「自分に正直にいこう!」

今日はどんな日?!

術後初受診

2010年07月09日 20時21分40秒 | 甲状腺癌
梅雨らしい陽気でした


昼近くに病院に向かう
途中、ちょっと用足しで二子玉川下車。
おぅ~ 何年ぶりか 
高島屋 何十年ぶりか


採血を済ませ、待つこと約1時間。やっとこ診察。
その間、頭痛と闘うおばさん一人
フワフワして気持ち悪くなるほどで薬飲んで待っていた

診察では「あぁ~ いいじゃない むくみも取れてきたね しわしわしちゃって」
と、順調とのこと。
血液データでもカルシウムOK。リンの下がり具合がどうもらしいが・・・
甲状腺ホルモンはやや不足。ということで量を多めにして処方された

嚥下の問題や息苦しいのは仕方がないといっても今の症状。言わないわけにはいかない。
でも答えは一緒で、リハビリして、あとは慣れていくしかないって。
嚥下困難は筋肉が締まってきているのが要因でなることであり、決して食道に問題があるわけではない。だいいち、食道は気管の後ろ。そんなところいじってないし。。。
気管を締め付けることで食道もしまった感じがするとのこと。
意識することで余計に気管を締め付けちゃうだろうからあまり気にしないことって。

自分の嚥下しやすい量を把握して、段々に量を増やすのが良いだろうって。
これらに対しての漢方もあるようだが・・・効く!というものでもないらしい。
薬はこれ以上いらないや~

喉の閉塞感って以前よりあったので慣れてはいるが・・・
気の持ちようって、やはり自律神経の関係なんだろうね~


現在の内服薬は
チラージンS錠50   2錠
チラージンS錠25   1錠
ワンアルファ錠1μg  3錠
メチコバール錠500μg3錠(分3)

プラス 婦人科系は重複していたものを整理してこれからはこれ。
まだ内服再開していないが・・・
漢方、プレマリン、ハイシー、メリスロン


無事に終了して頭痛も少し下火になって帰路についた


さーて、明日もお出かけだ




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1.発覚から受診に至るまで

2010年07月07日 06時00分00秒 | 甲状腺癌
右前頚部にグリグリを感じたのはかれこれ半年以上前のことだったように思う。
つまり2009年10月頃としておこう。
それはさくらんぼ大のグリグリ。リンパが腫れているのだろう。そのうち消えるだろうとたかをくくっていたのだが・・・一向に消えることはなかった。

いくらなんでも風邪くらいでこんな大きくリンパが腫れることはないだろう。そして消えないということは問題だと感じ始め、2010年に入り、婦人科の定期受診時に婦人科主治医に相談する。専門に診てもらった方が良いと同病院内耳鼻科に紹介状を書いてもらった。

程なくして耳鼻科受診。普通に耳鼻科で診察を受けるが、まず甲状腺に間違いはなかろうと、CTとエコー下穿刺(FNBD)を予約して、次回からは耳鼻腫瘍科の診察を受けることとなる。
両者検査終了後、4/6に耳鼻腫瘍科の診察を受けた。
検査結果から、細胞診では悪性は出ていない。しかしCTでは石灰化があり乳頭癌との鑑別が必要との所見であった。このことから、手術して取ってみないと確定診断はつけられないと言われる。
悪性である疑いは濃厚だった。


甲状腺は、触診で、ある程度のことは診断が付くとどこにでも書いてある。
耳鼻科ではそれが確定されていない。そして細胞診は悪性の細胞は出ていない。
そのような状況で手術するのは決心がつかない。

迷っていた。
ネットで専門病院、専門医を探してみた。すると見慣れた名前が一件ヒット。
よく知る外科医だった。
甲状腺といえば○○病院というところに行ってみようか、外科医に連絡してみようか。
まだ迷っていた。

4/20にまた婦人科定期受診。
頚部はどうなったか?と婦人科主治医も心配してくれていた。
いきさつを話し、専門病院に行ってみようかと思っていることを告げるとあまりお勧めではない。
それより勧められたのは私も相談してみようと思った外科医への受診だった。
これもセカンドオピニオンということになるのだろうか。

これは運命だったのだろうか。。。 

よいことに偶然が重なってとんとんとことが運んだ。


婦人科主治医は、即、必要なデータ類を揃えてくれて、私は外科医に連絡。
外の病院に行くことなく、関連病院に行くことになった。
翌週の4/27に診察を受ける。
診察、その場で行ったエコーによると、明らかに『甲状腺乳頭癌』しかも『リンパ節転移』があるということだった。

