本日も職場で過ごしました
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働ける場所のあることに感謝します。
そもそも自粛しないといけないようなことは、平常でも自粛するべき事柄であるはず。
今回のように 誰もが知り得るニュースでなくても
いつも どのような時も 世界中のすべての方々が 一瞬でも同時に笑顔でいられる瞬間はありえない。
(だからこそ、そういう瞬間が一瞬でもあってほしいと願うんだけど・・・
)
いつまでだったらよいとか いつまではいけないとか・・・
自粛すべきことは 本当だったら いつまでもいけないのですから。。。
だから 『Kuu-^-^』は 相変わらずです。
もしも「不謹慎」と思われる内容であったならば
都度 ご指摘いただきたいと思います m-・-m
私自身 これまでも(もしかしたら これからも・・・)
多くの方を傷つけてきたかも知れません。
先日もこのようなことがありました。
「○○さんにあの時はお世話になった・・・」と話す機会がありました。
しかし、その「○○さん」は その方にとっては宿敵のような人物でした。。。
「知らなかったとはいえ・・・」よい気持ちではなかったことと思います。
そのときは 大人な対応をしてくださり 私はまったく そのことに気づかずにいました
後日 真相を知り
「知らなかったとはいえ・・・ごめんなさい
」と謝罪しました。
(もちろん それを教えて下さったことに感謝しました。赦してくれたと思います^-^;教えていただかなかったら同じ過ちを繰り返して 何度もその方を傷つけただろうと思います
)
同様に 私は高校一年生の秋に父親を見送りました。
それまでは『孤児』や『遺族』の意味が 自分の立場に置き換えて想像して
気持ちを同じくできるように心がけてきたつもりでいましたが、
また そのように教育もされてきたと思いますが、
本当に想像できるようになったのは 同じく『遺族』と呼ばれるようになってからでした。
それでも まだ 母は健在で(人一倍パワフルママだったので^-^;余計にですが・・・)
両親を亡くされた方の哀しみは 想像することにとどまっていたと思います。
親族の喪失感は 深い
とてもとても 強く自信に満ち溢れていた方のお母様が亡くなられた後
「もうだめだ・・」と弱弱しくつぶやかれた時のことを 今でも覚えています。
その方のお父様は ずいぶん以前に他界されておいでだったのです。
こればかりは その時が来たら・・・いや その時までは きっと わからないものなのかもしれません。
わからなくてよいと思います。ずっと わからないままいられれば それは幸せです。
今は両親とも旅立ち 空の上の人になりました。
また 同様に 幼子を育てたパパやママの気持ちを 今の私は同じように架空想像するだけです。
(こちらは いつか 同じ体験ができるかもしれませんが・・・^-^;私自身のリミットもあるので もう無理かもしれませんが・・・)
すべてのことに同体験をしなくては想像できない乏しい人間にはなりたくありませんけれど
現実には 世の中の出来事すべて そういうものなのかもしれません。
すべての事柄に ピン!とこない人たちが周りにいたとしても それは無理のないことだと思います。
その方々を責める資格は誰にもないはず(鈍感な私が言っていると自己弁護のようで恐縮ですが・・・^-^;)
だけど 今日も 仕事をしながらも 今も被災地にいらっしゃる方々のことを思うと
胸が詰まり 言葉がつまり 涙が溢れます・・・・。
想像以上の現実が 当人には起こっていることを いつも想像します
私は 悲しみを 心に留めておくほどの精進ができていません
ぶつぶつとつぶやきますことを お許しください。
「元気にしっかり生きよう!」
これは 私自身への喝でもあります^-^
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働ける場所のあることに感謝します。
そもそも自粛しないといけないようなことは、平常でも自粛するべき事柄であるはず。
今回のように 誰もが知り得るニュースでなくても
いつも どのような時も 世界中のすべての方々が 一瞬でも同時に笑顔でいられる瞬間はありえない。
(だからこそ、そういう瞬間が一瞬でもあってほしいと願うんだけど・・・
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いつまでだったらよいとか いつまではいけないとか・・・
自粛すべきことは 本当だったら いつまでもいけないのですから。。。
だから 『Kuu-^-^』は 相変わらずです。
もしも「不謹慎」と思われる内容であったならば
都度 ご指摘いただきたいと思います m-・-m
私自身 これまでも(もしかしたら これからも・・・)
多くの方を傷つけてきたかも知れません。
先日もこのようなことがありました。
「○○さんにあの時はお世話になった・・・」と話す機会がありました。
しかし、その「○○さん」は その方にとっては宿敵のような人物でした。。。
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「知らなかったとはいえ・・・」よい気持ちではなかったことと思います。
そのときは 大人な対応をしてくださり 私はまったく そのことに気づかずにいました
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後日 真相を知り
「知らなかったとはいえ・・・ごめんなさい
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(もちろん それを教えて下さったことに感謝しました。赦してくれたと思います^-^;教えていただかなかったら同じ過ちを繰り返して 何度もその方を傷つけただろうと思います
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同様に 私は高校一年生の秋に父親を見送りました。
それまでは『孤児』や『遺族』の意味が 自分の立場に置き換えて想像して
気持ちを同じくできるように心がけてきたつもりでいましたが、
また そのように教育もされてきたと思いますが、
本当に想像できるようになったのは 同じく『遺族』と呼ばれるようになってからでした。
それでも まだ 母は健在で(人一倍パワフルママだったので^-^;余計にですが・・・)
両親を亡くされた方の哀しみは 想像することにとどまっていたと思います。
親族の喪失感は 深い
とてもとても 強く自信に満ち溢れていた方のお母様が亡くなられた後
「もうだめだ・・」と弱弱しくつぶやかれた時のことを 今でも覚えています。
その方のお父様は ずいぶん以前に他界されておいでだったのです。
こればかりは その時が来たら・・・いや その時までは きっと わからないものなのかもしれません。
わからなくてよいと思います。ずっと わからないままいられれば それは幸せです。
今は両親とも旅立ち 空の上の人になりました。
また 同様に 幼子を育てたパパやママの気持ちを 今の私は同じように架空想像するだけです。
(こちらは いつか 同じ体験ができるかもしれませんが・・・^-^;私自身のリミットもあるので もう無理かもしれませんが・・・)
すべてのことに同体験をしなくては想像できない乏しい人間にはなりたくありませんけれど
現実には 世の中の出来事すべて そういうものなのかもしれません。
すべての事柄に ピン!とこない人たちが周りにいたとしても それは無理のないことだと思います。
その方々を責める資格は誰にもないはず(鈍感な私が言っていると自己弁護のようで恐縮ですが・・・^-^;)
だけど 今日も 仕事をしながらも 今も被災地にいらっしゃる方々のことを思うと
胸が詰まり 言葉がつまり 涙が溢れます・・・・。
想像以上の現実が 当人には起こっていることを いつも想像します
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私は 悲しみを 心に留めておくほどの精進ができていません
ぶつぶつとつぶやきますことを お許しください。
「元気にしっかり生きよう!」
これは 私自身への喝でもあります^-^