今名古屋ボストン美術館で開催されているのは
「開館15周年記念ボストン美術館ミレー展 バルビゾン村とフォンテーヌブローの森から 」
田園で働く農民の姿や身近な情景、自然の様子を畏敬の念を込めて描き取ったジャン=フランソワ・ミレーは、
写実主義を確立し、近代絵画への先駆者とされています。
ミレーは1814年にフランス北部・ノルマンデ地方の農村で生まれ、1849年にはパリ郊外のバルビゾン村に家族で移住。
村に集まった芸術家と交流を持ちながら生涯性製作を続け、1875年に亡くなりました。
それまで美術の対象とは見なされなかった農民の地道な日々の営みを、荘厳な芸術に高めた画期的な試みにより、
ミレーは西洋絵画史に大きな足跡を残しました。
そして自然に寄り添う人々とその勤勉さを賞賛する表現は、日本人の心の琴線に触れるものであり、
わが国でも時空を超えて愛され続ける画家となりました。
ミレー絵画の素朴かつ崇高な魅力は、ヨーロッパや日本の実ならず、アメリカにも波及しています。
開館5分前に美術館の2階に行くと、凄い列・・・
朝食後にすればよかった・・・
でも、10分ほどでチケット売り場まで。
事前にチケットを買っておけば、もっと早く入れますよ。
入り口の列は、チケット売り場への列だったようですから。
館内は意外と空いていました。
時々小学生らしい集団が勝手に鑑賞している自分の前に割り込んできたり、
大声でしゃべるのが迷惑でしたが・・・
展覧会は5つの章から構成されています。
I章:巨匠ミレー序論
ジャン=フランソワ・ミレーは、1814年にフランス北西部のノルマンディ地方で裕福な農家に生まれました。
地元、そしてパリで美術の教育を受け、サロン(官展)に挑戦し続け、30代半ばで農村バルビゾンへ移り住みました。
第Ⅰ章ではミレーの若き日の自画像などを紹介し、巨匠ミレーの生い立ちをたどります。
ここには4枚の絵画。
その中の1枚がこの「自画像」です。
そして「ソバの収穫、夏」
ミレーらしい働く人々を描いた絵画です。
II章:フォンテーヌブローの森
1849年にミレーが移住したバルビゾン村に隣接するフォンテーヌブローの森。
パリの南東約60kmに位置し、王家の猟場として知られた森は、19世紀以降も美しく豊かな自然が守られ、
多くの画家が訪れました。
コロー、ルソー、ディアズ、そして若きモネといった画家は、奥深い森や岩場、周囲に広がる草原の情景を間近でスケッチし、
また森に生きる農民の様子を描きました。
第Ⅱ章では、自然や人々の現実の姿をとらえ、伝統に挑戦し、
19世紀の絵画表現に新たな動きを生み出した画家たちの作品により、"ミレーが生きた時代"をみていきます。
ここには22枚の絵画。
フォンテーヌブローの森 コロー
オークとイノシシ ボドメル
ゴルジュ・オ・ルーを行く画家 フォンテーヌブローの森 シセリ
森の小川 クールベ
森の中の池 ルソー
罠にかかった狐 ロワイヨン
森の奥地 ペーニャ
祭りに向かうボヘミアンたち ペーニャ
フォンテーヌブローの森の薪拾い ルソー
森のはずれの薪拾い モネ
III章:バルビゾン村
バルビゾン村に住む人々は森や畑、水辺での仕事を生活の糧としていました。
ミレーをはじめとするバルビゾン派の画家は、畑を耕し、種をまき、収穫する農民の姿をとらえ描きました。
英雄のように堂々とした農民の姿には、美術作品の主題として新しい価値が認められるようになりました。
第Ⅲ章では、近代化と共に失われてゆく伝統的な農作業、厳しい労働の尊さと美しさ、
バルビゾン派の画家が見いだした農村の魅力をご紹介します。
ここには19枚の絵画。
ブドウ畑にて ミレー
働く人 ミレー
馬鈴薯植え ミレー
種をまく人 ミレー
「晩鐘」、「落穂拾い」、「羊飼いの少女」(いずれもオルセー美術館所蔵)とともに、ミレーの代表作である「種をまく人」。
