涙と笑いのHIV奮闘記

自分とは無関係と思っていた病気と思いがけなく向かい合い、闘病を続けるオヤジの日記。
仕事に趣味に彼氏との生活に奮闘中。

壽初春大歌舞伎:昼の部

2008年01月13日 | お薦め
 

今日は昼の部の観劇です。

今回も涙で始まり涙で終わった公演でした。

まず最初に「蘆屋道満大内鑑」から「葛の葉」です。

陰陽師の安倍保名(中村翫雀)に命を救われた狐(中村扇雀)は、許嫁の葛の葉姫に化けて
保名と夫婦になり子をもうけ、ひっそりと隠居暮らしをしています。
ある日、信田庄司(坂東竹三郎)とその妻と本物の葛の葉姫(中村扇雀)が訪ねてきます。
しかしその家には、娘葛の葉姫と瓜二つの女房が?驚いた信田庄司は妻と娘を納屋に
隠したところへ安倍保名が帰ってきます。
きちんと挨拶もないままにこうして暮す自分を責めるために娘に衣装を着せかえたと思った保名も、
家を覗いてびっくり!家の中にも葛の葉姫が!
独りで二人の葛の葉を早替わりです。

そしらぬ顔で家に帰り、女房葛の葉に「信田の両親が訪ねてくる」と伝え、昼寝のふりをしていると
狐の女房葛の葉は、もはやこのまま暮らせはしないと身を引く決心をします。
しぐさが両手首を曲げ、狐の本性が現れます。
この前見た「吉野山」の忠信が実は狐、と同じようなしぐさですね。
眠っているこどもの周りを動きながら、子供を残して去らなければならない悲しみ、苦しみにもだえ苦しむ狐の姿に
やじは涙を禁じえませんでした。
泣く子をあやしながら、家の障子に「恋しくば尋ねきてみよいずみなる信田の森のうらみの葉」という
歌を書き残して、姿を消す葛の葉。左手で、また筆を口に咥えての曲書きなど狐らしさをみせる
演出。狐跳びも可愛らしく深い情愛を持つ狐の葛の葉の子供を置いて行く哀しさ、ベルトに乗って
消えるように引っ込む場も切ない。
手紙を残そうと、墨をすり、どこへ書こうかとふと障子に目をつけます。
障子に「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる 信田の森のうらみ葛の葉」
「恋」という漢字を書いて、「しくば」を下から上に書く。
「尋ね来てみよ和泉なる」
そして子供を右腕に抱いたので左手で
「信田の森の」を書くのですが、この字は左右逆になって、
最後に両腕で子供を抱くので、口に筆を咥えて「うらみ葛の葉」と書くのです。

それを読んだ保名は、相手が狐だろうが連れ添った妻が大事だと子供を抱いて追いかけてゆく。
たとえ狐を嫁にもらったと他人に言われようとも・・・

狐は宙乗りで紅葉した葉っぱが舞い落ちる中、3階に引っ込んでゆきました。

前に歌舞伎座で魁春が演った時は、ベルトコンベアみたいなのに乗って消えてゆき、
すっぽんからせりあがって、引き抜き、という段取りだったような。

次の演目は「佐々木高綱」
岡本綺堂の新歌舞伎です。
新歌舞伎、苦手です。
我当が演じていた高綱、なんだか屈折していてうんざりします。
ぐっすり眠ってしまいました・・・

次は舞踊「芋掘長者」
なかなか楽しい舞踊でした。
あっという間に終わってしまいました。

最後は「伊賀越道中双六」から「沼津」。

初めて歌舞伎を観たのは昭和最後の南座顔見世興行。
扇雀(現藤十郎)が出演した「引窓」、「沼津」を観て歌舞伎にとりつかれてしまった、
といういわくの作品です。

「伊賀越道中双六」の通しでの歌舞伎の上演は少ないのですが、
平成十六年十月に国立劇場でありました。
その公演のちらし。

今回藤十郎が十兵衛、我當が平作を演じています。
(以前は次の画像の様に藤十郎の父二代目中村鴈治郎が十兵衛を、當の父片岡仁左衛門が平作を演じていました。)