その場で手術を勧められる。
もう躊躇する根拠はなかった。
わかった以上、早めに手術をしなければ・・・


また『癌』というやっかいものとのお付き合いがはじまる。。。

子宮のときほどではないが涙が出た。苦しかった。
でも死という文字は浮かばなかった。

先生が責任もって手術するって言ってくれたから。。。

2.受診から入院に至るまで

2010年07月07日 05時00分00秒 | 甲状腺癌
関連病院外科の初診、4/27には、入院・手術日を決めた。

術後はしばらく発声がきついとのこと。授業となると尚更である。
したがって授業がひと段落つく日取りで、仕事を優先して術日を決めてもらった。
入院は6/23、翌6/24に手術。入院期間は約1週間と聞く。
診断は『甲状腺乳頭癌 リンパ節転移
腫瘍は右だが、リンパ節転移を考えると甲状腺は全摘したほうがいいと、さらに当然、リンパ節郭清も行うと聞いた。
すでに耳鼻科で行ってはいるが、今一度CT、穿刺等の検査も予約された。
そしてこの日は術前検査(血液)をして終了。

この日は耳鼻科の再診(手術についてを決める日)でもあった。
言い難かったが、はっきり言っていいよという外科Drの一言で、耳鼻科Drには手術を決めたことを告げた。
耳鼻科も決していい加減ではなく、手術はしたほうがいいと前回の受診後に皆で話し合っていたとのことだった。



5/18 心電図、単純胸X-P、呼吸機能検査、頚部・胸部CT、エコー(穿刺細胞診)
エコーは診察室内で行う。診断ははっきりしているから穿刺はいらないとも言われるが、耳鼻科で陰性と出ていることをはっきりとさせたかったので行ってもらう。

これで術前検査はすべて終了。

幸いなことに(咳が少し出たのでやや不安だった)胸部に転移はなかった。気管への浸潤もなし。前回に言い渡された術式で手術予定となる。


あとはその日を待つのみ。
短いようで長い2ヶ月であった。。。


症状がないので、ときに本当に癌なの? 手術しなければ駄目なの?と考えることもあった。
初診時にガックリした以後は、割と平静な気分でいることができた。
子宮の時とは違う・・・
この違いは・・・ 病気の種類? 臓器? 初めてじゃないから?

いまだ答えは出ないが。。。
しかし、治療成績等から考え、予後が良いことが平静でいられた大きな要因であろう。


しかし・・・やはり人間。
段々と日が迫ってくると、逃避したい気分にもなった。

首部分の手術であることが恐怖感をあおった。
神経、血管、気管等、密接に入り組んでいる場所。そして術後の美容的なこと。

声のことは、数日経てば治ると思っていたので、さほど心配ではなかった。



仕事は入院前日からお休みをもらい、準備万端。
予定通り6/23昼頃に入院する。

覚悟はしていたが・・・足取りは重かった。。。

3.入院から手術に至るまで

2010年07月07日 04時00分00秒 | 甲状腺癌
6/23(水) 13時頃入院。
入院時のあれこれ(身長・体重・血圧等測定、採血)をしたあとに骨塩定量検査と頚部エコーに行く。
入院時の担当が新人看護師。丁寧はいいけど腕はいまいち。よーく出る私の血管からの採血を失敗 
ここにあるよ!って教えてあげたのに
上の看護師に変わりますって。。。その後、その子は受け持ちにはならなかった。

このことからか、私は『血管が出ない人』になってしまったようだ。

塩定量検査は術前にお願いしておいたもの。婦人科でやったのがいつぞやか・・・今回の術後のカルシウム低下とも関係するだろうからやっておこうということでオーダーを入れてもらった。
その他、術前ということで麻酔科医の訪問があり、麻酔に関していろいろと聴取していく。また薬剤師の訪問もあり、今まで飲んでいた薬のこと、術後に飲む薬のことなどの説明がある。
術前から3回/日、吸入(ネブライザー)を実施するよう指示される。


病室は広く、下手なビジネスホテルより生活しやすい感じかもしれない。
病棟には卒業生が3人いた。夕方から夜になると入れ替わり立ち代り顔を出してくれて、明日、手術ということを忘れるくらいだった。
食事は夕食まで、水分は22時まで可能だった。
術前処置は何もなく、消灯ギリギリにシャワーを浴びて、わりと眠れた夜だった。





6/24(木) 12:30から約1時間半~2時間の手術予定
起床後、体重測定。
手術は12:30頃の予定だったが、血管確保もあるので、早めに術衣(ガウンみたいのやつ)に着替えていた。
8時頃にはDrが来て点滴ルート確保。なんと言いましょうか・・・相性が悪いのか・・・
3度目にやっとこOK。1度目に刺したところは2週間くらい青あざだった。

