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Tシャツとサンダルの候

稲次因幡正誠の事

小郡市の旧松崎街道に面して、霊鷲寺(りょうじゅうじ)と言う古刹がある。






参勤交代の行列は、この寺の前では駕籠を降り、或いは下馬して拝跪したという。




杉並木の参道




山門







本堂裏に回り込む。




そこには、1対の墓石と慰霊碑があった。

享保年間、

久留米藩には稲次因幡正誠と言う、一人の家老がいた。



墓の横には、教育委員会・郷土史研究会の説明文が掲げてあり、稲次因幡の略歴が書かれている。

要約すると、農民一揆の処理の仕方、はたまた後継者問題で殿様の不興を買い、幽閉の憂き目に遭い、最期は非業の死を遂げたと書かれている。



幽閉させられた場所にも行ってみた。



小さな集落の細い路地を、神社に沿って周り込むと、ささやかな一角に立つ石碑が見えてくる。




ここだ。



またしても説明文である。

更に読みづらくて恐縮だが、こちらも目を通して貰いたい。

二つの説明文に共通するのは、

歴代の有馬の殿様が、如何に冷酷非情な碌でなしであったか。

それに比して、稲次因幡に対しては、同情と思慕が溢れている。

なかんずく霊鷲寺のそれには、『農民の神』とまで崇められている。

大した対比である。


300年経った今、

公的機関から、こうも悪し様に罵られる大名家も珍しかろう。

コメント一覧

minou_yamatai
昔は相当広かったらしいから、あり得るね。
五庄屋の大石堰の際の逸話も、信じられないほど、利己的で冷酷無情な御触れをだしてるし、
有馬の殿さんが、歴代ろくでなしってのは、間違いないね。
残念すぎるばい。
kinonukumorikan
浮羽地方の農民一揆の集合場所が、我が工房の隣の石垣神社と聞いたことがあるが?。。。
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