クリームパンで有名な三原の八天堂ですが、命名の由来になった御堂があるというので尋ねてみました。
クリームパンの方の八天堂が有名になり過ぎて、元の八天堂の情報が検索してもほとんど見当たりません。
八天堂に詳しい事情通の人にアドバイスを貰うと、世羅町の賀茂神社の近くだということで、まずはそちらを目指します。
少し道に迷いながらも賀茂神社に到着。
狛犬のお出迎えです。
鳥居前の通りに戻るともう八天堂らしきお堂が見えます。
前から見ると八天堂と揮毫された額が見えました。
下には小さめの五輪塔だったと思われる石が置いてあります。
仏教の天部の神様が祭られているのかと思っていたら、右手に五鈷杵を持った御姿は弘法大師ですね。
八天堂は大師堂でした。
由緒書きを読んでみると、
明治三十一年甲山河内間里道改修ニ際シ四辻之下白金嵜原間ニ石橋ヲ新架シ南方山八幡神社城府山天神社之頭字ヲ採リ八天橋ト称ス
仝四十二年天神社ヲ八幡神社ニ合併シ古材ヲ使用シ堂宇ヲ建立シ橋名ニ因ミ八天堂ト名ス…
最初に八幡神社と天神社があって、新しく作られた橋にそのお社の頭文字を採って八天橋と名付けられ、後に天神社が八幡神社に合祀されたときに出た古材で御堂を建立して、橋の名前に因んで八天堂と名付けられたということでした。
帰宅途中にコウノトリが田圃で餌取りしているのに遭遇しました。
足環で調べると世羅町で営巣している親鳥のオスのようです。
オタマジャクシかな?
鳥運が着いたのかも。
帰宅して賀茂神社の由緒書を読んで見ると、ここが旧八幡神社でした。貞観元年に石清水八幡宮勧請の船が御調郡永井浦に寄港したとき、村長の藤原清文が出迎えて村民安穏守護のを祈って社殿建立を勧請したのが始まりと記されています。
御調郡永井浦というと私の産土神社の糸碕神社が思い浮かびます。「万葉集」巻一五に「備後国水調郡長井浦船泊之夜作歌三首」とあって万葉故地とされます。
Wikipediaによると
「境内の東側には貢井(みつぎい)、又は御調井と呼ばれる井戸があるが、社伝によれば神功皇后が長井の浦に船を繋ぎ、この井戸の水を求めた事に因んでその水を長井の水と称し、当地を長井の浦と称すと伝わる。長井の浦は井戸崎(いどさき)ともいい、現地名の糸崎(いとさき)のはじめとされる。また、かつて広島県に存在した郡である御調郡も当神社の御調井が発祥であるという。」
万葉集に御調郡を水調郡と記しているのは、ミツギは「水注ぎ」の意か神功皇后伝説に基づいての当て字であった為でしょうか?
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