キャッスルマン病とわたし。

稀少難病『特発性多中心性キャッスルマン病』になってしまったわたしの日々。
夫・Uさん&チワワに支えられて。

moco's モットー

病気でも
☆元気☆健康☆長生き☆

“全身性キャッスルマン病”
“舌白板症”
“子宮内膜症”

三病息災LIFE

キャッスルマン病と言われるまでのこと。その11

2007-12-30 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 アクテムラを打ってみた 】



2005年11月17日

いよいよ初アクテムラとなりました。


アナフィラキシーショックの可能性があるため

初回と2回目の投与の際は1泊2日の入院が必要になります。


前回、検査で1ヶ月入院をしたときは地獄の苦しみだったのですが、

今回は点滴(アクテムラ)を打って安静にしているだけだったし、

1日でおうちに帰れるとわかっていたので気が楽でした。


そういえば前回の検査入院の時『不明熱』と言われていたわたしですが、

夕方~夜中にかけて37.5~38℃の熱が出ていたけど

早朝~夕方までは平熱で、わりと元気に院内を歩いたりしていたので

他の入院していた患者さんに、

「あなた、本当に病気なの」と聞かれて困ってしまった事がありました。

思い起こせば、我ながら、つい職場にいる時のように

「タラタラ歩いていたら時間のロスだわ

とばかりにサクサクと歩いていましたっけ。(製造工場勤務なモノで




2005年12月1日


2回目の投与。再び1泊2日の入院。

今回の採血の結果を前回(11/17)のそれと比較すると、

CRPが『 7.2 → 0・3 』に下がっていました。

(ちなみにこの時に『8.7』と少し低めだったヘモグロビンも、

 徐々に回復して現在は『12~13』を推移しています。



これで「キャッスルマン病」が確定しました。


「まさか本当にキャッスルマン病だったとは・・・・・。


でも、このときの心情をもっと正確に表現すると、


「え~なんだかよくわからないけど変な病気になっちゃったよ~

「なんでそんな病気になっちゃったんだろう

「仕事どうしよう。難病だってばれたらクビにならないかしら

「家族に移らないかしら

「主人に離婚したいって言われたらどうしよう

「主人の家族から離婚勧告されないかしら

「やっぱりまだ若い主人の将来を考えたら、
 むしろわたしから離婚を切り出すべきじゃないかしら

etc...etc...

