キャッスルマン病とわたし。

稀少難病『特発性多中心性キャッスルマン病』になってしまったわたしの日々。
夫・Uさん&チワワに支えられて。

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三病息災LIFE

キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その1

2007-08-19 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【それはめまいで始まった!?】



これから、このカテゴリーでは、

私が倒れてからキャッスルマン病と診断されるまでを

書いていこうと思います。


ただし、最初に倒れてから診断がついてしばらくは、

【自分が難病の患者】になったという自覚がなく、楽観していた為

メモなどの記録もほとんど無く、記憶があいまいになっていているので

つじつまが合わないこともあるかと思いますが、

その辺は容赦願います。



では、はじまり・はじまり~




2005年3月


とある工場で顕微鏡をのぞくお仕事をしている私ですが、

お昼休憩を終えて、30分くらい経った頃でしょうか、

自分の机からちょっと歩いたところにあるパソコンに入力をしに行こうと

立ち上がろうとしたところ、突然、立てなくなりました。


ふらふら、ふわふわ、腰が砕けたようになってしまって、歩けません。


会社の救護室まで運んでもらった私は、その日の夕方、会社の人に送ってもらって

帰宅しました。

私は車通勤していたのですが、運転は危険だという事でこの日は見合わせました。



思い起こせば、この日は朝から幾度と無く高音の耳鳴りがあって、

「なんだろうな~、どうしちゃったんだろうな~」とは思っていました。


めまいで倒れる直前の、お昼休みから現場への帰り道でも、

キ------------------------------ンといった具合です。



この頃の私は、プライベートでは彼氏(今の主人)と、

私の子供との3人での新しい生活をスタートさせたばかりだったし、

お仕事でも新しい職場に配属されて、新人さんの教育や指導、

自分の工程の生産進行やエンジニアとの品質関係の目合わせなど、

多忙を極め、精神的にも肉体的にもかなりハードに感じていました。


職場で長時間残業してぐったりしていても家に帰ると家事が待っています。

家事は彼が「共働きなんだから俺も手伝うよ」と言って、

かなり協力してくれていましたが、

彼と私と私の子供との3人暮らしをうまくやっていかなければならないと、

家族関係を維持する事に、私は変に力が入りすぎていたように思います。



まあ、ようするに、疲れてたのかなぁぐらいにしか思っていませんでした。

まさかその後何度も強いめまいで動けなくなるとは思ってもいないし、

今日1日寝れば良くなると信じて疑っていませんでした。


でも、その後、会社の課長さんにちゃんと病院で診てもらいなさいと言われ、

私としても、もし脳に何かあったら大変だなあと思い始め、

それでもその頃はまだしぶしぶと言った感じで

どの病院を受診しようかと、彼と一緒に考えていました。