憲法が変えられるかもしれないという話題を教会でもよく話し合うようになってきた。思想・信仰の自由という問題がかかっているからだ。
自民党が考えている新しい憲法は、「天皇を国の元首とする」と書いてある。今や東京・大阪では1999年にできた「国旗・国歌法」によって「君が世」を歌わない先生には厳しい処罰が下され、卒業式には私服の警官や都の職員までが出てきて歌わない先生を見張っているという。
いくらなんでもやりすぎではないだろうか。
もちろん教会の中にもいろいろな意見があって、友人の中にも「どこの国でも国歌をあたりまえに歌うのになぜ日本だけかそんなことを問題にするのか」という人もいる。その人に対して、私は「アメリカでもフランスでも別に歌わなければいけないという強制はない」と言った。いろいろな考えの人がいたほうが、議論が発展して、人間、考えが深くなるものだ。
問題なのは、そこまで強制される必要はあるのか、つまり歌わないという理由で、正規の先生になれなかったり、いろいろ転任させられたりするということがあるのはおかしいと思うと言った。
美容院で週刊誌に瀬戸内寂聴さんのエッセイが載っていて、寂聴さんは去年の夏に東京で原発反対のデモに行かれたそうだが、ざっと見積もって10万人以上(瀬戸内さんはよくデモにいかれるのでその時々の人数の把握が大体できるそうだ)、主催者側は17万人と発表したが、大手新聞の発表は1万7千人だったそうだ。大体、毎日、新聞を読んでいるが、そんな大きなデモがあったなんて全然知らなかった。大新聞が本当のことを書かなくなる、つまり報道規制が始まっている今の状況はちょうど昭和16年の日本の状態に似ているということが、そのエッセイには書かれてあった。
また、今年1月に沖縄の41のすべての市町村から、首長や代表者たちが東京に行って、安倍総理にオスプレイの中止の建白書を渡したニュースもほとんど報道されなかった。たとえばこれが沖縄ではなくて、大阪府とか、他の県のすべての首長全員が上京して建白書を渡して窮状を訴えるとしたら、大問題ではないだろうか。しかしほとんどニュースでもやらなかった。大新聞もNHKも同罪だ。
マスコミが報道しないと言うことは政府の圧力が強化を増しているということだ。
ところで、寂聴さんの言う昭和16年には何があったかを調べてみると、なんと
12月8日に真珠湾攻撃・・・・
マスコミの報道規制がかかっているニュースは、すべてある大国との関わりにおいて、政府が不都合を覚えるニュースだ。不都合というのは、これをそのまま報道すると、政府としてはにっちもさっちもいかなくなるので、だまっていようという意味だ。一方、その大国は戦後「押し付け憲法」か、それとも贈り物としてかわからないが、立派な憲法を日本にくれた。そこには「戦争はいかん」と書いてあった。個人を尊重し、多様な価値観を認める立憲主義の憲法だった。
しかし、大国の憲法には「戦争はいかん」とは書いていない。世界の警察とか言って、世界各地で戦争をしまくっている。立派でない人が立派なことを言ったので、矛盾が出てきたわけだ。そして今、日本はその矛盾を自ら解決しようとしている・・・
でもそれは賢いやり方だろうか。日本にとって。
それを日本風にアレンジして改正しようとして、「天皇を元首としてひとつにまとまる。国民は人権よりも国を重んじる」となると、個々の価値観を認める大国の立派な憲法の原理に反するのではないだろうか。
行き着く先は憲法をプレゼントしてくれた国との乖離がますます開いて、ついには異なる憲法をもつ国として対立してしまうのではないだろうか。
昨日の友は今日の敵・・・みたいに。
それが一番心配だ。みんなが心配している隣国やその上や下の隣国とではなくて、太平洋を挟んだ大国を近いうちに敵に回すことになるのではないかと心配だ。
今は大国と利害を一致にする方針でやっているが、このままだったらいつか決別する時がくるような気がする。決別するなら、お互いに話し合って財産を分け合って、協議離婚という形にしたい。
突然話が飛ぶが、この現状をアメリカのクリスチャンに訴えるため、英語で手紙を書くことを思いついた。思いついたなら1週間以内にやるというのが私の方法だ。来週英語の先生にみてもらおう。何を書くかって?
