○廣井城址(中村氏)名古屋氏中区栄1丁目州崎神社 200612.16
州崎神社の堀川端の天王崎港に尾張藩の水軍の「御船方役屋敷」があり、廣井城は館と城の中間的な防備を伴った館城と思われる。
又軍船は州崎の少し下流の御船蔵に係留されており、堀川左岸に配下の水主(かこ:水夫)百数十名が住みついていたことから、現在水主町(かこまち)の地名も残る。
又堀川は慶長15年(1611)城下と熱田の浜を結ぶ輸送路として「徳川家康」が「福島正則」に開削を命じ、名古屋城下の朝日橋までさかのぼる事が出来た。
州崎神社の堀川端の天王崎港に尾張藩の水軍の「御船方役屋敷」があり、廣井城は館と城の中間的な防備を伴った館城と思われる。
又軍船は州崎の少し下流の御船蔵に係留されており、堀川左岸に配下の水主(かこ:水夫)百数十名が住みついていたことから、現在水主町(かこまち)の地名も残る。
又堀川は慶長15年(1611)城下と熱田の浜を結ぶ輸送路として「徳川家康」が「福島正則」に開削を命じ、名古屋城下の朝日橋までさかのぼる事が出来た。