とにかく、いろんな想いがいっぺんに駆け巡ってました。


その後、

とりあえずアクテムラで1番の心配の種だったCRPは下がったし、

お金のやりくりはちと大変だけど、まだ体が動くから共働きならやっていけるし、

なんとかなるのかな~と思いつつも、

難病になって初めての体験ばかりでわからない事だらけで

毎日、とても不安で不安で、精神不安定になったせいもあるのでしょうが、

一人になると泣き暮れていました


「キャッスルマン病は現在の医学では完治しないけど、

 それ自体が悪性で今すぐどうこうなるわけではないから

 そんなに悲観しないでも大丈夫だよ。」

主治医からはそんな言葉をかけてもらっていたし、

言葉は悪いかもしれませんが、わたしより大変な思いをしている難病の患者さんが

もっとたくさんいる事もわかっているのですが、

当時は「自分の体がおかしな事になっている事実」が

「わたしは不治の病になってしまった」という固定観念のみに捉われて

必要以上に自分を悲劇のヒロイン化してしまった部分も多分にありましたね。


でもわたしは非常にラッキーだったと思います。


細菌性肺炎や喘息を患ってしまいましたけど、

2005年3月・めまいで倒れ、職場の課長に強く勧められて病院めぐりを始め、

2005年5月・1ヶ月の検査入院、

2005年6月・アクテムラの一般販売が始まり、

2005年11月・アクテムラを投与、

2005年12月・初期の段階で「キャッスルマン病」の診断が確定。


最初はなかなか不明熱から先に進まず、診断が確定するまでに9ヶ月も要したので

「長い道のりだった」と思っていたのですが、

他のキャッスルマン病の患者さんの記事を読むと、

診断が付くまでに何年もかかった方がけっこういらして、

診断が付くまでの間に誤診をされたり様々な辛い検査を経験されたり、

他の病気を併発されたりと、大変な想いをされているのです。


わたしは早期発見・早期治療が出来てラッキーだったと思います。

これからどんなリスクが現れるかまだわからないけど、

今現在は、「完全に健康です」とは言えないものの、

家族と一緒に苦労を分かち合いながらも暮らせています。


2回目の投与の後も継続して2週間に1度、アクテムラを打っていますが、

今でも「老後の資金繰り」「長い通院時間」「未知なる副作用」

などを考えると不安がつのります。


でも、時に体調を崩し、時に入院したりしながらも

やはり体は確実に楽になっているので、

今は「わたしはこれでいいんだ」と思っています。

キャッスルマン病と言われるまでのこと。その10

2007-12-10 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 キャッスルマン病の生検 】



キャッスルマン病の生検には左鼠径部(そけいぶ)のリンパ節を1個、

手術で摘出しました。

「左鼠径部(そけいぶ」)とは、「左足の付け根」を指します。



手術は日帰りで、わたしは主人に車で送り迎えしてもらいましたが

ゆっくりなら歩いて帰ることも可能です。




この手術ときの印象は・・・



① 「執刀医の肌が黒くて松崎しげるみたいだな~。」



② 手術はベッドに仰向けに寝て、左足の付け根を電気メスで切開

 したのですが、メスが入ってビリビリっときた時、
  
「なんだか理科の実験のカエルぴゃんになった気分。

 (カエルの解剖の経験はありませんが


そういえば、意識がはっきり有ったと言う事は部分麻酔だったんですね~。

ちなみに鼠径部からの摘出だったので傷跡は残っていません。



③ 術後の執刀医からの説明の時、予後の鎮痛剤等の薬について

「ジェネリック医薬品に出来ますか?」と聞いたところ、

その場の誰一人として「ジェネリック医薬品」を知る者がいなかった

これはけっこう衝撃的でした。


院内の壁や掲示板・待合室などには

「当院ではジェネリック医薬品を推奨しています

みたいなポスターがバンバン貼ってあるのに、

薬を処方する医師が知らないとは・・・。


しかもここは某有名大学病院。

その辺は進んでいると思っていただけに腰砕けになりましたが、

鎮痛剤はそんなに長く服用するわけでもないし、ま~、いっか

と、軽くスルーしておきました。


            
 

そして2週間後(だったかな?)、血液内科を受診すると、


「どうやらキャッスルマン病みたいだね~。」と主治医。

この時点ではまだちょっとあいまいなカンジも醸し出していました。


というのも、生検に出したリンパ節の細胞は検査機関で画像診断するのですが、

わたしの細胞は、なにやら中途半端でどっちつかずだったらしいのです。



検査技師の見解は「キャッスルマン病と言えない事も無い」でした。



 もう恋なんてしないなんて~ 言わないよぜぇ~ったい~

って、マッキーか~いっっ



で、ひとりノリツッコミはさておき、

当時はステロイドを服用していたものの、カンタンに言うと

CRPが「7~9」をさまよい、それ以下にならなかった為、

「アクテムラを投与してみよう」といった流れになったのです。



わたしとしては「藁をもすがる思い」でした。



アクテムラは非常に高額である(*1)し、

アクテムラは、

「チャイニーズ・ハムスター卵巣由来細胞を宿主とし、

 マウスモノクロナール抗体の抗原結合部位だけを遺伝子操作で

 ヒト抗体に埋め込んだ抗ヒトIL-6受容体抗体である」

つまり、ネズミぴゃんの細胞をいじくって作った

動物性の薬なので、人間の身体に投与すると

アナフィラキシーショック(*2)で死ぬ可能性もあります。

また、免疫機能(病気に対する抵抗力)が低下する為

感染症に罹りやすく、充分な注意が必要です。

  (これはステロイドでも同じですけどね。)


