3日後に迫った久留米つつじマーチに備え、今日と明日は、長距離を歩くのを控える事にした。
若干痛みがある左の親指と右足首を、少しでも休ませたいからだ。
代わりに今日は、自転車を漕いで、八女へ出かけた。
自転車なら、親指も足首も何ともないしね。
八女は隣町と言っていい距離にあるが、これまで案外と行く事が少なかった。
伝統的な建造物が立ち並ぶ、福島の街並みなどもそうである。
以前から行きたかったのだが、未だに訪ねた事は無い。
喜多屋。
今年の蔵開きの際、くじ引きで、一等と二等と両方共当たったのは、未だに記憶に新しい。
本来は挨拶の一つもせねばならぬ所だが、 忙しそうではあるし、汗だらけの髭親父がいきなり事務所に入ってきたら、警察に通報されるのがオチだろう。
今回は素通りさせて貰った。
鶴屋。
堂島屋と号し油屋を営む。明治期茶碗屋に転じ現在に至っている。
昭和初期建築。
(パンフレットより)
福島城址。
先日登った勝尾城の城主だった筑紫広門が、後にこの地に転封され築城した。
その後、筑後国主となった田中吉政が、柳河城の支城として、さらに発展させる。
この旧福島城内に、現在の福島の街並みはある。
横町町屋交流館にロードバイクを置かせてもらい、少し街並みを歩く。
高橋家。
麹屋と号し、金融、酒造を営む。山林地主でもあった。
江戸末期築
(パンフレットより)
許斐家
矢部屋と号し、製茶問屋を営む。
左の木造部は茶の審査場。
江戸末期築
(パンフレットより)
ダッテン・コンネ。
パン屋さんのようだ。
何やら、一見ドイツ語風のオシャレな店名だが、筑後弁で「誰でもおいで」の意。
つまりコテコテの方言である。
通りには休憩所があり、その奥に旧木下家住宅とあった。
そうですか。
んじゃお言葉に甘えて。
木下家は代々酒造業を営み、あの乃木希典も訪れているらしい。
道の両脇と中央部とで色が違っているが、本来の道幅は、中央の色の薄い部分までだったらしい。
以前は、両脇の黒っぽい部分まで、各町屋の軒先が伸びていたとの事である。
平井家
塗料雑貨商。
明治5年築。
(パンフレットより)
桝形跡とあった。
てことは、福島城が現役の城だった頃、この辺りに虎口があったって事になる。
一国一城令で福島城が解体された後、現在の商家群が出来たようだ。
この建物は、売物件のようだ。
実際、不動産屋らしき人物と、年配のご夫婦がなにやら真剣に話し込んでいた。
買う相談?
今里家。
天保年間に改築された記録があり、実際の建築はそれよりさらに遡るとの事だが、よく解らないらしい。
現在、修復中だった。
パンフによれば、まだまだ、見どころは多い。
また、各建物は現役の商店であり見学可の所も多い。
ちゃんと見学するには、もっと時間をかけた方がよかろう。
また来ることにしよう。
なんせ、腹が減ってきたんだもん。
帰ろっと。
PS 帰り道、前方不注意の車と正面衝突しそうになった。肝を冷やした!