キャッスルマン病とわたし。

稀少難病『特発性多中心性キャッスルマン病』になってしまったわたしの日々。
夫・Uさん&チワワに支えられて。

moco's モットー

病気でも
☆元気☆健康☆長生き☆

“全身性キャッスルマン病”
“舌白板症”
“子宮内膜症”

三病息災LIFE

今日は3回目の母の月命日

2014-08-28 | 母とスキルス性胃がんのこと。
早いもので、

母の3回目の月命日がやってまいりました。


あれから3ヶ月が経つのか・・・。

早いんだか遅いんだか、

どちらにも思えてしまう、

不思議な感覚です。



今日はダーリンが夜勤明けに24時間営業のイオンで

食パンとウィンナーを買ってきてくれたので、

ピザトーストとウィンナーエッグをブランチにしました。


ウィンナーは母がよく買っていたシャウエッセンにしようと思っていたのですが、

あれ、高いんですよね

で、ダーリンはシャウエッセンより少し割安の

スーパーBOOのウィンナー(6本¥233)を買ってきてくれたのですが、

スーパーBOOってオイシイですね



さて、

これらのメニュー、

普通の食卓と変わらないように見えますが、

あまり我が家では食べないメニューで、

私が実家にいた頃、

よく母が出してくれた朝食のメニューとなっております。


そして、夜はコチラ。

 タイカレーとパクチーのサラダ


盛り付けが美しくなくて済みませんっ


カレーはカルディーで購入したロイタイのレッドカレー。

今回の具材は、鶏肉と竹の子と赤ピーマン&グリーンピーマン、

それと、ぶなぴーとエリンギですね。


月命日が近くなると、

鶏肉とキノコは常備してあるので、

竹の子の水煮とピーマンかパプリカは必ず用意します。

今回は買いそびれたけど、茄子もマストです


ロイタイのレッドカレーはイマイチだったので、

次はグリーンカレーにしよ~っと。





実家では

フレッシュパクチーが食卓に上ることもありませんでしたが、

我が家は生サラダが大好きで、

パクチー愛に目覚めてからというもの、

冷蔵庫にフレッシュパクチーを常備しているので、

「パクチー、タイっぽいし。」という理由で登場したパクチーサラダに、

塩コショウ、

これまた実家では御縁が無かった「スイートチリソース」、

さらにはオリーブオイルもぶっ掛けたボリューミーなサラダと相成りました。

画像では見えないけど、

下にはキャベツの千切りがわっさわっさ敷いてあって、

中玉トマトと、

「サンマルツァーノ・リゼルバ」という、

皮が薄くて生でもおいしいコラーゲンたっぷりのイタリアントマトと

パクチーが乗せてあります

いやぁ、それにつけても、

やっぱりパクチーとスイートチリソースは相性がバツグンに合いますなぁ。



そして食後にはコンデンスミルク(練乳)入りミルクコーヒーを頂きます


幼少期をタイのバンコクで過ごした母は、

コーヒーに砂糖と牛乳ではなく、

缶詰の練乳を垂らしていました。

缶詰の練乳は後始末が大変なので私はチューブタイプを使っていますが、

実家の台所のテーブルの片隅に

いーっっつも必ず置いてあった

缶詰の上蓋に缶きりで2箇所穴を開けて

サランラップを軽く被せただけで、

乾いた練乳がカピカピに固まってたの、思い出すなぁ。


さて、来月は何を作ろうかなぁ。



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母の形見分け

2014-07-06 | 母とスキルス性胃がんのこと。
今日は母の形見分けで貰ってきたものを整理しました。


いろいろと高そうなアクセサリーもあったんだけど、

私には似合わないし

興味も無いので、

思い出の品と

身の丈にあったアクセサリーを数点だけ貰いました。



 ペンダントヘッド&イヤリング

ラウンドブリリアントカットのイヤリングは

デジカメの色が反射してピンクっぽく見えるけど、

白色系の綺麗な石です。

本物かどうかは知りませんが、

いつか娘の結婚式に着けて出席したいと思っています。



 ペンダントヘッドを無理やりアメピにしてみた。

青い石のついたペンダントヘッドは、

