テレビで、和田アキ子が「気が小さいのが悩み」だと専門家に相談していた。そして孤独感が強いとも言っていた。
それに対し、ある心理学専門の女性が「メンターのような人を、探してその人に悩みを相談したらどうでしょう」と答えていた。
メンターとは一部でもいいのでどこかに自分との共通点があって、必ずしも生きている人である必要はなく、架空の人や物語の中の人物、歴史上の人物でもよいらしい。
さて、メンターとはよく聞くけれど、実際のところメンターとは何者なのか、私にはよくわからない。
精神的指導者とか、助言を与える人とか、先達とかいう意味だろうか。
自分のイメージでは、私のメンターは2006年になくなった白い飼い猫だ。
悲しい時も嬉しい時もそばに寄り添ってくれる人。何も言わなくても一緒にいて悩みを分かってくれる人。猫。
今はこの世にはいないけれど、今も私のメンターである。
そんなことを考えていたら、ある人から電話がかかってきて、メンターの話になった。
その人が思い浮かべるメンターとは、いわゆる理想の人。「職場でも私生活でも、この人ならこういう風に仕事を進め
こういう風に人と接し、こういう風に振舞う、という型があって、自分もそれを見習って近づけるように
努力できるような対象になる人」がメンターだという。
ちょっと、私とはメンター像が違うなあ、と思い、その違いを説明しようとしていたら、
その電話の相手が
「実は私は自分がメンターと思う人と同じように仕事をしようとして、できなくて躓いて、今、深い痛手を負っている」と言い出した。
「真似しようとすればするほど、自分とメンターとの違いがはっきりしてきて、挫折感が深まる」とも言う。
ちょっとちょっと、そういうのがメンターというのなら、メンターは「躓かせる石」とでも訳したらいいんじゃない、と言ったら
自分にはそういう「躓き石メンター人」がいっぱいあって、苦しいということだそうだ。
「メンターに似せよう」と生きるのは、苦しくてたまらないと思う。自分と「メンター」とは別物なのだから。
私の考えを彼女に言った。
「メンター」の人の考え方やビジョンに敬意を示し、それに自分も賛同して発奮したり、発展させたり、頑張ったりするのはよいが自分らしさを消しては、生きていて面白くないじゃないの。その「メンター」はひょっとして、あなたの頭の中でこしらえたメンターで、それはアバターっていうんじゃないの、と。
そんな躓きメンターに倣わなくても、破れかぶれの自分でいいんじゃないの、と話しながらも、やはり話は平行線のまま終わった電話だった。
それに対し、ある心理学専門の女性が「メンターのような人を、探してその人に悩みを相談したらどうでしょう」と答えていた。
メンターとは一部でもいいのでどこかに自分との共通点があって、必ずしも生きている人である必要はなく、架空の人や物語の中の人物、歴史上の人物でもよいらしい。
さて、メンターとはよく聞くけれど、実際のところメンターとは何者なのか、私にはよくわからない。
精神的指導者とか、助言を与える人とか、先達とかいう意味だろうか。
自分のイメージでは、私のメンターは2006年になくなった白い飼い猫だ。
悲しい時も嬉しい時もそばに寄り添ってくれる人。何も言わなくても一緒にいて悩みを分かってくれる人。猫。
今はこの世にはいないけれど、今も私のメンターである。
そんなことを考えていたら、ある人から電話がかかってきて、メンターの話になった。
その人が思い浮かべるメンターとは、いわゆる理想の人。「職場でも私生活でも、この人ならこういう風に仕事を進め
こういう風に人と接し、こういう風に振舞う、という型があって、自分もそれを見習って近づけるように
努力できるような対象になる人」がメンターだという。
ちょっと、私とはメンター像が違うなあ、と思い、その違いを説明しようとしていたら、
その電話の相手が
「実は私は自分がメンターと思う人と同じように仕事をしようとして、できなくて躓いて、今、深い痛手を負っている」と言い出した。
「真似しようとすればするほど、自分とメンターとの違いがはっきりしてきて、挫折感が深まる」とも言う。
ちょっとちょっと、そういうのがメンターというのなら、メンターは「躓かせる石」とでも訳したらいいんじゃない、と言ったら
自分にはそういう「躓き石メンター人」がいっぱいあって、苦しいということだそうだ。
「メンターに似せよう」と生きるのは、苦しくてたまらないと思う。自分と「メンター」とは別物なのだから。
私の考えを彼女に言った。
「メンター」の人の考え方やビジョンに敬意を示し、それに自分も賛同して発奮したり、発展させたり、頑張ったりするのはよいが自分らしさを消しては、生きていて面白くないじゃないの。その「メンター」はひょっとして、あなたの頭の中でこしらえたメンターで、それはアバターっていうんじゃないの、と。
そんな躓きメンターに倣わなくても、破れかぶれの自分でいいんじゃないの、と話しながらも、やはり話は平行線のまま終わった電話だった。