「夜間中学」という名は付いていますが、公立中学校の夜間部などではなく、市民ボランティアスタッフが学習を必要としている人に、授業料や教材費なしで、勉強のお手伝いをするというものです。公立などの中学校と区別するために「自主」とつけています。
もともと、奈良では、差別や貧困などの事情で義務教育を受けられなかった人に学習を保障する「夜間中学」があったのですが、教員や市民の運動によって公立化されていました。でも、それが県北部にあったため、「中南部にも夜間中学を作ろう」と運動していた人たちがいて、行政に働きかけをしていたのですが、「今、版今日が必要な人の気持ちにすぐに応えよう」と、教員や市民が自発的にお金を出し合って部屋を借り、ボランティアでいろんな人たちに勉強を教えはじめたのが「自主夜間中学」の始まり。私も知り合いに声をかけられて、月に一度程度、いろんな人に勉強を教えていました。もちろん、知らないことは教えられないので、自分が教えられることだけを教えるのです。出身のおじいさんおばあさんや、在日の人たち(日本で生まれ育った人も結婚や就労で日本に来た人もいました)、身体障害のある人たち、戦争や貧困で子どもの時から働いて学校に行けなかった人たち、いじめを受けて学校に行けなくなったけれど働くようになって勉強を取り戻したいと決意した人たち、さらには様々な事情で日本に来て日本語を必要としてる人たち、などなど。私はだいたい担当スタッフがお休みの時に代わりに勉強を教えているか、生徒さんの子どもさんの子守をしているかでした。
そこは、数年後に公立化が実現し、中学校の教員免許を持ち、正式にしに採用された人だけが教員として生徒さん達の勉強を受け継ぎました。サラリーマンや主婦などのスタッフはサヨナラしました。私もサヨナラした一人なのですが、それからほどなく私の住む町でも「自主夜間中学」を作ろうという話が、近隣の町会議員さんや教員や主婦などの有志の中で持ち上がり、以前の経験から、私も声をかけてもらったのです。
11年前、町から公民館の一室を借りて、「自主夜間中学」がスタートしました。私も妻も息子もスタッフとして参加しました(息子は小学生でしたから、生徒さんのお子さんと遊ぶスタッフです(笑))。はじめは、子どもの頃に様々な事情で学校に行けなかった人たちがたくさん来られていました。日本人・南米からの日系人・結婚で日本に来たフィリピン人・中国人が、当時の主な生徒さん達でした。スタッフもホントに様々で、サラリーマンや主婦や教員以外に、定年退職者や学生さんもいました。
公立中学校には卒業があって、決められた年限もありますが、「自主」にはそんなものはありません(何せ、正しくは学校じゃないんですから)。行くから来だしてもいいし、いつやめてもいいのです。仕事の時間が変わったりしてやめる生徒さんもいらっしゃれば、勉強よりも同じ境遇の人との会話を楽しみに来る人もたくさんいました。もちろん不登校だった人もいましたし、留学生やALTなんかもいます。「自主」は“何でも来い”なのです。生徒さんもスタッフも、何でも来い!
私は、国文出ということで、主に日本語を教えています。結婚で日本に来た中国出身の人が多かったです。かなから教えた人もあれば、日本語検定の勉強を教えたこともありました。日本語検定、けっこう難しいんですよ。正解が分かっても説明が難しい。毎回ヒヤヒヤものです(笑)。今はベトナムから就労できている青年と、日本語検定2級の勉強をしています。教えるのも勉強です。それと、外国の事情を生の声で聞けるのはなかなか楽しいですよ
我が自主夜間中学は 毎週火曜と木曜の夜6時から9時まで開いています。私は火曜日の7時から9時まで参加しています。教材費は無料にしているので、息子の小中学校の教科書は寄付してあります。そんな風にしてやっているボランティア活動が、自主夜間中学というものなのです。
今、我が家から参加しているのは私一人です。でも妻も息子も、我が自主夜中(略称:じしゅやちゅう)の大事な元スタッフなのですよ。
ちなみに、いまのところ、ウチの夜中では公立化の要求はしていません。公立化したら、今の生徒さんやスタッフのほとんどが通えなくなりますからね。「自主は自主で行こう」ってところです。
長々と説明しました。読んでくださった方、ありがとうございました。「自主夜間中学」という記述が出てきたら、このことだな、と思っておいてくださいね。
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