 ちなみにわたしは最近、

この「感染症に罹りやすい(免疫機能の低下)」を説明する時、

『昨日まで元気だったおじいちゃんが風邪を引いたと思ったら

 あっという間に肺炎に進行してぽっくり逝っちゃっうようなもので、

 とにかく他の人から病原菌をもらったらとてもまずい状態にあります。

 だから、常にマスクを着用しています。』

などと話しています。イメージが伝わるかと思って。


(*1)アクテムラは非常に高額である

    高額療養費という制度を利用すれば、受診日から最短3ヵ月で

    半額くらい戻ってきます。(額は各保険組合の規定により異なる)

    わたしの場合、受診料がだいたい月に13万くらいかかりますが
   
    戻ってくるのは7万円前後です。

     ただし、同じ病名で同じ病院の通院のみの適用です。

また、「通院」と「入院」は分けての請求となります。

      交通費・薬代は除きます。 



(*2)アナフィラキシーショック

    治療を受けた時に、体との相性が悪いと急性アレルギー反応が

    あらわれる事があります。


             


そして何よりも怖かったのは、

『治験はしているけど、新しい薬なので副作用がはっきりしていない』

という事でした。


「こんなデータが出ているよ、あんなデータも出ているよ」

と言われても、人によってそれまで服用していた薬の種類も量も期間も

様々だし、ステロイドを長期服用し、高齢になった方などのデータも

含まれている為、あまりあてになりません。

要は、「自分の体の中ではどう反応するのか」なので、

博打みたいなものですよね。



それでもわたしは賭けてみたかったです。



現状を維持して臓器を痛め続けていくよりも、

アクテムラで効果が上がれば体が楽になるし、

死んだとしても他の人たちの参考にもなるのだろうし。


何もしないでただ身体が動かなくなる日を想像して

怯えるだけの日々から脱却したかったです。

それでダメならしょうがない


それに今死ねば、家族に一番高い金額で保険金を遺す事も出来る

これはオイシーぞっ


そんな不埒な事も計算にいれつつ、アクテムラの投与は割と早く

GOサインを出したと思います。

キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その9

2007-11-26 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 キャッスルマン病かも 】



検査入院したものの、「不明熱」のまま先に進まず

「う~ん、どうしたものかね~」なんて雰囲気すら漂い始めたころ、

「もしかしたらキャッスルマン症候群かもしれないから

 生検でも受けてみようか」

ってな軽いノリで生検のための手術を受けることになったのが

2005年10月だったと思います。


最初に「キャッスルマン症候群かも」って聞かされたときは

「なに キャッスルマン

 キャッスルマン=城男それとも城人間」なんてのが、

まず頭に思い浮かんだ事を覚えています

単純なモンで、とっさに直訳してしまいました。


その場で主治医からも病気についての説明を受けたと思うのですが、

いきなりわけのわからない、

しかもへんてこな名前の難病だなんて聞かされて、

プチ・パニック状態だったんでしょうね、

主治医の説明が右から左に流れてしまい、家に帰って思い出そうとしても

さっぱり思い出せませんでした。


とりあえずPCで検索してみたのですが、

その頃は「キャッスルマン症候群」と聞いていたもので

あまりヒットしなかったような気がします。

あるいはまだ情報量が少なかったのかもしれません。

でもまだ自分がまさかほんとにキャッスルマン病だなんて知る由も無く

情報の少なさもとくに気にしてはいませんでした。

キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その8

2007-11-07 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 そういえば、大腸のCCDも 】



拷問に等しい「胃カメラ」の大腸バージョン、

《 大腸の内視鏡検査 》も検査入院中に受けました。


この検査をどうして受ける事になったのかというと、

それまでは自覚していなかったのですが、

検査入院で行われた触診で、

初めて『お腹を押されると痛い』ことに気が付いたからです。



病室のベッドに仰向けになり、お腹を出して

ゆっくり上から押さえるように触診をした時の事・・・。


痛いんです。


普段は全然感じない痛みを感じました。

それは、ちょうどおへそから右に10センチくらいの辺りから、

左側に向かった「おなか全体」が響くように痛みます。


普通は触診くらいでは痛まないそうです。


そこで、大腸も内視鏡検査をやろうという事になりました。


まず、

大腸をきれいな状態で撮影する為「ニフレック」という経口腸管洗浄剤を

2時間かけてゆっくり飲まなければならないのですが、

この「ニフレック」、なんと2リットルもあるんですよね。

まず、それがちょっとたいへんだったかな。

おいしいものでもないし。

(それでもだいぶ「改善」されて、味は向上しているらしいんですが。)


