5月の最後日
仲良くしてくれた最後の一人が今日が退院です
彼女はいろんな事があり3ヶ月以上の入院を強いられ・・・
自宅に戻っても無理しなければいいなぁ
庭のバラをすごく心配しておりました たくさんの種類をプランターで育てているいると言っていた
「どれくらい咲いたか写メ撮ってと主人に頼んだらさ 雑草ばかり写してきたの
バラがどれかも解んないみたい・・・咲いてたら解ると思うんだけれど 全滅かなぁ」
わかるわかる 興味がないってそういう事で・・・見えないんだよねw
「赤いツルバラが咲いたよぉ」
「そんなのあったっけ」
庭が色づくと元気が貰える
庭と私は 絶対に反応し合っているから
蕾のひとつひとつが愛おしい
土砂崩れを免れた方の庭
・・・っていうか こっちまで崩れてたらオウチも崩壊でしたが
照る照る坊主は今だに健在 細い糸が切れません!
ドラちゃんが顔を出す窓辺の花棚はボロくなったので撤去
やっぱり窓辺には「花」でしょ♪ 早く作ってもらわないと寂しいです
センスはさて置き こんなふうに窓を開けたらお花が見えるように
棚 棚を早く作って貰わないとぉーーーー
彼の家には給付金の申請書が届いたという
「スーパの買い物がてら郵便局に寄って投函してくるよ」
「郵便局まで行かなくても道端のポストで良いんじゃないの?」
「そうだけど・・・安全だし早く着くかもしれない」
なんだか笑ってしまった
彼は稀に見るA型のズボラタイプ
(私に輪をかけてのズボラなものだから呆れる前に感動すら覚える)
たった1日で処理するなんて「お金」の力はさすがだ!
ビンボーな彼と そのビンボーすら通り越している私ですから
取り合えず頂けるなんて本当にありがたい事です (まだ届いてないけどw)
久しぶりにマドモアゼル愛さまのブログを開いたら・・・ラッキー♪ 更新しておりました
愛さまの大好きなお馬! ダービーのお話でした 競馬必勝法がすばらしい
そのお話を読みながらちょっと同じような経験を思い出しておりました
私が5歳前後の頃 (私は3歳の頃からの記憶がほとんど残っているヒトで~)
父が幼かった私を「競輪場」へ連れてゆきました 空が真っ青に晴れ渡り風が強かった事を覚えております
すり鉢の中で自転車が猛スピードでくるくる回っていた
「好きな数字を言ってごらん」と父に言われた
成長と共に あの頃の父は家族を支えるのに大変な時期だったのだろう
勤めていた会社から給料が出ず(後に倒産)
自営業に踏み切ったばかりの頃(1級建築士)だったから金銭面でも苦しかったはず
すり鉢の中で自転車が転んだ次々と転んで団子になった
あの時の父の大きな笑顔と歓声を今でも覚えている 私の「数字」が大穴を当てたのだ
競輪の帰り道に「何でも好きなおもちゃを買ってやる」と言われた
自分のからだほどの大きな箱を二つも抱えて(妹の分も)家路を急いだ
何しろ父の笑顔が嬉しかった
愛さまの言葉を借りるなら 幸運の女神は誰に微笑んでもそれは女神の勝手だけれど・・・
それでも競輪場に集まった群衆の願いはただ一つ・・・当てたい
誰が当てても 誰が外れてもそれは偶然かも知れないけれど
それでも私も愛さまと同じく思う 私が女神だったらと考える
あの時間違いなく女神は私たち親子に目を引かれたのだと思う
すり鉢の中でくるくる回る自転車に純粋に心を奪われている幼子
家族の為にどうしてもお金が欲しかった父親
幼子が何も考えずにこたえた「数字」に父は有り金を叩いて運命を掛けたのかも知れない
それ以来父の流れは変わったように幼いながら感じていた
何不自由なく育ててくれた事に今更ながら感謝
ところで10万円は女神からではない
出所は解っているし いずれ景気回復した折には返せと言われるのかも知れない
私にはありがたい事に「家」がある(当たり前とはどうしても思えない)
国民全員へと言うのなら 住民登録が難しいホームレスの方たちにも行き届く迅速な方法を
国民であるのだからもちろん貰えるはず
その10万円でもしも人生の流れが変わったのなら
やっぱり女神からの贈り物かな♪