分の手で養い通す」というのがシカの覚悟となって来た。その頃、猪苗代の湖に夜な夜な幽霊が出るという噂がパッと付近に広まった。とうとう日が暮れると、そのあたりを通る人が無くなってしまうという騒ぎになってしまった。そこで武士上がりの数名の人たちが、おもいきって一夜を湖畔にがんばっていると、果たせるかな暗黒の真夜中に湖上にぢゃぶぢゃぶと水を掻く音がする。

そら出た張り切って待ち受けている人々の前に現れた姿は怪しい化け物ではなくて、海老を捕りに来たシカの現実のそれであったのである。

「よく、この真夜中に!」と驚きの問いに対して、

「なんの、私には観音様が守っていて下さるので!」

とシカは答えたのであるが夜明け前から、一日中を働き通して夜の仕事を一人前に仕上げた後で、なほ哀れな清作の上を思う親心からの海老捕りであったのである。ああ、弱き者よ、汝の名は女なりと西欧の詩人は歌っているのであるが、その弱き女、しかも無学な女であるシカに何者がこの強き尊さを植え付けたのであろうか。

いうまでもなく、母という名の導きは、あったではあろうけれど、その母という名の上に更に疑うことを知らぬ信仰の博大な力のあったことを私共は見逃してはならないと思う。


つづく


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