ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

ipadの効用

2010-06-01 | 日記
ipadが来たので、さっそく読書をしようと試みたが、「くまのプーさん」しか入っていない。土佐日記」ないのかと聞いても、そういうのはまたお金を払って買わなければならないという。それならたった50日そこそこの日記だし、自分で入れようかと思う。

しかし、まだ使い方がよくわからない。使い方説明書も入っていなかったし・・・

アラジンの魔法のランプの魔法使いのように、手をすぼめたり、開いたりして画面を小さくしたり大きくしたりする方法はマスター。

しかたなくプーさん英語版をパラパラ見始めた。絵もあって、英語の文字もくっきり読みやすく、大きさも変えられるのでとても読みやすい。これなら、細かい外国語の文字を追うには、本よりずっといい。
これからは子供の絵本もこうやって見る時代になっていくのだろうか。

ただ、今日の新聞に評論家の先生が書いていたが、紙の良さは、全体をざっと俯瞰することができること、その中には要る情報と要らない情報が混じっていて、一見無駄に思われるが、その先生が知りたかった1972年という年がどんな年だったかを知るのには、そういう無駄な情報こそが役に立ったということを言っていた。まあ、新聞社の依頼の記事だから、「これから新聞は要らない!」と断言したらまずいことになるだろうが。

情報収集としての新聞は、私の周りでも必要度が減っているようだ。退職して新聞取るのをやめたという人を知っている。私も以前より紙面を読まなくなってきた。目が疲れるし、床に広げて読もうとすると必ず猫がその上に乗って邪魔をするので、嫌になってきた。芸能ニュースを読みたいなら、週刊誌の方が面白い。本当にこれから新聞はどこを目指せばいいのでしょうね。

こんな私だが、新聞の効用は認めているので私はまだ当分取るつもりでいる。
猫の糞の処理、生ゴミを包んで捨てる時にも便利、それからタンスや下駄箱の下に敷いて湿気と匂いを取り除く働き、緊急の場合の仮トイレ製作材料、その他いろいろ新聞があると便利なのである。そして、時々そこに書かれた記事を読む、と。新聞社の方々、ごめんなさい。

電子図書はたしかに電源を入れて、自分の読みたいものを意識的に選択して、けっこうめんどくさいこともある。本の場合はその辺に散らかっているのを、何となくとってきて、それもまあ選んではいるのだが、無意識の選択ということが働く余地が大きいのかもしれない。
それから夜寝る前に、ipadで布団の中で読書は、ちょっとこの大きさでは無理ですね。重すぎるので本のように手にもってウトウト寝ながら楽しみには、まだ改良の余地あり

しかし、私は新しい使い方で便利にしている。出先で手鏡を忘れて携帯の画面でお化粧直しをした人にはわかるだろうが、これはちょっとした大型の鏡としてなかなか便利だ。きっちりお化粧したい人には向かないでしょうが。