今日は中秋の名月です。
バルコニーに出てみると、少しかけた感じのつきが東の山に昇ってきました。
顔にあたる風が涼しいです。
てっきり中秋の名月って満月なのかと思っておりましたが、どうも違うようです。
ね、ちょっとかけている感じしませんか?
土手にはえているすすきと萩の花を小さな花瓶に挿し、
駅で買ってきた赤福もちをお茶と一緒にいただきました。
天体望遠鏡では満月ってのっぺりして、あんまりおもしろくないんですよね。
中秋の名月といえば、「双蝶々曲輪日記」を思い出します。
やじが、初めてお付き合いした人に、初めて連れて行ってもらった歌舞伎公演。
当時京都に住んでいたので、冬の顔見世興行を、
再建前の南座で見ました。
升席がまだあってね。
市村家橘の吾妻
片岡秀太郎の与五郎
片岡我当の長吉
中村扇雀(現坂田藤十郎)の南与兵衛
中村富十郎の濡髪
澤村宗十郎(故)のお早
上村吉弥(故)のお幸
でした。
この演目は歌舞伎では「堀江角力小屋の場」(角力場)と「南与兵衛住家」(引窓)
のみが演じられることが多いですね。
2003年国立劇場で半通しで上演されたことがあります。
発病前でした。初春公演で、そのときのチケットをみると1/3(金)とあります。
確かこれを見た後、歌舞伎座に直行し夜の部を見て、
翌日歌舞伎座の午前の部を見て帰ったと記憶しています。
やじが見た双蝶々の通し歌舞伎公演はこの1回だけ。
この時は
南与兵衛を中村富十郎、長五郎を中村吉右衛門、お早を中村時蔵、お幸を中村吉之丞、
与五郎を中村信二朗(現中村錦之助)が演じました。
文楽では比較的よく半通し狂言で演じられますね。
「米屋」とか「「難波裏殺し」など。
本来は全部で九段あるのですが・・・
ま、こんな話はだれも興味ないですね。
一番の見所は「引窓」です。
その場は淀川のほとり八幡の里。中秋の名月の前日です。
中秋の名月になるといつもあの日の南座を思い出してしまいます。
その時NHKで放映されたものを録画したビデオがあります。
今夜みてみようかな?また泣いてしまうかも・・・
残業で最後のニ幕しか観れませんでしたが。
追加席が出るほどの入りでした。
玉三郎さんの「鷺娘」、何度見ても美しいと思います。
日本人に生まれて染々良かったと感じました(大袈裟ですね)
法界坊、今夜だったんですね。
まだまだ帰れそうにありません…残念(泣)
歌舞伎座だったら、せいぜい角力場と引窓くらいですね。
国立劇場は時々いろんな作品の完全とはいえないまでも通し狂言として出るので、そういう意味では国立劇場の演目には注目ですね。
こういう義太夫ものならやっぱり文楽がいいです。
そういう点で関西住みは有利かもね。
国立文楽劇場で2000年に通し狂言で出ています。
角力場、米屋、喧嘩場、橋本の段、引窓でした。
でも、結局これでは、濡れ髪とお幸が会えたかはわかりませんね。
鷺娘は玉三郎の舞踊公演ですか?
この人の鷺娘は賛否両論ありますが、
美しさで言うと抜群ですね。
ほとんど上演されるのは「引窓」ですもんね。
また色々教えて下さい。
今夜は久しぶりの「鷺娘」を堪能して来ました。
いい夢が見れそうです。
「河内へ越ゆる抜道は狐川を左に取り、
右へ渡って山越えに、右へ渡って山越えに、
よもやそれへは行くまいて」
の言葉に沿って河内へ落ち延びて行ったんですね。
そして逃げていった河内の国観心寺村で相撲の勧請元に身を潜めていたのですが、そこへ放駒が訪れ、事件の発端となった与五郎と吾妻の一件が収まったことを知らせます。
そして、追っ手がやってきてその中にいた南方十次兵衛の縄へかかり、大阪へひかれてゆく。
そんな感じで終わったと思います。
なので結局母お幸いには会えずじまいだったんではないでしょうか。
本当に多くのゲイ、そしてHIV感染者が、
同じ月を見ているんだな、と思いました。
松任谷由実の「Color Of The Moon」…そんな気持ちを唄った歌でした。
もう今は会うことも無い人達はどんな今夜を過ごしているんだろう…そんなこと考えてた夜でした(トシ取っちゃったんですね~(爆))
みんな元気でいて欲しいです。
そして濡髪はもう一度母親に会う事はあったのでしょうか。
中国では月餅でしたね。
やじの田舎では里芋をお供えしていました。
初めてテレビで月見団子を見たときには??でした。
蘇軾といえば、高校のときに習った漢詩(「春夜」だったかな?)を思い出します。
春宵一刻値千金
春有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈
だったかな?うろ覚え…。
みんなと同じ月をみているんだな~って
感慨深く思いました。
彼もきっと同じ月をみているんだろうな。
あ、でも彼は月を愛でるなんてしないかも。
「但願人長久、千里共嬋娟」
(ただ願わくば 人の長久を!
ただ願わくば 遙か遠くにあっても共にあの月を見ることを!)
そういえば、先週訪ねた恵州の西湖はこの詞の作者である北宋の政治家・文人蘇軾(蘇東坡)が作らせたものです。