新一生青年が!

日常の日記です。

山田の村屋

2020-11-30 19:04:30 | 日記

                     

 

 

                     

                             目的地に行く前に道路の横にあったので!

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仲泊遺跡

2020-11-30 15:36:17 | 日記

                      

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

                          恩納村博物館の駐車場に停めて行きました。ずっと進んで行くと

                          58号線に出ます。昔の石畳が残っており坂の勾配がきつく疲れた。

                          いつも運動靴で行きますが雨の翌日は要注意です。

国道58号線沿い恩納村博物館の手前に位置する「仲泊遺跡」は、貝塚・住居跡・近世の石畳道などが当時のまま保存されています。 沖縄貝塚時代の貝塚や首里王国時代に作られた沖縄本島を繋ぐ石畳道路の一部など6つの遺跡で構成されており、美しい海岸や川が流れる緑豊かな森といった恩納村の大自然に囲まれています。

ここでは多くの住居跡や石器・土器などが出土していることから、当時の人々の暮らし振りを知ることができる貴重な遺跡として国指定史跡に登録されています。1974年の沖縄海洋博のために周辺の改良工事で破壊されることになり、緊急の発掘調査が行われたことで発見された遺跡です。遺跡のすぐ隣にある比屋根坂(ヒヤゴンビラ)石畳道は明治末期頃まで利用されており、何百年もの間北部・中部・南部を繋いできた道路としての歴史の風格が 感じられます。

石畳のなだらかな坂道を登っていくと休憩所が設けられた小高い広場になっており、芝生を敷き詰めた展望台からは東シナ海の絶景を一望することができます。保存されている遺跡としては県下最大の規模で、岩陰住居跡などの遺跡は沖縄における最初の発見として評価されています。

周囲には深川・その上流には森林と約3500年前の人々にとって非常に生活しやすい場所であったと考えられています。またこの近辺は1609年の薩摩の侵略時に琉球王府との戦の場だったという伝説が残る地でもあり、歴史的な複合遺跡として知られています。

 

 

 

 

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昼食です。

2020-11-29 19:35:11 | 食事

                                                                           

 

 

                                                                           

                                                                                          大衆(北中城)食堂で食べました。

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前川民間防空壕と樋川

2020-11-29 11:34:43 | 日記

                       

 

 

                       

 

 

                       

 

 

                       

                               最近、壕とかガマに行くと体調に異変が!

 

             

                       

 

                       

 

                       

 

南城市・前川地区、集落の外れの小高い山の中腹に「民間防空壕群」はあります。壕は山沿い1キロほどに、連なるようにおよそ60掘られており、住民壕の集まりとしては、沖縄戦で最大の規模です。
住民たちが、家族のためにツルハシなどで石灰岩を掘った小規模な壕は、天井が1.5メートルほどで、60の壕でおよそ600人が生活しました。壕作りが始まったのは昭和19年10月、壕の生活が一変したのは、昭和20年5月下旬のことでした。本島を南下していたアメリカ軍は、前川地区に迫りました。つかまれば虐殺されると恐怖を感じた住民たち400人余りが壕を出て、日本軍の退却にあわせ、本島最南端に向けて逃げましたが、激しい砲弾の中、その半数が犠牲になりました。
壕に残った家族にも悲劇がありました。体験者たちの証言を積み重ねると、日米の軍の攻防の狭間で、7つの壕の20人余りが集団自決で亡くなったことがわかりました。前川地区は、沖縄戦で当時の住民の3分の1が犠牲になったということです。

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和仁屋間のテラ

2020-11-28 14:39:12 | 日記

            

 

 

            

 

 

            

 

 

            

      今回も農作業している男性に聞いた。今回は直ぐわかった。

      329号線渡口交差点付近(すき家・最強食堂がある)

テラの構造は、桁・梁とも約3.4m、高さ1.35mの方形造りで、石灰岩の屋根の頂上には宝珠がある。壁は大方切石の布積みで、側面と背面に部分的に野面積みが認められる。前面入口部分の天井は、一枚の琉球石灰岩で、他の天井材は、第三紀砂岩である。中には高さ50~80cm程度の砂岩(ニービヌフニ)が四個あり、他に小石がいくつかある。これらの石は、ビジュル、ボージャーブトゥチ(赤子の仏)、クヮンマガハンジュウヌカミ(子孫繁栄の神)などと呼ばれている。祭祀は、渡口では行わず、一般に子宝に恵まれない婦人が子が授かるように祈っている。『琉球国由来記』(1713年)に「往昔、渡口村、高時卜申者、霊石ヲ権現卜崇、宮建立仕タル由、伝アリ」とあり、権現信仰の受け入れと変わり方を知るうえで貴重な拝所である。

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いきなりステ-キ

2020-11-28 10:18:38 | 食事

                              

                              この店は初めてです。(昨日、行って来ました。)

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病院に行って来ました。11月27日

2020-11-27 18:50:05 | 日記

                    

                                      快晴でした。

 

 

 

                                

                               ユ-カリ.アジサイ.バラ.ダリア.ガ-ベラ

 

 

 

                                

                                     来たら直ぐ消毒です。

 

 

 

                      

 

                      

 

                      

                                  ミニ水槽と定例の掃除です。

 

 

 

                                

                                        可愛い!

 

 

 

                                

                                    花の入れ換え作業です。

 

 

 

                      

                       亀に餌を与えて、午後に様子を見に行くと冬眠はここに決めた・・・と!

 

 

 

                      

                           バイブルアワ-はチャプレンが休みだったのでSさんが!

 

 

 

                      

 

              

                    2階・3階の中庭の掃除をしました。(竹ほうきがいるかな)

 

 

 

                              

                                     私の昼食です。

 

 

 

                      

                      そんなに神経質にならなくても!      まずは私が味見をして、その後2人も!

