人は、天使にはなれない。
でも、天使のような人、にはなれるかもしれない。
俺も好きなアッシジのフランチェスコはそういう人だったと思うのだ。
十字軍の騎士として従軍し、負傷し心傷つき故郷に逃げ帰ったフランチェスコ。
死線をさまよった先にあったのは「出家」という選択だった。
多くの使用人を召し使う裕福な実家を捨て、両親に別れをつげ、出家したフランチェスコ。
彼は徹頭徹尾に清貧をつらぬき本当のキリスト者として生き抜いた。
(今現在のフランシスコ会はカトリック修道会随一の資産持ちだそうだが、それは後世の話)
俺はフランチェスコにあこがれる。
何度「出家したい」と思ったことか。
だけどその願いは弱かったと言われても言い返せない、俺は今でも俗世で生きているから。
俺は単に「天使のような人になりたいと思う者」だ。
だいぶんあやふやな、いいかげんな者だ。
しかしそれでも、どうやら俺はそれを目指した方がいいらしいのだ。
俺は普通には生きれない欠陥人間だ。
それは甘え。否定できない。それは逆に傲慢。否定できない。
でも現にまともには生きれなかった。
定職につかず、家庭ももたず。
人並みに焦燥や疑問を抱くことも多々ある。
人はそんなにスッキリ納得ずくで生きられないものだと思う。
みんな悩みながら生きている。(悩んでない人間はいない)
悩んだ先に見えてきたもの、それが「~者」になることだった。
但し、その為には何より忍耐が必要になる。(今までも必要だった)
物事に拘らず、権益確保のための自己主張を捨てるとそうなるのだ。
いわく、
「頭がおかしい」
「単なる偽善者だ」
「自己満足に逃げる負け犬」
これらの言葉や視線、あつかいが胸に突き刺さる。
満身創痍になることもめずらしくない。
でも、俺にはそういう生き方しかできないのだと悟ったのだ。(釈迦の言う「悟り」ではない)
つらい生き方。
だけど喜びは大きい。
それが一番自分に素直ということだから。
世の中を捨てるということではなく、自分の中の「欲」を捨ててしまうのだ。
もう半分はできている。
しかしもう半分、これが難しい。本当に難しい。試行錯誤の連続。失敗もある。
でもね、これが一番「ああ生きている。人生はすばらしい」と思えるから。
覚悟は何度も揺らぐし迷いはいつも混ざるけれど。
少しずつ、少しずつ。
そうやりながら歳を取れたらいいな。
それで充分。
アーメン
でも、天使のような人、にはなれるかもしれない。
俺も好きなアッシジのフランチェスコはそういう人だったと思うのだ。
十字軍の騎士として従軍し、負傷し心傷つき故郷に逃げ帰ったフランチェスコ。
死線をさまよった先にあったのは「出家」という選択だった。
多くの使用人を召し使う裕福な実家を捨て、両親に別れをつげ、出家したフランチェスコ。
彼は徹頭徹尾に清貧をつらぬき本当のキリスト者として生き抜いた。
(今現在のフランシスコ会はカトリック修道会随一の資産持ちだそうだが、それは後世の話)
俺はフランチェスコにあこがれる。
何度「出家したい」と思ったことか。
だけどその願いは弱かったと言われても言い返せない、俺は今でも俗世で生きているから。
俺は単に「天使のような人になりたいと思う者」だ。
だいぶんあやふやな、いいかげんな者だ。
しかしそれでも、どうやら俺はそれを目指した方がいいらしいのだ。
俺は普通には生きれない欠陥人間だ。
それは甘え。否定できない。それは逆に傲慢。否定できない。
でも現にまともには生きれなかった。
定職につかず、家庭ももたず。
人並みに焦燥や疑問を抱くことも多々ある。
人はそんなにスッキリ納得ずくで生きられないものだと思う。
みんな悩みながら生きている。(悩んでない人間はいない)
悩んだ先に見えてきたもの、それが「~者」になることだった。
但し、その為には何より忍耐が必要になる。(今までも必要だった)
物事に拘らず、権益確保のための自己主張を捨てるとそうなるのだ。
いわく、
「頭がおかしい」
「単なる偽善者だ」
「自己満足に逃げる負け犬」
これらの言葉や視線、あつかいが胸に突き刺さる。
満身創痍になることもめずらしくない。
でも、俺にはそういう生き方しかできないのだと悟ったのだ。(釈迦の言う「悟り」ではない)
つらい生き方。
だけど喜びは大きい。
それが一番自分に素直ということだから。
世の中を捨てるということではなく、自分の中の「欲」を捨ててしまうのだ。
もう半分はできている。
しかしもう半分、これが難しい。本当に難しい。試行錯誤の連続。失敗もある。
でもね、これが一番「ああ生きている。人生はすばらしい」と思えるから。
覚悟は何度も揺らぐし迷いはいつも混ざるけれど。
少しずつ、少しずつ。
そうやりながら歳を取れたらいいな。
それで充分。
アーメン