ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

父なる神の愛

2010-07-11 | 映画
ゴッドファーザーパート1を見た。喧嘩と男ばっかりの映画は嫌いだが、これは別。
マーロン・ブランド演じるビトに、父なる神のイメージが映し出されているからだ。
見るたび、その悲しみに満ちた顔、慈愛に満ちた顔、苦境にある人間の頼みを聞くときの横顔に慰められる。

こんな人がいたら私だって、饅頭もって頼みたいことが三つぐらいあるよ。

母系性日本国に生まれて、キリスト教の「父なる神」の姿を想像することは難しい。
日本にも強い父がいるにはいるが、イメージした場合、鶴太郎のような威勢のいい江戸っ子タイプか、てこでも動かない頑固親父のタイプしか思い浮かばない。

信仰をもって以来、聖書に出てくる「父なる神」のイメージを西洋の文学や絵画などからいろいろイメージしていたが、なかなかぴったりとこなかった。しかし、このゴッドファーザーのボスのイメージは、まさに聖書の父なる神のイメージにぴったりである。

ビトは、映画の中では、自ら進んで復讐を企てたことはない。麻薬密売の話をもちかけられても「女と酒は良いが、麻薬だけは人間をだめにする」と敵側の人間に優しく諭すように断った。
同郷の知人で、葬儀屋を経営している男が、娘をチンピラにめちゃくちゃにされて、その復讐を頼みに来るときだけは、それを悲しみをもって引き受けるが、その報酬はお金としてうけとるのではない。後になって、麻薬密売を断ったことから腹を立てた敵側に、ビトの長男が報復によって惨殺された時、銃創だらけの息子の死骸をその葬儀屋に渡して「これの母親の悲しみが減るように手厚く葬ってくれ。この前の貸しだ」と頼む。
このときのビトの悲しみに満ちた顔が忘れられない。

ビトは、いつも椅子に座って、頼みごとをしに来る人の話にじーっと耳を傾けている。
詩篇の詩人の嘆願を聞く神様の姿もかくの如しか。
ビトの声は小さい。喉を撃たれたことがあるので、小さなささやき声しか出せない。じっと静まらないと聞き取れないくらいの声である。

この話はまるで旧約聖書のサウル王家とダビデ王家の抗争をみているようだ。
パート2で、血肉合い争う運命になるビトの一家の話もダビデ家を思い出させる。

神様の悲しんだ顔、喜んだ顔、慈しみに満ちた顔をビトに見て、胸がいっぱいになった。