日御碕神社遠景、現在の壮麗な社殿は江戸幕府三代将軍徳川家光の命により、当時の松江藩主であった京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させたもの。
楼門
日沈宮 天照大御神を祀っていますが、千木は外削ぎ、男神仕様
神の宮 神素盞嗚尊を祀りますが、こちらも千木は内削ぎ、女神仕様の逆千木です。
天照大御神と神素盞嗚尊を参拝した後、月読神社を目指します。日御碕神社は大好きで何度も参拝していますが、近くに月読神社があることは知りませんでした。
月読神社を目指して山道を進むと日御碕神社社家の奥津城がありました。
小さなお社が現れました。推恵神社です。
振り返ると月読神社への鳥居があり、180mと記された標識があります。
月読神社に着きました。これで伊邪那岐命の禊から生まれた三貴神の参拝コンプリートしました。
小さなお社が現れました。推恵神社です。
祭神は日御碕神社宮司であった小野検校隆俊とその妻。
小野検校隆俊は松江藩主松平綱隆の陰謀によって隠岐に流され、その地で没し、その妻は自害して果てました。
このことは小泉八雲の『日本の面影』の「日御碕にて」に脚色されて美しく恐ろしい物語になりました。
事実関係ははこちらのYouTubeで。
https://youtu.be/flhniwxLyNE
松平綱隆は徳川家光の命により現在の社殿を完成させた松平直政の後継です。
振り返ると月読神社への鳥居があり、180mと記された標識があります。
月読神社に着きました。これで伊邪那岐命の禊から生まれた三貴神の参拝コンプリートしました。
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