石じゃなくてプラスチックのような気もするんだけど、 

大好きなティアドロップに

大好きなブルーカラーの石がついていたので貰いました。


私は汗っかきで、

ネックレスなんてカイカイになっちゃうからしないので、

ペンチを駆使して

無理やり手持ちのアメリカンピアスのヘッドを外して

ティアドロップのペンダントヘッドをくっ付けちゃいました


今後、ヘビロテになる事まちがいナシ




 シチズンのブレスレットウォッチ

腕時計はブレスレット派の私。

ゴールドは自分では買わない色なんだけど、

文字盤の落ち着いたブラウンとのバランスが良いのが気に入って貰いました。


止まったままの状態だから電池交換してもらわなきゃ

クロックハウスで1500円ぐらいで出来るかナァ。




 2枚貝のペアの根付け

独身の頃、

1回だけ母と二人で京都に旅行に行ったんだけど、

その時のお土産かなぁ?


1枚のビニール袋に入った状態で

大事に保管してあったし、

ペアだから、

たぶん、「父と母に」って買ったんだと思うんだよなぁ。

綺麗な細工が施してあって、美しいので貰ってきました。




 懐かしの記念コインが出てきた

アレは中1の夏休みだったかな。

家族で池袋サンシャインシティーに行った時に

記念コインを買ってもらっていたみたい。


家族で行ったのは覚えてるんだけど、

コインの存在はすっかり忘れていました。


サビだらけぇ~



 日付と名前を刻印していた。

行った日の日付と

私の名前をローマ字で刻印してありました

正直、

「こんなもん、どうせいって言うんじゃい!」ってカンジなんだけど、

なんか微笑ましくもあります。

自分では捨てるに捨てられないので、

私が死んだらダーリンに処分して貰うしかないですね。








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母の月命日

2014-06-28 | 母とスキルス性胃がんのこと。
今日は初めての母の月命日。


実家にいた頃、

母がよく朝食に出してくれたメニューを再現して

ダーリンと二人、

母を偲びながらブランチを頂きました。




レギュラーコーヒーに練乳を入れた甘めのミルクコーヒー。

目玉焼きと焼いたウィンナー。

マーガリンを塗ってからトースターで焼いたトースト。


母はコーヒーメーカーで淹れてくれてたけど、

ウチにコーヒーメーカーは無いから、ハンドドリップで淹れた。

ちゃんと豆から挽いたんだよ。


戦時中、

幼少期をタイのバンコクで過ごした母が作るコーヒーは

砂糖ではなくコンデンスミルク(練乳)を混ぜた甘めのコーヒーで、

けっこうな歳になるまで

我が家は姉も私も弟も、
皆これが普通だと思っていたんだよね。


今日は久しぶりに練乳で作ったから、

間違えて砂糖(黒糖)も入れちゃって

超甘甘のコーヒーになっちゃったよ。



母が作る目玉焼きは両目じゃなくて片目だったかな。

私は健康のためにミル挽きした岩塩と胡椒にオリーブオイルを掛けてるけど、

実家では塩を一つまみだったっけ。


ウィンナーは今回は体調不良で買い物に行けなかったから

冷蔵庫に残ってたトライアルのPBの安いウィンナーだったけど、

母はシャウエッセンかバイエルンだったような気がする。

高いウィンナーを食べさせてくれてたんだよねぇ~。

そういえば、

めっちゃパリッとして美味しかったよナァ~。


トーストは、

先にマーガリンを塗ってから焼いて、

パンに甘みが増してが柔らかくなったのが好きだったよね。


胃癌で食事がほとんど食べられなくなっちゃったから、

最期の方は、

「moco、食べられないって、本当に地獄よぉ~!」って

よく言ってたっけ。

「夕方のニュース見てても食べ物のコーナーばっかりだから、

 こっちは食べられないって言うのに、

 コンチクショーって思うのよ!!!」って、怒ってたよね。


辛かったよね。

頑張ったよね。


今は天国で好きなものを食べられてると良いんだけどな。

あ、

四十九日前だから、

まだ天国からお迎えは来てないか。


じゃぁ、

今日は一緒にブランチ食べられたかな?