 

 

 

                               

                                     お茶の時間です。

 

 

 

                               

                                    今日は気持ち良い!

 

 

 

                               

                                   お花を買いに行きました。

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病院へ!

2020-11-26 16:44:30 | 日記

                               

                                     いつもの作業です。

 

 

 

                      

 

 

                             

 

 

                      

                                  クリスマスモ-ドに入ってます。

 

 

 

                      

                                   切れていたので交換しました。

 

 

 

                      

                             今日はラウンジに出て来られる患者さんは多かった。

 

 

 

                      

                    奥さんの付き添いで来られた。(懐かしい)  私の今日の目的は先生の写真を撮る事です。

 

 

 

                                

                                     バイブルアワ-です。

 

 

 

                                

                                     ついに手なずけた!

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沢岻めじろ公園

2020-11-26 08:16:05 | 日記

                                

                                      名前のめじろって居たんかな?

 

 

 

                                

 

 

                                

 

 

                                

                                        岩に取り付けられている。

 

 

 

                                

 

 

                                

 

 

                                

 

 

                                

このおもろは、古い沖縄の神歌を集めた歌謡集『おもろさうし』の中に登場するもので、尚清王の名付け親だった沢岻親方盛里(? ~ 1526年)を讃えたものと言われています。歌意は、沢岻盛里つまり沢岻の太郎の名声が、国・郡・村々にまで鳴り轟き、多くの人々に慕われているようすを歌っています。盛里は、中城按司護佐丸の孫で、尚真・尚清父子二王の信任がきわめて厚く、正徳年間(1506 ~ 21年)に三司官に任ぜられ、嘉靖元年(1522年)には王舅となって中国へ遣いして、王を乗せる鳳凰轎と首里城龍樋の吐水龍頭をもたらしたことで知られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バザ-がありました。(昨年の今日)

2020-11-25 16:20:45 | 日記

                                    

                                                                               雨の心配もなく開催されました。

 

 

 

                                    

                                        入口では演奏でお迎えです。

 

 

 

                                    

                                          中でも演奏です。

 

 

 

                                    

                                      昨年よりも品も多いが人も多かった。

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旧御茶屋御殿石造獅子

2020-11-25 14:42:12 | 日記

                   

 

 

                   

 

 

                   

 

 

                   

                                                          場所は首里城の継世門を出発して住宅の間を進むと酒造会社の看板があり、この酒造

                    通りは直線道路になっており王家御用馬場跡でした。崎山公民館辺りから右の路地に

                    入ると石畳をモチ-フにした舗装が道中を案内してくれます。

 

文化財(市指定有形民俗文化財)指定年月日:昭和61年6月25日
御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)(別称東苑)は国王が遊覧され、外国の使臣を招いて宴などが開かれた王家の別荘で『南島風土記(なんとうふどき)』(1950年)には、前川家家譜によると、1677年(康煕16)年、伊舎堂親方守浄(いしゃどうウェーカタしゅじょう)が普請奉行(ふしんぶぎょう)となり、建設されたと記されている。玄関前約40mの岩陰にあった石造獅子も、同じころにつくられたと考えられている。しかし沖縄戦によって破壊され、1979(昭和54)年に戦前の写真をもとにして修復され、今日に至る。石造獅子は冊封使汪楫(さっぽうしおうしゅう)が初めて紹介し、周煌の『琉球国志略』(1756年)には、「山の岩に『霛』(れい)の字のような梵字を掘り込み、石獅子がその下の岩陰に座っている。下には小さな四角い池があり、石でつくられた龍の口から、水が激しく湧き出てくる。その池の中には金魚が飼われている。前にはたくさんの竹が、後ろには古い松が数十株もあって、それらに趣があって美しい」と記され、石造獅子とその周りの情景を伝えている。もと石造獅子のあった岩陰は、がけ崩れの恐れが生じたため現在地(雨乞嶽側)に移してある。

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雨乞嶽

2020-11-25 07:14:08 | 日記

                     

文化財(市指定史跡)指定年月日:昭和51年4月16日
首里台地の東端の丘に御嶽(ウタキ)。昔、干ばつの時に国王がこの御嶽で雨が降るのを祈ったので雨乞嶽と呼ばれている。クロツグ(方言名マーニ)の生えた小さな丘(標高132.9m)を低い石垣で丸く囲み、北向きに門構えの祭壇がつくられ、石の香炉が置かれている。御嶽のすぐ東側には「御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)」と呼ぶ王家の別荘があった(現カトリック教会敷地)。さらに1kmほど東方には弁ケ嶽が眺められ、御嶽の北西方には首里城がそびえたっている。1683(康煕22)年に琉球に来た尚貞(しょうてい)王の冊封使汪楫は、雨乞嶽一帯の眺望をほめて「中山第一の勝境(しょうきょう)たり」と『使琉球雑録(しりゅうきゅうざつろく)』(1683年)に記している。また雨乞嶽については「閣(かつ)(御茶屋御殿)下(か)に土一丘(つちいっきゅう)あり、形覆盂(けいふくう)の如し、これ雩壇(うだん)(=雨乞嶽)たり」と記している。

 

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良い雰囲気だ!

2020-11-24 14:19:23 | 日記

                    

                                 みんな仲良しな感じだった。

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今日の昼食です。

2020-11-24 11:39:32 | 食事

                

                                 弁当のタコライスは初めてかな!

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そのうち飛び立つだろうと!

2020-11-24 07:40:29 | 日記

           

       一歩寄って行くと、5~6歩先に行き何度か繰り返して行くと飛び立った。

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