ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

2013-09-22 | 日記

緊張を迫られる日が続いて、プチ~ンと心の糸が切れそうなとき、ある本を読んだら、


「たいしたことじゃない。知ったこっちゃない」と念仏のようにつぶやくと、辛い気持ちがやわらぐと書いてありました。

私はクリスチャンなので、「神様、よろしくお願いします。私はギブアップです。」としょっちゅうつぶやいていますが、「たいしたことじゃない、知ったこっちゃない」と、そう意味は変わらないと思います。


その著者によると、努力ほどタチが悪いものはないそうです。努力すると、報われなければおかしいという欲が芽生えてきて、しかし、実社会は努力しても上へいけない壁がたくさんあって、そうすると、努力しても無駄だからとあきらめる人が出てくる。そうなると、今度は楽して儲けようと発想して、博打のような金融商品に走ったり、振り込め詐欺をやったりする極端な例も出てくると、著者は言っています。



なるほどね・・・なかなか鋭い。

そして「努力信仰」の果てにあるものは、自分の力で、お金や権力や資格やモノを得ようとする「力」への憧れだそう。
「力」に憧れると体や心に「力」が入って、結局人生を楽しめないそうです。

「力」のつく言葉をいろいろ上げてみますと、
「努力」からはじまり「気力」「体力」「精力」「馬鹿力」「力持ち」「筋力」「権力」「目力」「能力」「力餅」「力うどん」・・・

そうたいした言葉はないようです。安心安心。

小学校に入る前の健康診断で、初めて教室に足を踏み入れた時、教室の前の壁に「力」という字が貼ってあって、一緒に行った幼なじみの美和子ちゃんは、「か」だ!「か」だね、あの字は、お母ちゃん!
と叫んでいましたが、私は「か」なら点があるはず。学校の先生でも点を書くことを忘れることがあるんだなあ、ケケケ・・・と思っていました。
6歳の記憶です。
小学校の時の私はとても恥ずかしがりやでおとなしかったのですが、写真を見ると、なぜか「ケケケ」といたずらっぽく笑っているのが多いのです。
カタカナも漢字もまだ知らなかった、うぶな頃の純な思い出。井の中の蛙ですね。

ちなみに上に挙げた本の題名は『努力しない生き方』桜井章一 集英社新書です。