聖十字架の庵に住んでいたとき、エスタニスラウ神父は「森の光」と呼ばれていた人を紹介されて知り合いになりました。
彼は小柄ですが、魂は偉大で、人のオーラを見ることができました。
神父様と最初に出会ったとき、彼はこう言いました。
「兄弟よ、なんて素晴らしいんでしょう!」
二人はいい友達になりました。
そのときまで神父様はまだ髭を生やしておらず、髪も伸ばしていませんでした。
神父様に「善なる神の創造されたままにするように」と説得したのは彼でした。
そこに果樹をもたらし、自分で働いて食べるための小さな畑を持つように勧めたのも彼でした。
それから神父様は常に庵の畑を耕していくつかの野菜を育てるようになりました。そして多くの花も!
ある日一人の修道士が「どうやってこんなに多くの花々を維持しているのですか?」と訊くと、「私はそれらを愛しているのです」とだけ隠遁者はお答えになりました。
「森の光」について話すとき、思い返すのも喜ばしい、美しい話があります。
1972年の夏、聖十字架の庵に最後に訪ねてきてお別れのとき、「森の光」はとても悲しくなって、こう言いました。
「世界に偉大な教師は一人もいません。ええ、そうです。隠遁者の兄弟よ。イエスの後には彼のように偉大な人は誰も来ませんでした。」
隠遁者は厭世的な雰囲気を変えようとして、こう答えました。
「イエスの後、彼よりも大きい人は来ることができませんでした。なぜなら彼は最も偉大な人だからです。」
「森の光」は驚いたように彼を見ました。そして隠遁者は続けて何気なく[無邪気に]言いました。
「私たちはみなイエスなのです。」
「それは私も?」
彼は森の光に答えました。
「もちろん、あなたも!」
すると「森の光」は飛び跳ね、走り出しました。喜びに満ちて、「私はイエス、私はイエス、私はイエス」と叫びながら。そして道をはるか遠くまで止まることなく走ってゆきました。なんと美しい別れなのでしょうか。