昨年の今頃 どこで何をしていましたか?
私自身のことは、バックナンバーをたどれば 何をしていたか 振り返ることができますが・・
3月9日には、チャップリンのサイレント映画を京響の演奏で楽しんでいました。
(そうそう!今年のアカデミー賞は サイレント映画でしたね。)
まさか、その2日後に 未曾有の大災害が日本を襲うなんて
想像もしていませんでした。
その年の1月には祝賀会で
実に四半世紀の時を超えて音楽仲間達と再会したばかり
会場で再会した仲間の安否も心配されました
幸い連絡先を交換していた仲間達から 無事の知らせを受けたり
遠くにいても 日々 刻々と変化していく日常に
またしても無力な自分を情けなく思うのでした。
【できることから・・・】
私の日常は ここでお知らせしている通り
電気が止まったり、電話が止まったり
夏には団扇で扇ぐ生活で
決して左団扇には程遠い毎日だけど
それでも どうにかまだ 生かされていることに感謝しています。
阪神大震災の当時は 行く先々で暖かく接していただきながらも
毎日を過ごすことで 時間は過ぎてゆきました。
もしかしたら 今の方が生活レベルは低い^-^;
まぁ・・・それはよしとして。。。
震災とともに思い出されることは数々ありますが、
その中のひとつに 京響にはじめて出会った
三宮の神戸国際会館のコンサートがあります。
ここは 阪神大震災の4年後に、新しく建てられた建物です。
(そうそう!スタレビも ここでした)
どうして そのコンサートへ行くことになったのかは
忘れてしまいましたが^-^;
とにかくその場にいたのです。
そのときのマエストロは佐渡さんでした。
子供のためのヤングピープルズコンサート
来場のお子さん方には 指揮棒がプレゼントされていました。
客席で三拍子・・四拍子・・・と タクトを振るリトルマエストロたち
その アンコールで 不意に演奏された曲が
マスカーニ/「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲でした。
心に染み入り 何もかもが洗い流されていくような
なんともいえぬ静寂と
まだ 今は人生の途中なんだよ
ゆっくり 心をやすめていいんだよ
幕間なんだ
それほどまでの意味合いが あったかなかったかは問題ではなく
当時の私には そう感じられました。
それまで 張り詰めていた心の緊張を
静かに やさしくほぐして下さる
美しい 心のこもった演奏に
心打たれて とめどなく 涙が溢れ
鎮魂と誓いと感謝・・・
魂が揺さぶられる それはそれは美しい演奏でした。
あのひとときは 一生忘れることはないでしょう
その後、佐渡さん×シエナを初体験しました。
ああ・・・懐かしい
再び 呼び戻された記憶
しかし、その記憶の中には 忘れていく方がよいものもありました
あの震災を境に いくつものチェンジがありました。
新しい扉が目の前に現れた。
扉は探せばいつでも用意できたのかもしれないけれど
きっと あのまま 何も世界がかわらなかったら
いまだに 目の前に扉があっても気づかなかったかもしれません。
否応なしに開かれた・・・という状況は
私にとっては必要なことだった。
後付で振り返ると、全てのことは いつも布石があり
必要なことを 神様は準備してくださっているのかな・・・
とも 思えます。
何を選んで 何をつないでいくのか
そうして 人は年を重ねていくのでしょう。
この度の 大災害は 日本にとっては衝撃でした。
あの頃の経験から、身の回りのものや ライフラインの復旧支援で
目に見える日常は 回復していくように見えてくることは想像できました。
だけど、一人ひとりの心の闇は 時間が経っても停まったまま
思うように歩いていってはくれません。
「こんなことやっていていいんだろうか・・・」
それは ネットでも地上でも
いろんな場面で
何度も見聞きした言葉です。
「こんなこと」と思うこと・・・
それは、あの頃の私が 一曲の演奏に救われたように
いつか きっと、必要なときがやってくる
いつでも「こんなこと」を必要とした人がやってきたときに
いつでも、どうぞ ^ -^_□
と提供できるように
固く動かなくなった機械仕掛けの体を
また動かせるように・・・・
誰かのために・・・が、回りまわって自分のために・・であったり、
まだ見ぬ誰かのためになったりするから不思議ですね。
この一年間 長い間 心の中に封印してきた懐かしい想い出のコマをつなぎ合わせて
8ミリフィルムを復元していくような作業を繰り返しました。
皆さんが想像されていた以上に 私にとってのこの作業は
『荒療治』だったことを お伝えしておきます(笑)
mimozaの「こんなこと(kuu-^-^)」は道楽ですけれどね(笑)
生存確認に ご活用いただければ幸いです。
今日から このPC質屋さんに入院です
退院は15日以降の予定
