お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

三島由紀夫さんが好き

2013年02月01日 | スピリチュアル
誰しもが自分の出自や漠然と決まったかのようにみえる将来図に反抗する。
その為に勉強をしたり、環境を変えたりしてあがく。
僕が最近思うに、その将来図というやつは、ありきたりだけど、
子供時代に満たされなかった「もの」の再獲得か復讐で出来上がっている。

三島由紀夫はハイソな家庭、頭脳明晰に生まれながら自己の肉体に徹底的に嫌悪した。
幼少時の写真を見るに、十分に美しいのだけど、本人は学習院の旧友たちの「曲がった目」から見た「あおじろ」
という意地悪なイメージを自分でも肯定してしまった。
それに加えて両親によって「作られた人生」に沿って生きてきてしまったという後悔も手伝って、
30才になってから「改造」を始める。
ボディービルによる「美しい自分」(自分の卓越した頭脳に見合った美しさ)を獲得するにいたる。

僕は、三島由紀夫ほどの天才ではないが、幼少時には同じ悩みを抱えていた。
ガリガリの地獄の餓鬼のような自分の肉体に我慢がならず、高校生のときから鍛え始めた。
それがピークに達したのは30代で、ほぼ毎日ゴールドジムに通って「美しい肉体」を目指した。
だから、不遜だけど、三島の気持ちがちょっとだけ分かるのだ。


大人になるほどに美しい容貌、美しい芸術作品、美しい精神、美しい知性に魅せられて、あこがれた。
自分にこれほどの才能も無いのが分かってからも、あがいて、美しさを求めた。
その過程に肉体改造があった。
毎日、過酷なトレーニングを、報酬もないのに実行する・・・・
それは、それを出来た訳は、過去の自分(矮小で汚い自分)に対する復讐があったからだと思う。
復讐ほどに人のエネルギーを喚起する事象はないと思う。


僕は今年44歳になってしまう。
トレーニングを休みがちで体型も崩れてきている。
三島が割腹したのが45歳のとき。
それを考えるとあと1年しかないのか・・・。

三島由紀夫の万分の一もの才能さえ持ち合わせていない僕に死ぬ理由はない。
老化も受け入れていくつもりの僕だ。
ほんのりとやりたい事も出てきたことだし。
しかし勝手ながら少々の感慨はもつ。
老醜をさらすくらいなら死んだほうがマシ・・・といった気高い(?)精神の持ち主もいたのだ、と。

アーメン

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