でもこれ、飲み方に気をつけないと、

急に飲んで『腸穿孔』が起こり、年に数人死亡される方もいらっしゃるようです。


わたしの通っている大学病院でも

時々処置室の片隅で「ニフレック」を飲んでいる方をお見受けしますが、

看護士のそばで経過を見ながらゆっくり飲んでもらっているのでしょうね。


「ニフレック」は下剤みたいなものなので、

1時間くらい経つとだんだん便意を催しはじめ、

トイレとベッドの往復になり、便が次第に『水様便』と化すのですが、

無色になるのがベストだそうです。

わたしは若干黄色っぽかったけど、OK出してもらえました。


そしていざ施術へ


おりょ、おりょ、おりょりょりょりょ~ん

大腸の担当医以外にも白衣の若人が数人集っているじゃ~ありませんかっ



そうです、ここは大学病院。   

明日の日本の医療をになう若者達が教育を受ける場所。


わたしは彼らの勉強のために、検査の数値のみならず、

『美ケツ』ならぬ『ブケツ』をも差し出さなければならないのでした。

                   

「あ~、なんでこんなお恥ずかしい格好をして

 後ろの秘部に医療器具をぶっこむ姿を

 見も知らぬ白衣の若人達にさらさなきゃならないのさ~


 わたしじゃなくて、他の人で学習してオクレよ~


も~、恥ずかしくて恥ずかしくて、

痛さとか辛さとか、ぜんぜん覚えていないのです。


さっきまでの「ニフレック」を飲む辛さなんて、この段階では

完全にどっかに行っちゃってました。



で、そんな思いをして行った大腸の内視鏡検査なのですが、

結局、なんにも出てこなくって、

で、何にも出来ないまま今に至り、

おなかはやっぱり痛いままです。(触診の時のように上から押さえると)


症状があっても、現状ではこれと言って病状が悪化する恐れも無いので

『今は様子見』という事になるのでしょうね。

キャッスルマン病と言われるまでのこと。その7

2007-11-03 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 検査入院で1番嫌だった検査 】



検査入院では、日々行われる血液検査のほか、CT、MRI、PET、

レントゲン、肺機能検査、心電図、胃の内視鏡(胃カメラ)、大腸の内視鏡

腰椎穿刺などをしましたが、病理診断が付かないまま

 相部屋の方と相性が悪く、精神的にまいってしまった事

 原因が特定できないのに長期入院している事

の精神的&金銭的不安から半ば強制的に退院させてもらった私ですが、

とりあえず「付いた」、というより「付けられた」診断は、

『不明熱』でした。                     
                           

『不明熱』とは読んで字のごとく、

原因がわからないけど高熱が続いている状態の人に、

《とりあえず付けておく病名》です。


で、

「 《とりあえず》膠原病っぽいからステロイドでも飲んでみようか。」

的なノリで、入院後期からステロイドを服用し始めました。

確か、プレドニゾロンとイムランだったと思います。


多分、私の記憶が正しければ、

大学病院を受診し始めた頃は「12」くらいあったCRPが、

ステロイドの服用で「8~9」くらいに下がったと思います。

微妙だけど。


              



