お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

このどうしようもない世の中で

2012年11月15日 | スピリチュアル
以下はあるアメリカ人を描いた、敬虔なクリスチャンが書いた詩。


Drones since the dawn of time

黄昏時を唸り声が裂く

Comepelled to live your sheltered lives

今のお前は保身に走るしか生きようがないのだろう

Not once has anyone ever seen

だから私が未だかつて誰も知らないほどの

Such a rise of pure hypocracy

驚くべきほどに純粋な偽善者を紹介してあげよう

I'll instigate I'll free your mind

きっとそいつにお前は洗脳されずにはいられないし、扇動されずにはおれない

I'll show you what I've known all this time

さあ、今こそこの私が手引きして、そしてこの真実を見せてやるとしよう


God Hate Us All

神はこの人間社会を憎んでいる、という真実を!

God Hate Us All

神はこの競争社会を憎んでいる、という真実を!


You know it's true God hate this place

皆、本当は薄々は感ずいているのだよ、神はこの世を嫌ってるってことを

You know it's true he hate this race

人類そのものを憎んでいるってことを

Homicide-Suicide

その証拠に・・・殺人や自殺は止むことがないだろう

Hate heals, you shuuld try it sometime

人が人を憎むのは止むことがないだろう、だからいつかお前も

Strive for Peace with acts of war

真の平和を生み出す術は戦争しかない・・と気づくのだ

The beauty of death we all adore

ほら、戦死を美化しよう、戦死者を賛美しようじゃないか 

I have no faith distracting me

そしておまえはついに自分の意思に全く沿わない信仰というものに疑念を抱く

I know why your prayers will never be answered

何故ならその信仰でおまえの祈りが聞き届けられたためしが無いだろう

何故ならば理由は簡単・・・いいか、実は、


God Hate Us All

神は人間社会を憎んでいるのだ!

God Hate Us All

神は競争社会を憎んでいるのだ!

God Hate Us All

神は人類そのものを憎んでいるのだ!

God Hate Us All

神はそもそも人類の祈りなど必要とはしていないのだのだよ!


Pessimist,Terrorist targeting the next mark

世の悲観論者、テロリスト達はもうすでに次の標的に狙いを定めているよ

Global chaos feeding on hysteria

いずれ世界全体が恐慌を来たし、人々はヒステリックに狂うだろう

Cut throat, slit your wrist, shoot you in the back fair game

喉を裂く者、手首を切る者が後をたたず、公正な取引なんてものは銃を向けることでしか成立しなくなる

Drug abuse, self abuse searching for the next high

人々はヤクでハイになり、「もっと、もっと」と更に快楽を求めて止まないようになる

Sounds a lot like heil is spreading all the time

この世は物狂いの叫びに満たされることだろう


I'm waiting for day the whole world fucking dies

こうなればいっそ世界中が狂い死にする様を見届けようじゃないか

I never said I wanted be God's disciple

俺は神のしもべになりたいなどと一度も言った覚えはないし

I'll never be the one to blindly follow

妄信、盲従などとは無縁だった


Man made virus infecting the world

だって世界を壊滅させるウィルスを作ったのは人だろう

Self-destruct humen time bomb

人間爆弾となって自己破壊を繰り返すのも人だろう

What if there is no God would you think the fuckin' same

そんな人という生き物を神が慈しむと思うのか

Wasting your life in a leap of blind faith

信仰のもたらす高揚感などは妄信にすぎない、だから何の意味もなさない


Wake the fuck up can't ignore what I say

俺の言ってることが間違っていないと思うだろう

I got my own philosophy

だったら早くおまえも目を覚ませ


I hate everyone equally

神の前には皆平等? 信じるものか!

You can't tear that out of me

神に見放されるのは悲しむべきこと? いや違うね!

No segregation-separation

つまはじきにされる? いいや、自らあえて袂を分かつのだ。そう・・・


Just me on my world of enemies

我こそ、この世でおのれ以外は皆敵だと知る者だ

I never said I wanted to be God's disciple

我こそ、これ以上神の言いなりにはならないと誓った者だ

I'll never be the one to blindly follow

我こそは! これ以上神を妄信しないと誓った者だ!

I'll never be the one to bear the cross-disciple

我こそは! 決して十字架を背負った神などに服従などしない者なのだ!



