毎日が遺言

母との付き合い方は?

 体のリハビリの状況はこれからどんどん前向きに進んで行く気配があるんですが、精神的な面はなかなか難しいところがあるのが現状です。
 このところ、大げさに言えば、ひとつの事柄に直面するとパニクってしまうような行動が出て、周囲の家族を不安にしています。特に夕暮れごろから同じことを繰り返す言動が顕著になります。
 今日の場合だと、午後のリハビリ後、ずっと私と居間で過ごしていたんですが、暗くなったころに「門灯がついていない」と言い出しました。もちろん忘れずに妻が毎日つけていますし、私が居間の窓から確認すると、ちゃんとついていたので、「ちゃんとついているよ」と窓のカーテンを開けて母に見せました。母はそれを見て「ああ、ホンマやな」と言ってましたが、そのあと私が歯医者に出かけ、学研教室を終えた妻が隣の台所に来ると、「門灯がついていない」と妻に何度か言っては、そのたびに妻が確認して「ついてるよ」と言う、ということがあったようです。
 そのとき、母は独り言で「○○(私)は歯医者でいない、△△(妻)は学研教室、誰もいない、私はどうしたらいい?」と言ってたようで、それを耳にした妻が「となりでご飯の準備しているからね、ここにいるから心配ないよ」と言ってたようです。
 晩ご飯は、普通に食べていましたが、食後にテレビを観ながら、「今日はゆっくりしてから寝る。早く寝ても仕方がない」ということをしきりに言います。「それでいいよ」と言っても、何度も言います。これまで、早く寝るように強いたことなどないのですが、何か自分が遅くまで起きていることをとがめられるのではないかというように言うのです。
 で、寝ようと思う時間になって、歯を磨きに行くのに、私が衣服の腰を持ってついて行くのですが(人工関節が少し熱を持っているので、器具がなじむまではそのようにするよう言われています)、わけもなく慌てた風で、例えば入れ歯を洗浄剤入りのカップに入れたのを、歯磨きの口を漱ぐのに使おうとします。それを注意すると、次の行為を慌てます。「ゆっくりしたらいいから」と言っても、「そうやな」と言いながら、やはり急ごうとします。
 自室に連れて行ってから、妻が着替えさせて寝させようとすると、それから自分で衣服の点検などをしようと動き始めます。もちろんその前に妻が説明して納得させているのですが、次の瞬間にはそれを忘れたかのように行動するのです。
 二人でベッドのちょうど良い場所に寝かせて、布団をかぶせて「お休み」というあいさつをして部屋を出て、しばらくすると母の部屋で物音がします。急いで覗きに行くと、母は立ち上がってベッドの周辺をうろうろしています。「何をしてるの?」と訊くと、「いや、ベッドの布団をまっすぐにせんとあかんから、ちゃんとしてるんや」と、一人でベッドを出て立ち歩いていました。立ち歩くときは誰かがつくように言われているし、そんなことをされたらこけてしまったりすると大変なことになるので、言い聞かせてベッドに寝かせました。
 と、ここまで書いているところで、また母の部屋から物音がしました。急いで駆けつけると、同じように母が立ち歩いていました。リハビリ病院に転院するのが普通のところを、母が家に戻りたがっているので、何とかそのように頑張ってきたのに、裏切られている気分です。
 「なぜいうことをきけないのか」「ばあちゃん(母)が自分で動けることはわかっているけど、医者が誰かついていないとダメだというから、辛抱させているし、辛抱しているのだ」「それがわからないなら、病院に入ってもらうしかない」「動きたいときはブザーで呼べと言ってるんだから、必ずそうしてくれ」
 酒が入っていることもあって、強い言い方にならないように抑えたものの、これまでたまっていた分を掻き口説きました。ところが母は「堪忍して」などと言うばかりで、会話のやり取りは成立していますが、心でわかっている風はありませんでした。
 しまったなぁ、と思いますが、もうホントに先が思いやられます。
 我が親ながら、どのようにしてよいのかがわかりません。放っておいても、それはそれでうまくいくと思うのですが、万が一転びでもしたら取り返しがつきません。
 どうすればよいでしょう?

コメント一覧

mirapapa
> kraumさん
ありがとうございます。
感情に振り回されてはいけないと思いながらも、ついついそれが出てしまいます。
仕事では、もうそういうことは抑えられていたんですけどね。
やっぱり家族には甘えが出てしまうようです。(-_-;)
気をつけていきたいところです。
妻はホントに尽くしてくれていて、心から感謝しています。
ご自分のご体験を聞かせていただくだけで、励みになります!
がんばります!
kraum
mirapapaさんの文を読んでいると母を思い出します。母は亡くなる前日まで一人で自立して(前の晩の夕食を作って片付け、お風呂を作り、いつものようにお風呂に入りながらその日の下着を手で洗って、脱水にかけ干して休みました)いましたが、私はつくづく年を取って生きるということは大変なことを感じていました。時には意見の食い違いで私がガンガン言ったり(後悔しますが血がつながっていると遠慮を忘れてしまいます)しました。世間ではピンピンコロリなどといいますが、母は91歳で自立していたとはいえよたよたころりでした。今年で7回忌になりますが、思い出すのはあの時なんであんなにガンガン言ったのかということです。mirapapaさんの問いにお答えにはならないことをクタクタ書いてしまいました。mirapapaさんご夫妻がお母さまをやさしくいたわって介護なさっている日々はご立派だと感じいっています。しばらくは一進一退の日々と思いますが、お二人のやさしい介護でお母さまの回復をお祈りいたします。
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