日本を戦争に追い込んだルーズベルト6
ハル・ノートは国務長官のハルが手渡したためそう呼ばれていますが、原案を書いたのは財務次官補ハリー・ホワイトでした。
ホワイトはJB355を推進したカリーと同様、ソ連のスパイでした。米国とわが国を戦わせるため、とても受け入れられない強硬な内容にしたのです(ホワイトがソ連のスパイだったことは戦後明らかになり、下院に喚問された3日後に自殺しています)。
ハル・ノートを出す前に米国は暫定協定案を作っていました。
わが国が受け入れ可能な内容でしたが、中国国民政府の蒋介石が強硬に反対しました。
カリーの推薦で蒋介石の顧問になっていたオーエン・ラティモアが暗躍していたのです。米国のシンクタンク、太平洋問題調査会(IPR)にはラティモアら共産主義シンパが入り込んでいました。
わが国の昭和研究会と同じような役割を果たしたといえます。
#ルーズベルト6
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