風雲「城撮り物語」

長年愛用のデジカメを武器に「城址・城跡」を切り撮りその戦果をブログで紹介。

「犬山城」城撮り戦果

2006年12月21日 | 城撮り物語
○犬山城<現存の国宝建造物・別名白帝城>(織田信康)犬山市古券65-2

織田信康の子信清の時「信長」に攻められ落城した。
(織田家同族の中で岩倉織田と清洲織田の争い)
その後池田信輝・野田信房と城主を代え、天正10年の信長死後、織田信輝の属城となり元和3年「成瀬正成」以降成瀬家が9代居城とし、数年前まで成瀬家の個人所有の城であった。

「宇留間(鵜沼)城」城撮り戦果

2006年12月21日 | 城撮り物語
○宇留間(鵜沼)城(大沢次郎左衛門)各務原市鵜沼南町7

信長の東美濃攻めにより「鵜沼城」攻撃するが、抵抗が強く難攻する。しかし木下藤吉郎の諜略に対し、これに応じ「鵜沼城」を明け渡す。
これにより信長の配下になるが、信長は疑いを持ち大沢氏の暗殺を企てる、これに気づいた藤吉郎の手引きで逃亡し、無人の城となる。その後鵜沼城は、当時の「犬山城主」池田恒興の管理下となるが、小牧・長久手の戦いの中、天正12年国替えにより廃城となる。

かって小高い岩山の頂上には「城山荘」と言う高級料理旅館があったが、火事で廃業、今も頂上近くに白い建物が見えるが山城へは登ることは出来ない。

「伊木城」城撮り戦果

2006年12月21日 | 城撮り物語
○伊木城(伊木清兵衛)各務原市鵜沼伊木山

築城時期は不明であるが、永禄7年「織田信長」が東美濃攻略の足がかりとしてこの地を攻撃、勇将「大沢次郎左衛門」(鵜沼城主)を中心とした斉藤方の抵抗に合い苦戦した。
信長は「木下藤吉郎」に鵜沼城(大沢氏)と伊木山城の諜略を命じた、藤吉郎配下の蜂須賀小六と伊木清兵衛が親しい間柄であったため、木下藤吉郎の書状を見せ戦わずして伊木勢を引き込むことに成功、これにより鵜沼大沢勢も衰え攻め落とされた。伊木清兵衛忠次により守られてきた、伊木山城も主人の池田輝政の三河吉田城転封になり、伊木氏も離れ、廃城となった。

「三井山城」城撮り戦果

2006年12月21日 | 城撮り物語
○三井山城(土岐弥一郎)各務原市三井町2丁目

三井山(標高108m)の頂上にあり、最初の城主は土岐忠八郎であったとか、土岐氏の家臣で三井郷の領主が三井弥一郎が築城したとも言われる。
築城にあたっては山頂にあった神社を山ろくに遍座させたという、光胃腸の御井神社と上中屋敷の天神社と言われる。
美濃国内で守護大名の土岐氏と守護代の斉藤氏の内乱が起きたとき、尾張の国「織田信秀」(信長の父)が天文17年に攻め込み落城し廃城となった。(説明板)
頂上からの眺めは雄大で木曽川の向こうに広がる濃尾平野や小牧山、北には稲葉山が展望できる。