菅原神社を出て、少し歩くとすぐに「喜光寺」があります。細い道を入ってゆきます。ここから入るのかな?と思ったら、警報ブザーがなっちゃいました
入り口はもう少し奥でした。
拝観料を払うにも、箱が置いてあるだけ。だれもいませんでした。
この寺は奈良時代の名僧行基が建立したといわれているそうですが、行基といえば有名な奈良の待ち合わせスポットで、近鉄奈良駅前にある噴水の上に立っています。そうそう、道真公が誕生した地と言われています。
当初は「菅原寺」と呼ばれていたそうですが、聖武天皇が「喜光寺」と改めたとか。
境内にはいるとこんな万葉歌碑が立っています
「大き海の 水底を深く 思ひつつ 裳引き平らしし 菅原の里」 (万葉集 巻二十・四四九一)
本堂です。行基は東大寺造影にあたって、この寺の本堂を参考にされた、という伝承から、この寺は大仏殿の「試みの堂」として知られています。
本堂内に安置されている本尊は阿弥陀如来像、そして脇侍は観音菩薩と勢至菩薩像です。
境内には石仏群があり、その隣に仏足石があります。
境内の参道の両側には多くの鉢が並んでいますが、様々な種類の蓮の花が六月下旬から咲き、それは見事だということです。
「菅原の喜光寺にて
ひとり きて かなしむ てら の しろかべ に きしや の ひびき の ゆき かへり つつ
喜光寺 一名菅原寺。法相宗。伏見村菅原にあり。養老六年(722)
行基(ぎやうき)(670-749)の創基にして、天平七年その寂(じやく)する
ところといふ。今の金堂は応永年間に建てられしものなるも、
創建の土壇と旧礎との上に、天平式の細部を以て造立されたれば、
俗間にては「大仏殿試みの雛形」なりと誤伝さるるを、
作者は俗間にてしばしば聞きしことあり。事実を反対にせるが
面白しともいふべし。
作者が、この歌を詠みしは、この寺の屋根破れ、柱ゆがみて、
荒廃の状目も当てかねし頃なり。住僧はありとも見えず。
境内には所狭きまでに刈稲の束を掛け連ねて、その間に、
昼も野鼠のすだくを聞けり。すなはち修繕後の現状とは
全くその趣を異にしたりき。」
(南京新唱)
是非次は蓮の咲いている六月下旬から八月上旬に行ってみよう。
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