(「晩鐘」は先日の東京のオルセー美術館展で出展されていました。)
これで5回目の日本での公開になるようです。
実はこの「種をまく人」にはいくつかのバージョンがあって、
そのうち一つが山梨県立美術館にあるようです。
1848年パリ周辺で不況不作に苦しんだ労働者と小農民によって革命が起き、支配階級にとって農民の存在が脅威となりました。
革命後の1850年、ミレーは名もない農民を英雄のように堂々と描いたこの「種をまく人」を発表しました。
本作は革命と結び付けた解釈で賛否を呼び、世間の注目を集めます。
また、当時絵画の主流ではなかった農民という主題に新たな価値が認められ、画家ミレーの存在を一躍有名にしました。
日本では岩波書店のロゴマークにもなっていますし、
ゴッホも同じような構図の「種をまく人」を描いていますね。
羊飼いの娘 ミレー
この「羊飼いの娘」はミレー晩年の大作として知られています。
この作品のの下に「バビロンの捕囚」という絵画が描かれていることが、1980年代に行われたX線調査で明らかになったそうで、
その「バビロンの捕囚」のX線像も一緒に展示されています。
この「バビロンの捕囚」を1848年のサロンに出品したことが知られてい多層ですが、長らく所在不明だったそうです。
その時に同時に出品した「箕をふるう人」に比べ評判が芳しくなかった「バビロンの捕囚」。
ミレーが歴史画家ではなく、農民画家として生きていく決心を固める要因のひとつになった作品とも考えられています。
刈入れ人足しの休息(ルツとボアス) ミレー
この絵の中で、農場労働者の男女が、輪になって食事をしています。
ミレーはこの作品のために50点以上の習作を描き、群像を画面の中央に配置するように慎重に計画して描きました。
1853年のパリのサロン(官展!)で二等賞を受賞した、ミレーの出世作といえる作品です。
人物群を丁寧に描いた見事な構図はミレーの技量の高さを示しています。
「ルツとボアズ」というタイトルは、ミレーが本作を描くにあたって旧約聖書中の「ルツ記」の場面を構想したことを示しています。
洗濯女 ミレー
洗濯女 ランビネ
IV章:家庭の情景
ミレーは戸外で働く農民に加えて、室内で家事にいそしむ女性の姿も数多く描きました。
幼い娘が年長の女性から裁縫の手ほどきを受ける場面や糸を紡ぐ女性の姿で素朴で質素な自給自足の生活を描いた作品は、
同時代に都会で暮らす人々の郷愁を誘い、美術市場において人気を博しました。
ここには10枚の絵画。
編物のお稽古 ミレー
眠る子の傍らで編物をする女 ミレー
糸紡ぎ、座像 ミレー
別離の前日 イスラエルス
V章:ミレーの遺産
ミレーの作品はフランスのみならず、ヨーロッパそしてアメリカで展示され、認められていきました。
1860年代半ばになると、ミレーは明るい陽光のもとで、たくましく生きる農民の姿を描き、
同時に風景描写への関心を強めていきます。
こうしたミレーの作品は、レルミットやデュプレといった画家に引き継がれていきました。
第Ⅴ章では、現実を見つめ、晩年になっても新たな表現に挑戦したミレーの姿とともに、
ミレーの作品が次世代の画家にどのように影響を及ぼしたのかを紹介します。
ここには9枚の絵画。
小麦畑(昼の休息) レルミット
謙虚な友(エマオの晩餐) レルミット
織物のお稽古 ミレー
ガチョウに餌をやる子どもたち デュプレ
干し草づくり デュプレ
相変わらず図録は重いので、絵葉書ばかり買いました。
1時間半たっぷりと楽しんだ後、会場を後にしましたが、
その時はもうチケット売り場に並ぶ列は無く、慌てて朝から来なくても良かったのかも。
でも、どの絵画もすばらしかったです。
で、この展覧会も日本三箇所を巡回するらしく、
すでに今年の2/2~4/6に高知県立美術館で開催されており、
次回は10/17~1/12までは東京の三菱一号館美術館で開催されるようです。