2005年・4月下旬から5月下旬までの約1ヶ月の検査入院の中で

一番つらかった検査は「胃カメラ」です。

今までは、生きていて1番苦しかった手術といえば「出産」でしたが、

その記録はなんなく塗り替えられてしまいました。


まずは、施術中、体に余分な力が入る為、肩の辺りに麻酔を打ち、

水あめの様な麻酔薬を喉の内側に塗り、

胃カメラが喉を通る時に痛くならないようにします。


そして検査室のベッドに横たわり、胃カメラを口から挿入していくのですが、

も~わたしにとっては拷問でしたよ。


だって、いくら麻酔を塗っているとはいえ、

胃カメラ=大きな異物が体内に侵入するもんだから、

体が拒否反応を起こして、「おえっっ、おえっっ」てなるわけですよ。


涙も鼻水もよだれも流しっぱなしの放置プレー。


しかもやたらとゲップが『グェーグェー・グァーグァー』出るんです。


わたしは普通の人より気道が狭くて胃カメラが通りづらかったらしく

胃カメラの担当医から

「体から力を抜いて、ゲップはしないで下さい。」

って言われたんですけど、

わたしだって好きで出してるわけじゃ~ありません。


面白いくらいにゲップ製造マシーンと化してしまったわたしに

「そんなにゲップを出してるといつまでも検査終わりませんよ~。」

と担当医がのたまいます。



検査が終わってから、

果たして施術時間が本当は長かったのか短かったのかなんて

どうでもいいけど、この検査だけは2度とやりたくないと思いました。

キャッスルマン病と言われるまでのこと。その6

2007-10-16 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 大学病院・地獄の検査入院 】



地元の病院めぐりから、市民病院、そしてたどり着いた大学病院。


さっそく4月下旬から検査入院する事になりました。

当初は膠原病じゃないかという予測の元、2週間の予定での入院でしたが

何を調べても原因がわからず、気がつくと1ヶ月が経っていました。


この間、原因がわからないので薬の処方が出来ず、

発熱・頭痛・吐き気・全身倦怠感と闘い、

自分が何の病気だかわからないと言う不安、

病名すらわからないのに定期的に会社に病状報告の電話もしなければならない、

初めての長期入院によるストレスなど、

さまざまなストレスが日に日に溜まっていく中、

1番つらかったのが「相部屋のおばちゃん」でした。


個室に入りたかったけれど、わたしはしがないサラリーマン。

そんなお金は持ち合わせていませんでした。


わたしの病院は大部屋=4人でしたが、

最初の2週間は朗らかな先輩患者さんたちに恵まれ

検査で忙しかったけれど、穏やかな入院ライフを送っていました。


わたしは「わりと協調性のある方」だと自負しておりますが、

2週間を過ぎた頃、どうしても我慢ならないおばちゃんが入ってきたのです。


そのおばちゃんは、酸素ボンベこそ必要としてはいたものの、

ま~、しゃべるしゃべる、

1日中大きな声でお向かいのベッドの患者のおばさんと

30m先まで聞こえるような大声でえんえんと話しています。

しかもその内容が、

その女性は活動家だったらしく、過去の自慢話を並べ立てるか、

あるいは夫の悪口や不満・先生や看護士の悪口・病院食への不満など、

おんなじ様な内容をえんえんと喋り続けます。


で、定期的にくる医師団の回診になると途端におとなしくなり、

急にごほごほと咳き込んで「先生、喉が痛くて苦しいのよ~。」と訴えるんです。


『シンジラレナ~イ』 バレンタイン監督に見せてあげたかった。

  「下手こいた~」 これ、ヒルマン監督の間違いです。 (訂正:2007.10.28)

  

そりゃ~あんだけ喉を酷使して喋り続けりゃ~、喉も痛くなるでしょうよ。

もちろん、その女性の声は、ガラガラです。


さらにその女性はわたしに攻撃を仕掛けてくるようになりました。


原因は、私が窓側のベッド、彼女がわたしの隣の廊下側のベッドに入室したところにあります。


わたしも最初は廊下側のベッドで、窓側のベッドを使用していた方が退院されて

スライドして窓側に移ったので、それまでは通路を通る人たちの足音や声、

隣室の部屋の人たちの生活音などを我慢し、

コンクリートの壁から冷気がベッドに伝わり冷えるのですが、それも我慢していました。

当たり前の事ですが、窓側に比べて日当たりが悪くても気にはなりませんでした。



わたしは初めての入院で緊張とストレスがひどかった為、

ベッド周りのカーテンをほぼ1日引いていたのですが、

(他の部屋の様子を見てもカーテンを引きっぱなしにしている人がほとんどです)