さぁ・・また がんばろ~
私自身のことは、バックナンバーをたどれば 何をしていたか 振り返ることができますが・・
3月9日には、チャップリンのサイレント映画を京響の演奏で楽しんでいました。
(そうそう!今年のアカデミー賞は サイレント映画でしたね。)
まさか、その2日後に 未曾有の大災害が日本を襲うなんて
想像もしていませんでした。
その年の1月には祝賀会で
実に四半世紀の時を超えて音楽仲間達と再会したばかり
会場で再会した仲間の安否も心配されました
幸い連絡先を交換していた仲間達から 無事の知らせを受けたり
遠くにいても 日々 刻々と変化していく日常に
またしても無力な自分を情けなく思うのでした。
【できることから・・・】
私の日常は ここでお知らせしている通り
電気が止まったり、電話が止まったり
夏には団扇で扇ぐ生活で
決して左団扇には程遠い毎日だけど
それでも どうにかまだ 生かされていることに感謝しています。
阪神大震災の当時は 行く先々で暖かく接していただきながらも
毎日を過ごすことで 時間は過ぎてゆきました。
もしかしたら 今の方が生活レベルは低い^-^;
まぁ・・・それはよしとして。。。
震災とともに思い出されることは数々ありますが、
その中のひとつに 京響にはじめて出会った
三宮の神戸国際会館のコンサートがあります。
ここは 阪神大震災の4年後に、新しく建てられた建物です。
(そうそう!スタレビも ここでした)
どうして そのコンサートへ行くことになったのかは
忘れてしまいましたが^-^;
とにかくその場にいたのです。
そのときのマエストロは佐渡さんでした。
子供のためのヤングピープルズコンサート
来場のお子さん方には 指揮棒がプレゼントされていました。
客席で三拍子・・四拍子・・・と タクトを振るリトルマエストロたち
その アンコールで 不意に演奏された曲が
マスカーニ/「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲でした。
心に染み入り 何もかもが洗い流されていくような
なんともいえぬ静寂と
まだ 今は人生の途中なんだよ
ゆっくり 心をやすめていいんだよ
幕間なんだ
それほどまでの意味合いが あったかなかったかは問題ではなく
当時の私には そう感じられました。
それまで 張り詰めていた心の緊張を
静かに やさしくほぐして下さる
美しい 心のこもった演奏に
心打たれて とめどなく 涙が溢れ
鎮魂と誓いと感謝・・・
魂が揺さぶられる それはそれは美しい演奏でした。
あのひとときは 一生忘れることはないでしょう
その後、佐渡さん×シエナを初体験しました。
ああ・・・懐かしい
再び 呼び戻された記憶
しかし、その記憶の中には 忘れていく方がよいものもありました
あの震災を境に いくつものチェンジがありました。
新しい扉が目の前に現れた。
扉は探せばいつでも用意できたのかもしれないけれど
きっと あのまま 何も世界がかわらなかったら
いまだに 目の前に扉があっても気づかなかったかもしれません。
否応なしに開かれた・・・という状況は
私にとっては必要なことだった。
後付で振り返ると、全てのことは いつも布石があり
必要なことを 神様は準備してくださっているのかな・・・
とも 思えます。
何を選んで 何をつないでいくのか
そうして 人は年を重ねていくのでしょう。
この度の 大災害は 日本にとっては衝撃でした。
あの頃の経験から、身の回りのものや ライフラインの復旧支援で
目に見える日常は 回復していくように見えてくることは想像できました。
だけど、一人ひとりの心の闇は 時間が経っても停まったまま
思うように歩いていってはくれません。
「こんなことやっていていいんだろうか・・・」
それは ネットでも地上でも
いろんな場面で
何度も見聞きした言葉です。
「こんなこと」と思うこと・・・
それは、あの頃の私が 一曲の演奏に救われたように
いつか きっと、必要なときがやってくる
いつでも「こんなこと」を必要とした人がやってきたときに
いつでも、どうぞ ^ -^_□
と提供できるように
固く動かなくなった機械仕掛けの体を
また動かせるように・・・・
誰かのために・・・が、回りまわって自分のために・・であったり、
まだ見ぬ誰かのためになったりするから不思議ですね。
この一年間 長い間 心の中に封印してきた懐かしい想い出のコマをつなぎ合わせて
8ミリフィルムを復元していくような作業を繰り返しました。
皆さんが想像されていた以上に 私にとってのこの作業は
『荒療治』だったことを お伝えしておきます(笑)
mimozaの「こんなこと(kuu-^-^)」は道楽ですけれどね(笑)
生存確認に ご活用いただければ幸いです。
今日から このPC質屋さんに入院です
退院は15日以降の予定
さぁ・・また がんばろ~