そう。 これは先のアメリカ大統領ブッシュを謳った詩です。

ブッシュ(パパ・ブッシュも)は「敬虔な」クリスチャンです。

僕がクリスチャンになる際に、一番頭を悩ませ、葛藤させたのがこの人でした。


今ではこの問題は「ある程度」自分の中では解決しています。(だから入信しました)

でも、この世界自体は、この問題を解決させるどころか年々悪くなっている様相を呈しています。


僕は、それでも信仰を捨てません。

信仰を捨てるならば死んだほうがマシだと真剣に考えています。

そして同じ信仰を同じように信仰する人たちこそ、本当の家族だと思っているのです。

アーメン

1週間後

2012年10月26日 | スピリチュアル
本日は早起きして、元気いっぱいで精神科へGO加速そーち!!
病院行くのにジメジメしちゃったらまるで病人みたいだもんね。 ・・・あ、病人なのか

1週間ぶりのクリニックは今日も大賑わいでございます(ざわ ざわ ざわ・・ ざわ ざわ ざわ・・)
割とすんなり順番が来て担当のS先生にこの1週間の状況報告。 
そして相談です。(これが肝心!

睡眠障害は最初こそ眠剤が効き過ぎて失敗したものの、その後はまったく問題なし。
きまったサイクルで睡眠が取れるようになってきている。(それだけで体の疲れ方が違う気がします)

あとは細かな相談・・・強迫観念とか被害妄想、情緒は安定してるかとか・・・を確認した上で、
結果として前回と同じお薬を今度は2週間分出してもらうことになりました

そうそう、お薬を出して貰う時に僕の前のオバちゃんが長くて長くて少し困りました
しかしここは精神科、そういう事って珍しくない。 
だから怒っちゃいけません

オバちゃん、どうも出して貰ったクスリの種類や量がいつもとは違うのに納得がいかない様子。
窓口の女性が一生懸命に「今回は担当先生の配慮で変わったのですよ・・」と説明するのだけど・・・・・・
どうもオバちゃんの頭の中には「いつもと同じクスリをいつもと同じよう貰わなければ」
というのがインプットされてるようで、だから「違うのは困る」と。

4回ほど堂々巡りの後に最後は担当先生に来てもらって直に説明、決着。
こういうトラブルで他の患者さんが「遅い!」とか言って怒ったりするのを僕は見たことがありません。
そういう微細なことは、ここにくる人たちは気にしないのだなぁ~・・・と

人によっては精神科は「悪い気を貰ってしまうような気がして・・」行きたくないと考えるものらしい。
ふーーーーん、僕にはそういうの、ないな

あ、でもたまに僕よりちょっと年配のサラリーマン風の人がいたりすると思わず肩を叩いてやりたくなります。
どんな苦しみを抱えているのか・・・そんなのは皆目判らないけれども。
頑張ってもらいたいです
僕は落第生だけど今も心はサラリーマンの味方なんです。

今日はこんなところかな。。。
風邪は順調に治りつつあります。
感謝。
アーメン

おまけ(涼平くん観てなごもう・・)




こう思う

2012年10月17日 | スピリチュアル
人は、天使にはなれない。
でも、天使のような人、にはなれるかもしれない。
俺も好きなアッシジのフランチェスコはそういう人だったと思うのだ。
十字軍の騎士として従軍し、負傷し心傷つき故郷に逃げ帰ったフランチェスコ。
死線をさまよった先にあったのは「出家」という選択だった。

多くの使用人を召し使う裕福な実家を捨て、両親に別れをつげ、出家したフランチェスコ。
彼は徹頭徹尾に清貧をつらぬき本当のキリスト者として生き抜いた。
(今現在のフランシスコ会はカトリック修道会随一の資産持ちだそうだが、それは後世の話)

俺はフランチェスコにあこがれる。
何度「出家したい」と思ったことか。
だけどその願いは弱かったと言われても言い返せない、俺は今でも俗世で生きているから。
俺は単に「天使のような人になりたいと思う者」だ。
だいぶんあやふやな、いいかげんな者だ。

しかしそれでも、どうやら俺はそれを目指した方がいいらしいのだ。
俺は普通には生きれない欠陥人間だ。
それは甘え。否定できない。それは逆に傲慢。否定できない。
でも現にまともには生きれなかった。
定職につかず、家庭ももたず。

人並みに焦燥や疑問を抱くことも多々ある。
人はそんなにスッキリ納得ずくで生きられないものだと思う。
みんな悩みながら生きている。(悩んでない人間はいない)
悩んだ先に見えてきたもの、それが「~者」になることだった。

但し、その為には何より忍耐が必要になる。(今までも必要だった)
物事に拘らず、権益確保のための自己主張を捨てるとそうなるのだ。
いわく、
「頭がおかしい」
「単なる偽善者だ」
「自己満足に逃げる負け犬」
これらの言葉や視線、あつかいが胸に突き刺さる。
満身創痍になることもめずらしくない。
でも、俺にはそういう生き方しかできないのだと悟ったのだ。(釈迦の言う「悟り」ではない)

つらい生き方。
だけど喜びは大きい。
それが一番自分に素直ということだから。
世の中を捨てるということではなく、自分の中の「欲」を捨ててしまうのだ。
もう半分はできている。
しかしもう半分、これが難しい。本当に難しい。試行錯誤の連続。失敗もある。

でもね、これが一番「ああ生きている。人生はすばらしい」と思えるから。
覚悟は何度も揺らぐし迷いはいつも混ざるけれど。

少しずつ、少しずつ。
そうやりながら歳を取れたらいいな。
それで充分。

アーメン

あたたかさは無償の愛・・・?

