ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

一枚のチョコレートと一杯のかけそば

2010-11-16 | 日記
「一杯のかけそば」の読書感想文を添削してほしいとの留学生からの依頼で、添付されていた原文を読んでみた。
20年前に流行った時は、バブル崩壊の前で、なぜこんな話が流行ったか、わからない。ちょっとギャグ風に流行ったような記憶がある。
この話、実は当時、住んでいたマンションの上の階の奥さんがお話上手で、夕方になると、大人も子供も集めて、庭で講談風に聞かせてくれたので、自分では読んでいなかった。この奥さんは失楽園の時も大人も子供も集めて講談してくれたっけ。

母と男の子二人で、大みそかに一杯のかけそばを分け合って食べるところから始まって、10年後にはちょっと生活が楽になって2杯を三人で、そして20年後には借金も全部返し終わり、三人がそれぞれ一杯ずつ、つまり三杯のかけそばを注文できるようになる。年代が移るにつれて、三人の服装も立派になっていく。小さかった息子たちは、医者と銀行員になっていた。
わかりやすいサクセスストーリーだが、今読むと、母親は三人で一杯を分け合っていた時が一番幸せだったのと思う。
実際、原文から見ても、最初の1杯のかけそばが一番上手そうだ。
二杯目は、まあまあ。3杯目になると、それほどでもなく、来年はこの親子は、もう蕎麦屋に現れないような気がする。

わたくし、生まれて初めて板チョコを一人で一枚はじっこからかじって食べた。一度もやったことがないので、ちょっとやってみたかった。明治の板チョコ、紙を破って、銀紙を上からクルクル剥いて、仕事が終わった車の中で、ぱくっと。

それで、どうだった?おいしかったかい?
いいや、それほどでも・・・・

いつも板チョコは、家族や友達と割って食べていた。そういうものだと思っていた。
しかし一枚一気に全部かじってみて、ウゲー、いくら好きでも一枚全部は
くどいわ、えぐいわ、頭が痛くなるわ、胸もやけるわ、もういいわ。
板チョコはやっぱり、
皆で分け合って、時には取り合いして食べた方が美味しさが増すような気がする。
独り占めはよくないね。