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気が向いたときに撮ります。レフ機が好きです。

東日本大震災ドキュメントその1

2011-09-11 21:16:30 | Weblog
今日は2011年9月11日。

米同時多発テロからちょうど10年。

東日本大震災からちょうど半年。



そろそろ、忘れないうちに、半年前のあの日のことを書いておこう。



2011年3月11日14時46分。
あの日、自宅からそう遠くない職場でデスクワークをしていて、
そろそろ山形市へ移動しようかという時にあの地震はやってきた。


揺れ始め。
2日前にも大きめの地震が来ていたので、またかと思いながら地震を認識。

初めは冷静だったが…すぐにとんでない大きさだということに気づき、慌ててデスクの下へ身を隠す。


感覚的には1メートルくらいの振幅でゆっさゆっさと揺らされている感じか。恐ろしい大きさ。

揺れの途中、後ろにあった巨大キャビネットが倒れてきて、さっきまで座っていたチェアが破壊される。
後日数人がかりで動かそうとしてもまったく動かないほどの重さのキャビネット。
倒れてきた時は物凄い衝撃音だった。
もし自分が少し後ろにいて下敷きになっていたならば、恐らく圧死していただろう。


揺れは本当に長く感じた。
外部の情報はないまま、瞬間的に
「震源はどこだ?」
「もし震源が東海地方で、仙台がこの揺れならば日本全体が壊滅的な被害なのでは?」
とさまざまなことを考えた。
冗談ではなく、映画「日本沈没」の画が脳裏をよぎる。




ようやく揺れが収束し、恐る恐るデスクの下から体を出してみる。

空気が白く濁っている。
天井が数ヵ所破壊されている。
エアコンが落ちて、水が噴出しているところもある。

あらゆる書類やパソコン、キャビネットが散乱し、数分前とはまるで異なる光景がそこに広がっている。

「大丈夫かー?」
「ケガはないかー?」
「急いで外に出ろー!」

社員が互いに声を掛け合って安否を確かめ合う。


靴を入れていたキャビネットも倒れているので靴を取り出せず、
すぐに来るであろう余震を恐れながら、サンダルのままで外の駐車場へ。


外へ出ると、やはり頻繁に大きな揺れが。
街灯の支柱や商業用看板がぐらぐら揺れている。
万が一建物が倒壊しても大丈夫であろう駐車場に集まり、再度安否確認。

奇跡的に社員にはケガ人なし。
よかった。

夜の仕事は絶対にできない状況だろうから、携帯電話ですぐに山形市へ連絡。
幸いまだ携帯は使える状況で、必要な場所へは連絡がついた。


ワンセグその他でやっと情報を得た社員が地震について話している。
「震源は三陸沖らしい」
「マグニチュード7.9?」
などなど。


それより家族が心配だ。
学校はどうなっている?
妻と三女は?

社長を中心に直近の対応を確認し合い、解散。
この時すでに携帯電話はほぼ使えない状態になっている。
家族の安否がまだわからない。



地震発生から1時間後くらいだろうか。
車で職場を離れて自宅へ向かう。

マンションに到着すると多くの人が階段を昇り降りしている。
停電のためもちろんエレベーターは使えない。
毛布や着替えなど大きな荷物を持っている人も多い。

自分も階段を昇って自宅へ。
車に積んであった長靴を履いていく。

壁のタイルがあちこち落ちている。
玄関ドアのすぐ横はえぐれて中の鉄筋が見える状況。
ここでも揺れが大きかったことが推測できる。


中へ入る。
どこかへ避難したのか、初めから出かけていて不在だったのか、とにかく誰もいない。
予想通り内部はめちゃくちゃ。

洗面台は上から化粧品類その他が落ちてシンクが埋まっている。

キッチンは冷蔵庫の中のものが外へ飛び出し、食器類も割れて散乱していて、足を踏み入れることもできない。危険。

リビングは大型のプラズマテレビが手前に倒れている。
ガラスは割れていないようだが。

壁には数ヵ所の亀裂が走っている。

ダイニングテーブルの位置が斜めになっている。
自宅にいたならば、この下に隠れただろうか。
とにかく無事でいてくれればいいのだが。



「地震発生時は子どもたちはまだ学校→妻と三女は長女と次女を迎えに小学校へ行った」という推測を立て、小学校へ向かうことにする。

折しも気温が急に下がり、激しく雪が降ってきた。

降りしきる雪の中、小学校への坂を登る。


小学校の体育館に到着すると、そこにはたくさんの人が。

保護者の迎えを待つ子どもたち。
子どもの名を呼びながら探す人。
互いの無事を確認して喜び合う親子。


1周してみたが、娘たちの姿が見当たらない。

ぐるぐると歩き回ってみたがやはり見つからない。

小学校の先生が声をかけてくれた。
「何年何組のお子さんですか?」

該当のクラスの待機場所へ案内してくれて、まだ残っていた児童に尋ねてみてくれた。
「もう帰りましたー!」

とりあえず無事ではいるのか?
だがどこにいる?
自宅にはいなかったし、通学路に沿って歩いてきたので、すれ違いで会わないことはないと思うが。


と悩んでいたら、同じマンションに住む長女の友達の女の子とそのお母さんに会った。
「消防署の2階に避難してる人もいるみたいですよー」
とのこと。
お礼を言って同じ道を引き返し、小学校とは反対側に位置する消防署へ向かう。


とにかくまだ安否がわからない。
子どもたちが学校では無事で、その後学校を離れたという情報は得たが、会って確認しないと安心できない。


祈る気持ちで坂を下る。


(とりあえずここまで)
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