戦後、唯一の日本で非常事態宣言が発令されていた事をご存じでしょうか?
まず非常事態宣言とは、クーデターや内戦状態になった時に発令するもです。これが戦後一度だけ発令されていました。
それは、阪神教育事件です。
阪神教育事件とは
GHQの指令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、1948年大阪府と兵庫県で発生した在日韓国・朝鮮人と日本共産党による暴動あるいはテロ事件です。
1947年10月、GHQ最高司令官マッカーサーは日本政府に「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせる」と指令を出しました。
当時の在日朝鮮人の子供たちは、朝鮮語の読み書きが充分にできなかったため、日本各地で朝鮮語の文字と言葉を知った者が教師となり、在日朝鮮人の子供に朝鮮語を教えるため、工場跡地、地元の小学校校舎などを借りて授業が開かれ、これらが朝鮮人学校となり、学校は全国に500以上、生徒数は6万余人となりました。
1948年1月、文部省は各都道府県知事に対し、朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示したのでした。
当然、多くの在日朝鮮人がこれに反対し、特に激しく抵抗したのが兵庫県と大阪府でした。
これが、後に阪神教育闘争とも呼ばれるようになりました。
この闘争には、兵庫県庁前に1万人の在日なとが抗議に集まり、県知事と交渉し、大阪では在日朝鮮人3万人もの抗議に詰め寄り、抗議を背景に朝鮮学校閉鎖の撤回など5項目の合意を勝ち取ったのでした。日本は戦後の混乱によって、朝鮮学校を認めてしまったのです。
しかし、GHQは非常事態宣言を発令し、合意文書の無効を宣言。
戦後唯一の日本での非常事態宣言が出されたのはこの「朝鮮人学校閉鎖令」によるものです。
この暴動によって兵庫では39名、大阪では18名が「運動の首謀者」として軍事裁判にかけられ、懲役15年から5年の有罪判決を受け、当時の在日朝鮮人は刑期を終えると韓国に強制送還となっていたのです。
つまり、戦後日本を占領したGHQでさえ朝鮮学校を認めていなかったのです。
その朝鮮学校への補助金が今も支払い続けている事は、戦後政策に反する行為です。
しかしこれに反対する考えは
「朝鮮学校への補助・支援は、日本が朝鮮を植民地支配した当然の責務だ」
というものです。
しかし、わが国は朝鮮を植民地支配をしてはいません。また、国際的にみても植民地を持っていた西洋諸国は、どこの国にも民族学校に支援はしていません。この歴史の捏造と国際常識を全く無視したのが、朝鮮学校への補助金制度です。これを今も日本が続けていく事はたして正しい事でしょうか?
朝鮮学校など民族学校は本国、韓国北朝鮮が支援すべきです。