2012年10月11日 | スピリチュアル
気がついたことがある。

自分の中に燃えるもの・・
情熱というか、
やる気、というか、
向上心のような前向きな心、

自分の中がそういうもので満たされている時には、気持ちも自然と優しくなれる。
瑣末なことが目に入らなくなる。
矮小なものを簡単に許せる。(小物がそれなりに、小さく見える)
周りの人々にもそれは通じるみたいで、自然とその場が暖かい空気に満たされる感じ。

逆に心が冷えると駄目。
世の中の小物たちにいちいち腹が立つ。
とげとげしくなって喧嘩腰になる。
周囲にはそれは「寂しさ」や「孤独」と映るのではないか。

人間、一生、ずっと、あたたかでいることは無理なのだと思う。
しかし、常に「心がけること」はできる。
嘘でもいい、偽善でもかまわない、桜井章一じゃないけど、「あたたかきは万能なり」。

あれはどうも本当らしい。

でも、このあたたかくある・・・というのが案外難しいんだ。
何故か?

それもちゃんと考えた。
多分だけど・・・

そこには無償の愛が必要だからだ。
無償の愛は難しい。
本当に難しい。

でも、それに生涯をかける価値は十分にあると思う。




しかし、いつも、いつでも人間強くなれるわけじゃない
へこむことだって へこむことのほうが多い
それでも生きなきゃいけない
自分が生きれるようにする作業をするべきだ
それが修行なんだろうと思うからだ
修行は死ぬまで続く
それで、その上で、自分が不幸でも、軽蔑を受けようと、
自分より不幸で軽蔑を受けている人を助けなくちゃいけない
それが無償の愛だからだ
愛を受けずに、与えるだけというのは、相当に苦しい
ほとんどできないのではないか
でも、できなくても、めざすことは出来るんだと思う
めざせ、それが人生
イエスが言ってるのはそういうことだと思う
それが嘘じゃないことを証明するためにイエスは死んでみせた
会ったこと無いけど立派な人だと思うのだ
だから俺はキリスト教なのだ
「キリスト教会」教じゃない
いうなれば「イエス主義」だ
イエス主義を他人に伝えるために、どうすればいいのか悩む
教会勧誘ではないだろう
勧誘はしない けれど伝えたい
じゃあどうすればいい?
いま、ここで悩んでいる

不思議は気付き

2012年09月15日 | スピリチュアル
この前の聖書勉強会で内藤先生がおっしゃった事柄についてこのところ考えている。
それは「奇蹟」について。

イエス様のおこなった数々の奇蹟。
先生曰く、牧師でも事実と認識していない人々がいるらしい(少々意外)
先生は奇蹟を否定することに否定的なスタンスをとってらっしゃる
僕も同じで、かなりのパーセンテージで信じている

僕自身も幼少から不思議な体験をしてきたというのが大きいかもしれない。
もちろんイエス様のほどの奇蹟なんて無くて、かなり小規模にだけど
でもいくら小規模でもあったことは確かなので否定的になるのは無理なのだ。

だからといって、そういった現象・・奇蹟的な力そのものに価値を求めるのは違うと思う
そういった事象を自身の「喜びの記憶」としてあたためるのはOK
だけどそれを他人に開示したり、それ自体に価値を見出すのはNG
何故ならそれをやっちゃうと「オ○ム」になっちゃうからだ(←名前書くのさえ汚らわしい!)

霊を「見える」「見えない」で区別するということは、イコール「選民思想」であり、
「選民思想」は「差別」を生み出し、「差別」とはこれすなわちナチスだ。
ヒトラーが過度のオカルト好きだったのは決して偶然ではない!


僕はそういった現象を「道路標識」のようなものと捉えている
「気付き」を与えてくれて、自分の努力に陰ながら応援をしてくれるあたたかなモノ
それくらいの認識だ。

僕も人間だから、時にはその「気付き」に逆らってしまうこともある
そうすると決まって「ヒドい目」にあうのだ
そうと分かっていてもまたやってしまうのだけど
こんな出来の悪いやつにいつもありがとう聖霊たちよ
アーメン