風雲「城撮り物語」

長年愛用のデジカメを武器に「城址・城跡」を切り撮りその戦果をブログで紹介。

「川手(皮手)城」城撮り戦果

2006年12月22日 | 城撮り物語
○川手城祉(土岐頼康)岐阜市下川手(済美高校隅)

美濃・尾張・伊勢3ケ国の守護職「土岐頼康」の居城であったが、1494年の船田の乱(明応4年・5年の二年間美濃の覇権をかけて,土岐氏、斉藤氏など利権を掛け争った混乱期)により廃塵となった。
(船田城・加納城・川手城は川を挟み近い距離にある)
天文元年に「土岐頼康」は鷺山城主「土岐頼芸」に攻められ越前へ退散し、変わって「頼芸」が守護となったが、それも「斉藤道三」によって追われ、道三が美濃の国主となった。
その後美濃の本城は川手城から稲葉城(岐阜城)へ移った。