来月はウィンナーをシャウエッセンにバージョンアップするから、

そん時は顔出してよね

一緒にブランチ食べようよね








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あれから・・・・・。

2014-06-21 | 母とスキルス性胃がんのこと。
母の訃報を受けてから、早いもので3週間が過ぎていきました。


当ブログやツイッターに訪れてくれた皆様、
暖かい励ましの言葉の数々、ありがとうございました。


皆様のご厚情、誠に痛み入ります。



今回のように

極々、近しい身内を見送る事は初めてで、

いろいろな事は同居していた父と弟で取り仕切ってくれたのですが、

ただただ、

慌しさと悲しみにくれていました。



今は、

細い夫が、

「重い!重い!」と息を切らせながらも

シッカリ支えてくれているので、

だいぶ「日常」が戻ってきています。





ちょうど母の病気が発覚した頃に

夫の転勤が決まったりして、

いろいろな葛藤を抱えつつ、遠い地に引っ越した中で、

母の病状を思いながら過ごした日々でしたが、

看取る事は出来なかったけれども、

最期の数ヶ月は

夫が頑張って月1ペースで帰省してくれたおかげで、

遠方で暮らしている割に、

私、夫、孫の顔を見せ、会話も出来ていた事が

救いになっています。




あの時ああすれば良かった、

もっと、こうしてあげれば良かったなど、

正直、後悔の念は尽きないのですが、

母はきっと、

私がいつまでも後悔にうなだれている姿をみる事を望んではいないと

自分を奮い立たせています。



母はとても周囲に気を遣う人だったので、

いつまでもクヨクヨしていたら、

「あぁ、私のせいでmocoを悲しませてしまったわ。」って

天国で嘆いてしまう事でしょう。

天国に行ってまで胃癌になられてはタイヘンです。


思い出すたびに大泣きするのはオシマイ


でも、

涙がジワっと出てくるぐらいは勘弁してよ

ね、お母さん




 母が大量に遺した健康食品の数々。(笑)


主にローヤルゼリー・プロポリス・香醋(こうず)。


コノ手のサプリって、けっこう高いんだけど、

節約家の母がこれだけ高価なサプリを大量に購入していたって事は、

きっと病気を直したくて、

藁をもすがる思いだったのだろうと思います。


遺される家族のために、

1日でも長く生きようと頑張ってくれました。





 毎日ちょっとずつ飲んでます。


いつも飲んでるサプリ(DHA&EPAとマルチビタミン&ミネラル)、

主治医から処方されているベザトール(中性脂肪を下げる薬)に加えて

今は香醋とローヤルゼリーを飲んでいます









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【 紙一重 】

2013-09-06 | 母とスキルス性胃がんのこと。
数日前、関東で両親と暮らしている弟からメールが来ました。

「母入院」と。



昨年末、嘔吐などの体調不良で病院を受診した母は、

そのまま緊急入院となり、

検査の結果、

スキルス性胃がんと診断されました。


胃を切除するために開腹したものの、

腫瘍が邪魔をして切除に至らず、

胆汁などが滞らないようバイパス手術をしてお腹を閉じたのですが、

(手術に5~6時間かかってたから、

 てっきり手術成功したと思ってたらバイパス手術だった。)

幽門(胃の出口)が腫瘍で圧迫され閉塞を起こし、

食事を摂る事が出来なくなったので、

退院後の毎日の栄養は

基本的に鎖骨に設置したポートからハイカロリー輸液を摂取している状態です。

抗がん剤もココから投与されています。

(現在はハイカロリー輸液のほかに、

 ごく少量では有りますが固形物も食べられるようになりました。)