今回の舞台と同じで、十兵衛が藤十郎(当時鴈治郎)、お米が秀太郎、平作が我です。
はこのとき平作を始めて演じています。


その時買った筋書によると、その前は昭和45年らしいです。
そのときには「沼津」は出ず、「新関」と「岡崎」が出たらしいです。

平作はヨボヨボの老人。駄賃を稼ごうと十兵衛の荷物を運ばせてもらうことになったのに、
荷物もろくに持てないし、持ってもちょっと進んでは休みで、進まない。
意外と我當はこういう感じの爺板についてきました。
平作と二人で舞台から降りて客席通路を回るんですよね。
その道中のやり取りがわらわせるんですよね。
平作が70歳だと聞き「わしが70になるまでまだ何十年もあるわ」。
十兵衛は28歳なのですが、演じる藤十郎は77歳です。
すでに過ぎてるって・・・

途中で転んで爪をはがしてしまい、十兵衛の持っていた膏薬を塗るととたんに痛みが消える。
この薬と印籠が後の悲劇の複線になります。
見かねた十兵衛が荷物を持とうとすると、そんなことされたら駄賃をもらえないと断るんですが、
十兵衛が持たせてくださいと頼むと、「しゃあないな~」と言って持ってもらうわけです。

この辺の上方言葉での演技が上方和事ですね。

さて、途中で平作の娘に出会い、その美しさに一目ぼれする十兵衛。
だって、今は田舎の娘ですが、実は吉原の傾城瀬川だったんですね。
父がお世話になったので家に寄るようにと言われ、行く気満々の十兵衛。
旦那さんはあんなきたない家には来ない、と反応した平作とのやりとりがおかしい。

夜も更け、寝ようとするときに、布団を十兵衛に寝てもらうことになり、
平作は掛け布団がなく自分でコロコロっと転がって煎餅布団を体に巻き付けました。
国立でやったときはこんな演出なかったけど。

お米があの膏薬があれば夫の病が治るかもと思い、膏薬の入った印籠を盗もうとしますが、
十兵衛にみつかってしまいます。そのときの平作の述懐から、
親子が実の父と妹であることを十兵衛が知ることになります。
しかし、親子の名乗りをあげず、石塔の寄進という口実で持っていた路銀と、そして印籠をおいて家を発つのです。
その時、「おやじさん、この(ちょうちんの)蝋燭で吉原までもちますかいな」と提灯を平作の顔に近づけ、
平作の顔をじっとみます。そして妹に親を大事にするように言い聞かせて。


十兵衛が置いていった金子に添えられていた臍(ほぞ)の緒書きから、十兵衛が実子であることを知った平作は
近道を通って十兵衛を追いかける。
十兵衛の前で平作が自ら犠牲になって腹を刺し、誰も聞いていないから、死んでゆく自分への餞に
娘婿の父の敵である股五郎の居所を教えてくれるようにと願う場面が凄絶。
草むらでは池添孫八とお米がその様子を伺っています。
恩義ある人への義理と、実父への情愛の板ばさみで苦しむ十兵衛は親の死に目に会い、
ついに義理を捨ててしまうのです。その時の科白
死んでゆく父親に傘をかぶせながら、妹らに聞こえるように、

「どこに誰が聞いていまいものでもなけれど、
十兵衛が口からいうは、死んでゆくこなさんへの餞別、
今際の耳によう聞かっしゃれ。
沢井股五郎が落ち行く先は九州相良、九州相良、
道中筋は参州の、吉田で逢うたと人の噂。」

平作は手を合わせて「ありがたい、ありがたい」。
たまらなくなった十兵衛は「平三郎(十兵衛の幼名)でございます」と泣きながら父親を抱きしめるのでした。

は~一月分くらい泣きました。

 



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2 コメント

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上方の世話物ではほぼ毎回 (やじ)
2008-01-14 06:35:17
>M.Iさん
引窓や沼津は何度観ても泣いてしまいます。
最近は新口村や曽根崎心中でも…
葛の葉で涙するなんて初めてでした。

来週は文楽で新口村です。
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泣きのツボ (M.I)
2008-01-14 04:06:37
泣きの入りそうな演目の時は一人で観に行きます。



歌舞伎は客席があまり暗くならないんで連れがいると照れ臭い。

でも、でも、素直に泣けるっていいじゃありませんか。



自分は世話物でツボに入ってしまうと、完全にアウトです。
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