日本はあなたの国からいただいたすばらしいプレゼントを、邪悪なものに変えようとしています、と書く。それから具体的な現状を箇条書きにして、理解してもらうように努める。最後は神様のご加護がありますように、平和のお祈りをお願いしますと、大体アウトラインは決めた。
自民党が考えている新しい憲法は、「天皇を国の元首とする」と書いてある。今や東京・大阪では1999年にできた「国旗・国歌法」によって「君が世」を歌わない先生には厳しい処罰が下され、卒業式には私服の警官や都の職員までが出てきて歌わない先生を見張っているという。
いくらなんでもやりすぎではないだろうか。
もちろん教会の中にもいろいろな意見があって、友人の中にも「どこの国でも国歌をあたりまえに歌うのになぜ日本だけかそんなことを問題にするのか」という人もいる。その人に対して、私は「アメリカでもフランスでも別に歌わなければいけないという強制はない」と言った。いろいろな考えの人がいたほうが、議論が発展して、人間、考えが深くなるものだ。
問題なのは、そこまで強制される必要はあるのか、つまり歌わないという理由で、正規の先生になれなかったり、いろいろ転任させられたりするということがあるのはおかしいと思うと言った。
美容院で週刊誌に瀬戸内寂聴さんのエッセイが載っていて、寂聴さんは去年の夏に東京で原発反対のデモに行かれたそうだが、ざっと見積もって10万人以上(瀬戸内さんはよくデモにいかれるのでその時々の人数の把握が大体できるそうだ)、主催者側は17万人と発表したが、大手新聞の発表は1万7千人だったそうだ。大体、毎日、新聞を読んでいるが、そんな大きなデモがあったなんて全然知らなかった。大新聞が本当のことを書かなくなる、つまり報道規制が始まっている今の状況はちょうど昭和16年の日本の状態に似ているということが、そのエッセイには書かれてあった。
また、今年1月に沖縄の41のすべての市町村から、首長や代表者たちが東京に行って、安倍総理にオスプレイの中止の建白書を渡したニュースもほとんど報道されなかった。たとえばこれが沖縄ではなくて、大阪府とか、他の県のすべての首長全員が上京して建白書を渡して窮状を訴えるとしたら、大問題ではないだろうか。しかしほとんどニュースでもやらなかった。大新聞もNHKも同罪だ。
マスコミが報道しないと言うことは政府の圧力が強化を増しているということだ。
ところで、寂聴さんの言う昭和16年には何があったかを調べてみると、なんと
12月8日に真珠湾攻撃・・・・
マスコミの報道規制がかかっているニュースは、すべてある大国との関わりにおいて、政府が不都合を覚えるニュースだ。不都合というのは、これをそのまま報道すると、政府としてはにっちもさっちもいかなくなるので、だまっていようという意味だ。一方、その大国は戦後「押し付け憲法」か、それとも贈り物としてかわからないが、立派な憲法を日本にくれた。そこには「戦争はいかん」と書いてあった。個人を尊重し、多様な価値観を認める立憲主義の憲法だった。
しかし、大国の憲法には「戦争はいかん」とは書いていない。世界の警察とか言って、世界各地で戦争をしまくっている。立派でない人が立派なことを言ったので、矛盾が出てきたわけだ。そして今、日本はその矛盾を自ら解決しようとしている・・・
でもそれは賢いやり方だろうか。日本にとって。
それを日本風にアレンジして改正しようとして、「天皇を元首としてひとつにまとまる。国民は人権よりも国を重んじる」となると、個々の価値観を認める大国の立派な憲法の原理に反するのではないだろうか。
行き着く先は憲法をプレゼントしてくれた国との乖離がますます開いて、ついには異なる憲法をもつ国として対立してしまうのではないだろうか。
昨日の友は今日の敵・・・みたいに。
それが一番心配だ。みんなが心配している隣国やその上や下の隣国とではなくて、太平洋を挟んだ大国を近いうちに敵に回すことになるのではないかと心配だ。
今は大国と利害を一致にする方針でやっているが、このままだったらいつか決別する時がくるような気がする。決別するなら、お互いに話し合って財産を分け合って、協議離婚という形にしたい。
突然話が飛ぶが、この現状をアメリカのクリスチャンに訴えるため、英語で手紙を書くことを思いついた。思いついたなら1週間以内にやるというのが私の方法だ。来週英語の先生にみてもらおう。何を書くかって?
日本はあなたの国からいただいたすばらしいプレゼントを、邪悪なものに変えようとしています、と書く。それから具体的な現状を箇条書きにして、理解してもらうように努める。最後は神様のご加護がありますように、平和のお祈りをお願いしますと、大体アウトラインは決めた。