ポートとは、

簡単に言うと、

鎖骨の下を通っている静脈にカテーテルという管を挿して

直接、

薬剤や栄養剤を流し込む為の医療機器で、

局部麻酔&日帰りで済む簡単な外科手術で、

皮下に埋め込む形で設置されます。



今回は、

母に設置されたポートから輸液が滲むようになったので、

感染症などのリスクを回避する為に、

ポートの移設手術をする予定で受診しました。


そして移設手術の翌日、

経過観察で再度受診したところ、

カテーテルが静脈を突き破っていたことが発覚、緊急入院となったそうです。

医療事故です。


そして、

その病院では対処仕切れないという事で、

あの内視鏡下手術支援ロボット 『ダ・ヴィンチ』も有している、

最近になって近くに出来た

最新医療が受けられる大病院に転院、

血管を突き破っていたカテーテルを引っこ抜いてもらい、

ICUに入室していたそうですが、

症状が安定していた為、

翌日には元いた病院に戻ったそうです。


今回は出血も炎症も見られなかった為、

大手術にはならなかったのですが、

もし出血していたら、

肋骨を折って開胸手術していたかもしれないので、

そうなったら高齢の母の体力が持つかどうか、

というところだったらしいのですが、

とりあえず傷ついた静脈の様子を見てから

今後の治療を考えるそうで、

本人には特に痛みも吐き気も無かったため、

「このICUから生きて出たの、私が第一号なんだってぇ~

などと笑っていられる状態だったそうで。

まぁ、確かにまだ出来たばかりの新しい病院だから、

ICUの利用者もそんなにいなかったのかもしれないけど、

こっちはずっとハラハラ・ドキドキでしたよ。


状態が悪化しない事を願いつつ、

母の体調が良いとわかると、

今回の入院、検査、転院、カテーテルの除去費用など、

今度は医療事故に対しての保障が気になるところで。



どうやら事務局長が不在だとかで

早くても来週の頭にならないと話し合いの場がもたれないそうなのです。

そして、

金銭面の話も気になるところですが、

話し合いが終わらない事には、

新たなポートの設置(手術)も出来ないそうで。


まぁ、

どちらにしても破れた静脈が落ち着かない事には

手術が出来ないみたいだから、

そんなに急ぐ必要も無いのかなぁ。


初めてのことなので、よくわかりません。


というか、

私自身は遠く離れた場所で

姉弟から電話やメールで結果を聞く事しか出来ないので、

何も出来なくて歯痒いのです・・・・・。

【 母の入院 ~スキルス性胃癌・2~ 】

2012-12-07 | 母とスキルス性胃がんのこと。
入院中の主治医の指導医と思われる先生による、

本人も交えた説明会で、

「スキルス性胃がん」だと言われました。


正確に言うと、

「スキルス」という言葉は使われず、

「癌が胃粘膜の下側に広がっている」といった表現だったので、

こちらから「スキルスですか?」と聞くと、

そうだと言われました。


(父が肺がんの手術でお世話になった時も

 「5年生存率」「ステージ」といった言葉を使わない説明だったし、

 ここの病院の先生方はわかりやすいように

 言葉を優しくして伝えてくれているような気がします。)