その女性は聞こえよがしに大きな声で、わたしのお向かいの窓側のベッドの方に

「あ~あ、そっちは明るくていいわね~。こっちは1日中暗くて地獄だよ

(お向かいの方がカーテンを引くのは就寝時だけでした)

と言ってみたり、突然カーテンの向こうからわたしに向かって

「携帯電話禁止~」と怒鳴りつけてみたり。

(わたしは携帯を使っていませんでしたが)


そのくせ、自分の娘や息子がお見舞いに来て、

病室で携帯電話の着信をとり、話しをしようが、

おもむろにバッグから携帯を取り出してかけ始めようが文句一つ言いません。


酸素ボンベを使用しているからか、お見舞い中も病室のベッドの上で、

ずっと大きな声で家族とえんえん話し続けます。



わたしは堪えられなかった。

声が聞こえないようにと、病院の売店で、100均で買えば105円で済むような

『耳栓』を700円くらいで購入しても、そのおばちゃんの声だけは筒抜けです。


それならしょうがないと、高熱・頭痛・吐き気でぼろぼろの身体を引きずるようにして

8Fから2Fのロビーまで降りて行ったり、少しでも静かな場所で身体を休めようと

ひと気のない廊下を探し歩いたりしていているうちに、

日に日にわたしは「入院うつ」のような状態になっていったのです。


いつも考えていたのは

「なんで病気を治したくて入院しているのに、わたしは具合が悪くなっていくの?」

「なんで具合が悪くてベッドでうなりもだえ苦しんでいる人がいるのに

 平気で大声出して話し続ける事ができるの?」 

「なんで病院のスタッフ達はなにも言わないの?」

    

わたしの具合が悪くなっていくのを見て、同室の方が少しおしゃべりを控えてくれた時、

この病院のスタッフの一人がこう言いました。

「どうしちゃったの~ 今日は暗いじゃな~い

      まるで学校の図書室みたいに暗いわね~

部屋の空気が固まりました。


・・・かたやわたしは原因不明の症状でもだえ苦しんでいるというのに、

この人は一体何を言っているんだ?理解できない・・・・・。


わたしは病院のスタッフの何気ない一言にとても傷つきました。



もう、限界でした。

相手はおばちゃんというより、元気いっぱいの白髪の初老の女性という方が

近いかもしれません。

そんな方に、面と向かって注意するなんてわたしには出来ない


それから数日後、わたしは主治医にお願いしました。

「先生、わたしは後、何ヶ月入院すればいいんですか?

