鈴木真奈美さんの
7/16のブログ
に、救われました。
ここずっと、
修行の相手(笑)のパートナーとの課題に囚われたり、
失職した期に、心機一転、新たな職を求めている中、
いろんな不安におわれ、
お金もあるし、かわいい子供もいるし、家もあるし、安定した職もあるのに、
どうして私は今ハッピーじゃないんだろう。
と、思っていた。
家もある、お金もある、健康だってとりもどしたあの人、
なのにどうして、あの人は幸せそうじゃないんだろう?って
思っていた。
恵まれているはずなのに、
感謝の気持ちもあるはずなのに、
どうしてハッピーじゃないんだろう。
ハッピーって何さ、
あの人はどうしてハッピーに見えるんだろうって思ってた。
そんな時、鈴木真奈美さんが、
「大企業につとめてる・正社員・持ち家・結婚・子供・好きな仕事・貯金」
ということと、「幸せや安定」の、因果関係はないと教えてくれてた。
私も、本当にそう思っていた。
だって、いわゆるエリートといわれる人が、覚せい剤でつかまったことを
スピリチュアルカウンセラーの江原さんが取り上げていた時、
私も、はたからみたら、何もかもある、しあせそうな人がどうして、そうなってしまうのか?と
考えたことがあったから。
鈴木真奈美さんが、
足りないものや不安要素に目を向けて、
自分を責めたり、心を痛めるのではなく、
今の幸せを大事にし、今を楽しもうって、
書いてくれたのをみて、
ほんとうに、
わたしも、
そう思った。
思えた。
きっと、もし、私が、
これ以上、
何かを得ても、
それが成果のみである場合、
喜びとは違うのかもしれない。
この殺伐とした現代で、
本当の幸せは、
心の幸せのこと。
なんていうのかな、
日々の暮らしのなかで、
ハッピーを感じる能力
ハッピーを感じようとする神経
が、大事なんだと思った。
もちろん、
せっかく得た、
成果を
大事にしながら、
今度は
自分の喜びを一番に考え、
一定の成果を得たことに、一区切りをつけ、
貧乏でも
貧乏じゃなくても、
毎日毎日、
楽しかった小学生のように
ハッピーにいること、
彼氏が、いても、いなくても、
ハッピーにいること、
お金がなくても、
あっても、
ハッピーにいること
真奈美さん曰く
足りないものや、不安に目をむけ、自分を責めたり、
こころを痛めるのではなく、
今の幸せを大事にし、
今を 楽しもう。
世界は広い。
と、教えてくれたことを大事にしようと思った。
足りなことや、不安は、不自由かもしれない
でも、
前の日記でも書いたように、
なにか欠けてるけれど、
それで、人を差別したり、自分を卑下しちゃだめなんだ。
自分を差別する人は、人を差別します。
自分を大事にできる人は、人も大事にできます。
私は、自分を差別し、
人を差別していたところがあったのかしれない。
ちがうよ。
人は、
鬱だって、病気だって、彼氏いなくなって、何度離婚していたって、正規職員じゃなくたって、
成果があげれなくたって、
ただ、
この世に
生きてるだけで素晴らしいということ。
悪事を働いたり、人に迷惑をかけることはよくないけど、
罪を憎んで人を憎まず、
許されないことだけど、
それが、
この世だから。
未熟者のオンパレードの世界が、この世だから。
がんばりやの私は、
がんばりやのあの人は、
がんばりやの誰かは、
成果をあげなければと思っていた。
でも、
本当は、
成果が一番でなくて、
成果と共にある、
喜び、
という、
あり方が大事なんだということ。
人として、
大事なことは
それぞれの足りないところに目をむけて、不安になったり、
自分を責めることでなくて、
幸せだなと感じる喜びがあるか。
ということなんだと思う。
だから私は、
毎日、
毎日、
小さなハッピーに目をむけて
小さなハッピーで喜び、
小学生の時のように、
はつらつと生きたいと思っています。
うまくまとめられないけど、
大事なことに気づけた気がする。
努力して気づいてきた成果。
まだ努力がいたらず、課題が多い成果。
とにかく、
足りないものや不安要素に囚われないで、
自分責めたり、心を痛めないで、
今の幸せを大事に生きたいんだ。
小さいなことでいいから
ハッピーになりたい。
自分で自分をハッピーにしたい。
そう、
私はハッピーになりたい。
いやなことが必ずあるけれど、
すぐに
ハッピーにしたい。
もう、とらわれないで、その不自由さに。
どんな不自由さがあっても、
私はハッピーになれるから
ハッピーだから
どんな不自由さがあっても、
あなたなハッピーになれるから
ハッピーだから。
鈴木真奈美さんありがとう☆