前回の主治医による説明で言われていた

a・幽門狭窄

b・胃粘膜下腫瘍の疑い

c・小腸(空腸)狭窄

に関しては、


a= 胃カメラで見たところ、幽門(胃の出口)全体が、

 なんらかの理由でむくんだように腫れていたので、

 食べたものが幽門の先の十二指腸に下りず、嘔吐していた。

b=悪性リンパ腫を疑っていた。

c=胃カメラが届かなかったので原因が分からないが、

 やはり何らかの理由で盛り上がり狭くなっていた。

 幽門が腫れているのでそれに押されているのかもしれない。


という事で、

当初、胃がんと悪性リンパ腫を疑い生検に出したが、

どちらも検出されなかったので、

再検査を依頼し、

前回とは違ったアプローチ(深切り&免疫染色~発色検出~)をして貰ったところ、

がん細胞が検出された。


ここで初めて、

生検が2度に渡っていた事と、

1度目の生検結果から

病院のどなたかから「とりあえず癌ではない」発言があり、

私たち家族がぬか喜びしてしまっていたんだと理解しました。


正直、

そういう状況だったんなら、

2度目の生検の結果が出るまでは「癌ではない。」とか

言わないで欲しかった。


一度喜んでしまったので、

その2日後に「やっぱり癌でした。」と言われた時、

私たち家族の不安や悲しみは倍増し、

動揺しきりだったのですから・・・・・。




そして、話は手術の内容へと移ります。


手術は

十二指腸と胃の3分の2を切り、周辺のリンパ節を取ると言われました。

いわゆる

「幽門側胃切除術」ですよね。


胃がんではポピュラーな術式で、

胃の主な機能(食べた物を貯める、消化する)が難しくなるけど、

ゆっくりよく噛んで食べることで胃の機能を代用する事になり、

術後数ヶ月ぐらいで術前と同等の食事の量が食べられるようになるそうです。


ここまでが

病巣部分の切除と「リンパ節郭清」と呼ばれるリンパ節の摘出になります。


そして次に新たに食べ物の通り道をつくる「再建術」になります。

十二指腸の端を閉じ、

残った胃に小腸をつなげるということだったので、

「ビルロートⅡ法」なのだと思います。


痛みに弱い母ですが、

術前に脊椎穿刺でカテーテルを留置し、麻酔薬を持続的に注入する

「硬膜外麻酔」の処置が行われるそうです。

この処置をしておくと、

術中や術後の痛みが和らぐそうです。


そして、

手術後はしばらく絶食になるそうです。

縫合不全を起こしていると、

腸の内容物が腹部の内側へ漏れ出し、腹膜炎の発症につながります。

ムリに食べると食べたものが縫合したところから漏れてしまい

膿がたまって腹腔内膿瘍が起きることもあります。


しばらくは鼻からドレナージで胃液を対外に排出し、

1週間後ぐらいに縫合を確認し、

水→重湯→おかゆと徐々に食べるものも戻して、

2~3週間後には退院できる予定だとのお話でした。


その他に話した事で覚えている事

・術後翌日からは臓器が癒着しないように
 自力で立つ、歩くなどのリハビリを開始する。

・PETはスキルス性胃がんには有効ではない。

・手術は4~5時間を予定している。

・母はやや貧血気味(白血球・赤血球・血小板が少ない)なので、
 後に血液内科で検査が必要かも。


この日、

母は泣いて取り乱すような事はありませんでしたが、

チョッと見たら、顔が真っ赤になっていたので、

涙ぐんでいたのだと思います。

でもきっと、

私たち(父・姉・わたし)がいた手前、

心配掛けまいと泣かなかったのでしょう。




さて、

わたしがブログに書いている事は、

自分で先生に質問したり、調べたりして書き繋いでいるので、

全てが病院側の言葉ではありません。


解釈が違う点があるかもしれない事をご了承くださいませ。





                              ~つづく~












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【 母の入院 ~スキルス性胃癌・1~ 】 

2012-11-24 | 母とスキルス性胃がんのこと。
今年の7月、

健康診断で父の肺がんが発覚し、

入院、手術を経て退院。

肺は大きく切ったものの、

ステージ1の初期段階で施術できた為、

手術後に抗がん剤の使用もなく、

予後の経過も良い状態なのですが、

しばらくしたら

今度は姉が大腸憩室炎で入院し、

ほどなくして退院したのもつかの間、

今月上旬から母が入院してしまいました。


どうやら朝ごはんを食べていた時、

食べたものを吐いてしまい、食べられなくなったそうです。

突然、食べ物を受け付けなくなったとか。


わたしもそうなんだけど、

母も吐き気はあっても吐けないタイプ。

それが吐いたって事で、