 原因がわからないのであれば、退院させてください

 早く家に帰りたい 早く家に帰りたいです

切実なお願いでした。


後から聞くと、先生から見ても日に日に、より「病人」らしくなっていたらしいです。


そして、わたしは退院し、通院しながら検査・経過観察することになりました。







キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その5

2007-09-24 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 市民病院 】


地元の血液内科で検査した結果、血液の病気かもしれないので

市民病院へ紹介状を書いてもらい、

翌日、検査結果を持って市民病院へ行こうと思っていたら、

夜中に再び強いめまいで動けなくなり、主人に119に電話してもらうと

市民病院に行ってくださいと言われたので、

一足早く、主人の運転で市民病院へ行く事になりました。


結局その日は点滴を打ってもらい、しばらく簡易ベッドで横になり

翌日、改めて市民病院の血液内科を受診する事に。

そして、いったん家に帰ってから受診するんだけど、

紹介状を持っていても、地元の内科での検査結果を持っていても、

まったく同じ事を聞かれ、同じ検査もするんですよね。


後に大学病院に転院する事になるのですが、

救急で運ばれた時も、市民病院の先生にも、また、違う先生が診ることになったときも、

救急隊員にも、大学病院の先生方にも、そこの研修医にも、

も~、何度も何度も何度も何度も、同じ事ばっか。


検査については、その都度状態が変化したり、値が変わっていたりしそうだから

まだしょうがないと思えるし、

違う病院に移ったときもしょうがないと思うけど、

同じ病院だったら、基本的なことはカルテに書いてあるでしょうに。

家族構成やら家族の病歴やらまで、なんで同じ内容の事を

何度も個人ファイルに記入してるんだと、不思議でなりません。

病院には、是非、システム改善をお勧めしたいですね。


で、今度は市民病院に通う事になったのですが、

この間も、2度ほど救急車で市民病院に運ばれました。

きっと症状が進んでいたのですね。


私が救急車を呼んだ時の症状は、強いめまいと強い吐き気なんですけど、

「強いめまい」っていうのは、ちょっと頭を動かすだけでも、

目の前の映像が、残像が流れるように見えてしまい

立とうと思っても、足元がふわふわして、雲の上を歩いているようでした。

もの凄い不安で、怖くて怖くて、体が萎縮してもいるのでしょうか、

動けなくなっちゃうんです。


このめまいが起こっている間は、横になってじっとしていても、

救急車の中でも、もうこのまま死んじゃうんじゃないかっていう恐怖で

泣きっぱなしでした。


ちなみに救急車の中で隊員の人は、ペンライトで私の眼球の動きをチェックして

「眼球の動きが異常ですね。」と、この症状を「めまい性の発作」って言ってました。


そして市民病院では血液検査以外でも、レントゲンだのCTだのと検査しましたが、

髄膜炎の検査で背骨に針を入れたときはちょっとビビッちゃいました。


なんだかんだで、その時の私の症状は、

「血管が炎症を起こして詰まり易くなっているところに

 血小板が多く、大小不同や連結もある状態だったので

 後頭部の血管の炎症あるいは脳の中枢に何らかの影響を与え、
 
 めまいを起こしたのでは?」といった見解が出たのですが、

やはりここでも原因は突き止められないので、大学病院に紹介状を書いてもらいました。


そして、やっと、今、通っている大学病院にたどり着いたのです。

ここにたどり着くまでは約1ヶ月かかり、

大学病院に足を運んだのは、2005年、4月のことでした。




  私のわらしべ病院チャート  
     

     地元の脳神経外科 (2005年・3月)
     
      

     地元の耳鼻科

      

     地元の内科

      

     市民病院

      

     現在通院している大学病院 (2005年・4月)




     

キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その4

2007-08-31 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 地元の内科に行ってみた 】



さて、わたしは耳鼻科の先生の紹介で、その病院の目と鼻の先にある、

個人でやってる開業医の内科の先生に診て頂く事になりました。


この先生、年齢が私とそんなに変わらない(当時の私は33才)、

明るくくだけた感じの女医さんで、とても話がしやすかったのを覚えています。


そして、血液検査を始め、いくつかの検査(内容は忘れた)をした結果、

やはり血液にいくつかの顕著な異常が認められました。


・高CRP

・高ガンマグロブリン

・貧血

・血小板大同小異

・高血小板


*「高」と付いているものは、数値が高い事を意味します。

*「大同小異」とは、血小板の大きさが、大きすぎたり小さすぎたりする事です。


その他にも、尿検査で潜血反応が出ていたり、

先生と話している中で、初めて「異常な状態だった」事がわかったのが、

【発熱】で、これが一つのポイントになりました。


わたしの場合の【発熱】は、

夕方から夜中に掛けて全身倦怠感&37.5℃~38.5℃位の熱が

毎日、3ヶ月くらいず~っと続いていたのです。


そういえば、暮れにひいた風邪はすごく長引いて、治るのに2ヶ月近くかかったなぁ~

なんてのんきに思ってはいたけれど、そんなに大した事じゃないと思っていて、

体がだるいのも熱が出てるのも、きっと疲れているせいなのね。って

気にも留めていませんでした。


確かにこの頃、会社から帰るとだるくてだるくて、ソファーに倒れこんだまま

2~3時間は動けませんでした。


ちなみに当時の私は交代勤務(3交代)&長時間残業&休日出勤が

 当たり前な日々を過ごしていましたが、家庭の事情により

 勤務時間を早朝に変更してもらったばかりでした。


 現在は早朝勤務で体調を崩しがちになっていた事に気がついたので、

 平常勤務に変更してもらっています。

 おかげで以前よりもだいぶ体調が安定しています。


主人は共働きなんだから家事は手伝うよと言って、

常日頃、非常に家事に協力的だったため、

なんとかこの時期を乗り越えていたんだと思います。

小6・多感なお年頃のわたしの子供との共同生活で、精神的にも肉体的にも

彼はかなり苦労した事と思うので、感謝・感謝です。


だいぶ話が横道にそれてしまいましたが、

この感じのいい女医さんも、

「はっきりした事は言えないけど、

 もしかすると膠原病の類の【血管炎症候群】かもしれないね~。」


「市民病院の血液内科に紹介状書くから、血液の再検査の精査結果が

 翌日出るので、また明日、来てくださいね。」


なんて会話をして「膠原病ってなんじゃ?」とか思いながら帰宅したのですが、

この日の夜、結局また強いめまい(←めまい性の発作と言われます)が起きて

結局、救急車で一足早く、紹介してもらう予定の市民病院に運ばれたのでした。

                         




キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その3

2007-08-26 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
わたしが花粉症でお世話になっている先生はおじいちゃん先生ですが、

とってもしっかりしていて安心してお任せできる先生です。


この時も、「めまいで倒れちゃって、体調がよくないんですけど」って

話をしたら、早速「めまいの検査」をしてくれました。


確か、アイマスクをした状態で簡易ベッドに横たわり、

しばらくして落ち着いたら、首をゆっくり上下左右に動かされ、

アイマスクをはずして眼球の動きを見るといった具合だったと思います。


そして、私の眼球の動きはやはり正常ではなかったので、

次に血液検査をしました。


後日検査結果を聞きに行くと、【CRP】という数値が高いため、

何らかの症状が出ていると思われるが、

これは耳鼻科の範囲を超えているという事で、耳鼻科の近くの内科の先生に

紹介されました。


キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その2

2007-08-22 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 何科を受診すればいいんだろ? 】




強いめまいで立てなくなってしまってから数日、体調が万全では無い為、

しばらく自宅で静養していましたが、

いざ、病院に行くとなると、いったい【めまい】は何科を受診したらいいんだろうか?

となりまして、いろいろ考えた挙句、

脳に何かあったらまずいから、まず、脳神経外科を受診してみる事にしました。


ところがところが、ところが、です。

地元の開業医を受診したのですが、その先生とわたしは、残念ながら相性が合わなかったようです。


いくつかの簡単な、数時間で結果が全て出るような検査(血液検査はしませんでした)をしたあと、

診察している「今」の状態では、めまいが起こっているわけではないので

原因はわからないが、と前置きをした上で、

わたしの倒れた時のめまいを、なぜか

「女性がエクスタシーを感じる時と同じような状態になった」と説明。

その他にも何か言ってましたが、何を言いたいのか理解できませんでした。


そして、とりあえず処方された薬は、

「興奮して血管が拡張するタイプ」のめまいだと判断されたため、

【血管を収縮させる薬】でした。


今考えると恐ろしいです。

わたしはキャッスルマン病だったので、このときの状態は

むしろ血液がどろどろしている状態にあり、

血管が詰まってめまいを起こしていたのだと、その後の別の病院の検査でわかりました。

血管を収縮させるのではなく、血液のどろどろを解消しないといけなかったんです。

(といっても、玉葱や納豆をたくさん食べれば解消するって訳じゃないですよ)



結局、この先生の言う事が納得できなかったわたしは、

次に、

「めまいといえば三半規管に何か問題があるのでは?」

と思い、花粉症でお世話になっている耳鼻科の先生に相談する事にしました。


これが、良かったんです。


ここから道が開けてきました。