ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

もうすぐクリスマス 新しい年の初め

2010-12-20 | 日記
暖かい夕方、教会のクリスマスキャンドルサービスのチラシ配りのポスティングを少ししました。50部ぐらいなので30分ぐらいで帰ってきました。

近所の家を一軒ずつ回って思ったのは郵便受けがどこにあるのかわからない家が案外多いことです。
新しい家では門の横に縦に細長く穴が開いているスタイリッシュなものが流行です。これはいったん飲み込めば大体、この辺だろうと、門扉に向かって首を斜めに傾けると見つかるのですが、なかには、首を傾げても正面を探しても、全然見つからないお宅もあり、そういうところはパスしました。でも郵便はいったいどこに入れるのでしょう。

クリスマスの飾り付けがきれいになされている家が何軒かありました。色とりどりの木の実を散りばめ緑の柊や赤のリボンで飾られたリース、サンタさんのお人形が庭石の間にところ狭しと並べられています。そういうお宅にはビラを入れても何となく歓迎されているようで、ちょっと嬉しくなります。
まったく住んでいる人の気配のないお宅は、空き家かと思いきや、見上げると、二階の窓に洗濯物がかかっているので、そこにも入れさせてもらいました。

チラシを配る前、心に心配事があって、うじうじした気持ちだったのですが、配り終えて家に帰る途中に、気持ちが少し変わっていました。豪華ではないけれど、きれいに掃き清められた家や、楽しくクリスマスを前に飾り付けられた家を見て、心が温まりました。私も帰って玄関周りを片付けようと思いました。

帰ると息子がちょうど庭で素振りをしていたので、私が掃いた落ち葉を集めるのを手伝ってくれました。木蓮の葉っぱは掃いても掃いても落ちてきて、今窓から見ると枯葉がかろうじて数枚、枝にくっついているだけです。そして、来年のつぼみがしっかりともう用意されていました。ぽよぽよとした柔毛にくるまれた、赤ちゃんのようですが、しっかりと天に向かって伸びていました。木に葉っぱがなくなって、枯れ木のような幹も、つぼみになるところも、日の光が好く当たっています。

教会暦ではクリスマスを待つ待降節から新しい一年が始まります。この新しい1年を空っぽの気持ちで迎えられました。心が空っぽだと、後は満たされるだけです。いつもいつも空っぽでいられますように。