病院に行きたがらない母を父が説得して

なんとかかかりつけの近所の総合病院に行ったそうなんですが、

母はお昼を過ぎても帰ってこなくて、

病院の帰りに買い物にでも行ったのかと思っていた矢先、

病院から緊急入院の一報が来たそうです。


母はもともとナイーブな性格で、

どちらかというと内気で、

周りに凄く気を使うタイプ。


このところ確かに胃の不調は訴えていました。


でも、

毎年健康診断で胃カメラ飲んでるし、

年も年なんで、

近所の総合病院で

内科や心療内科は割としょっちゅう受診してて

胃の不調や、

健康診断の結果で貧血気味って結果が出てるって

内科の先生に言ってたみたいなんだけど、

気にしなくていいって言われてたみたいで。


でも、

わたしから見ても

母はやや神経質というか、

考えすぎてしまう面もあったし、

病院の先生も問題にしていなかったので、

単純に精神的なもんなのかなって思ってたんです。


だから、

今回の入院もポリープが出来たとか、

胃潰瘍とか、胃炎の類なんだろうなって思ってました。

「順番から言って、母さんの次はわたしの番かもね~。」

なんて軽口をたたいたりして。




はてさて、

この総合病院には病理が無い為

生検は外注という事もあり、

結果がなかなか出なかったのですが、

お見舞いに行った時に

たまたまナースステーションに入院中の主治医がいて

お忙しい中、少しだけ時間をとって

説明してくれたんですね。


その時の説明では、

a・幽門狭窄

b・胃粘膜下腫瘍の疑い

c・小腸(空腸)狭窄

との事でした。


aとcはともに狭窄といって、

幽門とは胃の出口をさしているのですが、

それぞれの部分が何らかの原因によって

腫れたような状態になっているという事でした。

先生曰く「ぶよぶよしている」と。

それが出来物なのか、炎症を起こして腫れているのか、

原因は何なのかわからないと。

その中の可能性のひとつとして、

bがあるかもしれないってことだったんです。


結局その週は生検の結果が出ず、

翌週の半ばにお見舞いに行った時に、

「とりあえず癌じゃないって言われたよ。」

と言っていたので、ヨカッタ・ヨカッタと安心して

胸をなでおろしていたら、

その2日後ですよ。


姉から電話がかかってきて、

「急転直下だよ」と。

やっぱり胃癌だったから来週の月曜日に手術して

胃の3分の2を切るって言われたらしい

って言うんです。


こっちはもう、ナニがなんだかでしたよ。

何で癌じゃないって言われたのに

こんな早急に

いきなり「やっぱり癌でした」って翻すわけ?って。


で、

本日、家族面談があり、

そこで入院中の主治医の指導医と思われる先生から

説明があったわけですよ。


最初は家族面談の日は午後から仕事もあるし、

午前中の家族面談に出て午後仕事だと

体力的にきついかと思って行くかどうか少々迷ってたんだけど、

昨日お見舞いに行った時、

わたしが帰ろうとしたら、

母が

「癌が胃の粘膜の下に潜ってて見つけにくかったって言われたのよね~。」

みたいなことを言ったんです。

なるべく表情には出ないようにしたけど、

母が胃癌だと言われてからいろいろ調べてたら、

胃癌は胃粘膜より下の層に行くほど進行しているって

書いてあったし、これはヤバイなと。


自分の目で、耳で母の状態を確認したくて、

頑張って家族面談に出席してきたら、

案の定、スキルス性胃癌でした。

ぐぐると山ほど出てくるけど、

元フジTVアナウンサーの逸見正孝さん、

堀江しのぶさんや塩沢ときさん、

今年だと

元お笑いトリオ・ヒップアップで「踊る」にも俳優として出ていた

小林すすむさん、

推理作家の吉村達也さんもこの病気で他界しています。


この病気の特徴は、

通常の胃癌のように胃粘膜表面ではなく、

胃壁の中を広く浸潤する為、

悪性度が高く、

進行が早く、再発しやすいのです。


普通の癌のように胃の表面での変化がみられないため、

通常の胃カメラなどでは見つからず、

初期で見つけるのが非常に困難な為、

かなり進行した状態で発覚するケースが多く、

それゆえに5年生存率も低くなっています。

が、

それゆえに、

初期で見つけられた場合=ステージ1Aで発覚した場合の

5年生存率は95%と高くなります。


でも、

たとえステージ4(末期)でも、

あきらめず、

生活習慣や食習慣に気をつけた生活を送って

NK細胞を増やす事が出来れば、

癌が小さくなったりして、予後を穏やかにすごす事は可能だと思うんです。

                                     ~つづく~

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