11時頃になると、予定より早めに呼ばれるかもしれないということで、Tパンツ(昔はT字帯といってふんどしだった)という紙でできたおパンツにはき替え、足には弾性ストッキング(コンプリネット)着用し、その時を待っていた。

ドキドキしたり落ち着かないということは全然なかった。検査等ではいつも緊張するのに、手術のときって平気なんだわ~ お腹のときもそうだった。

11:40 ついにそのときがやってきた。
歩いて手術室までいく。途中まで母がお見送り。
手術室に入るときはディスポーザブルのキャップをかぶり、手を消毒して・・・
そこにまたもや卒業生が2人駆け寄ってきて、手術台に乗るまで見守っていてくれた。
ここはおしゃべりするところではない 直ぐにマスクをつけられ、眠くなる薬を入れますよ~と言われたらコテッ

気が付いたら「予定通りの手術だったよ」という主治医の声で目が覚めた。

まだ喉が苦しかった。そう挿管したままだった。
全身麻酔の大方は気管内麻酔といって気管に細いチューブを挿入し、それを通じて麻酔薬を吸入させる。この管を挿入するときに意識があるときついので、大概は眠らされちゃうというわけ。手術が終わるとともに麻酔を切り、覚醒を確認してから抜管するのが普通である。
管が入っていると喋ることはできない。上記の主治医からの声がけ時は管が入ったままだったため、声は出せず、目で合図したような気がする。

手術開始時、眠ってからすることはまだある。
体位を整えること、尿留置カテーテルを挿入すること。場合によっては点滴なりを入れることもある。


次に気が付いたのは母の声で、手術室を出るときだったらしい。

しっかりと意識が戻ったのは病室に戻ってから。痛みは、首全体が重い何かでガシッと固められているような感じで、痛いのか、重いのか、明確な表現ができないがとにかく辛かった。我慢してもと思い、痛み止めの座薬を入れてもらった。普通なら横向きになって・・・だけれど、思うように身体が動かない。かすかにお尻を持ち上げて傾けたような記憶がある。

時間が気になった。出床してから約3時間くらい経っていたようだ。大体予定通り。


時間ごとに観察に来てくれる看護師。
痛みは、直後に痛み止めを使った以後は我慢できる範疇だった。しかし、ずっと仰臥位(仰向け)だったためか、腰背部が痛くなり身の置き所がないという感じだった。かといって自分で体位を変えることはできず・・・
よく何時間も同じ姿勢でじっとしていたものだわ。
時々、空いている自分の左手を腰や背中に入れていた。

酸素マスクは夜に外した気がする。

朝方、横を向かせてもらった。しかし身の置き所がないほど辛かった。

足にはAVインパルス(血液循環を良くする器械)、尿留置カテーテル、右手に点滴、創部にドレーン(留置でJバックにつながっている)という規制だった。


4.1病日から3病日まで 

2010年07月07日 03時00分00秒 | 甲状腺癌
6/25(金) 1病日
退院するまで毎朝採血がある。

バイタルサインはほぼ落ち着いていた。体温は37.3℃あったが、それ以上上がることもなく、これは正常な回復過程の証拠。

朝方、AVインパルスは外してもらい、足の自由が利くようになった。

声が出しにくい。頭痛もあった。時折咳嗽が出る。
少し手が痺れた。これがテタニーか?! よくわからなかったが、採血結果を待たずにカルチコールの点滴開始。点滴が終了する頃になると痺れは多少良くなった。
ベッド柵を頼りに起き上がってみたが、少しクラクラした。
このとき、咳と共に痰が出た。
多少茶色っぽい色だった。挿管のせいだろう。

朝食から流動食開始。お茶を少しだけ口に含んでみたがむせこみはない。
しかしそれ以上飲む気にはなれず・・・

術後に嘔気・嘔吐があることが多いと聞いていたが、全然なかった。

尿留置カテーテルは落ち着いてから抜去することにし、午後から活動開始となる。


昼食はもう五分がゆ。お茶を少しとお粥5口ほど、りんごを数噛み。嚥下は意識的にしなくてはならない。
扁桃腺が痛い時のようである。
昼から内服薬が開始となる。
 シプロキサン
 ロキソニン
 ムコスタ  6日分で飲み切り中止

 炭カル錠
 ワンアルファ錠  この2つは毎朝の採血結果で量が変わった。

ロキソニンの効果か、熱は下がり、痛みもさほどでなくなる。
ふらつきはまだあり、痺れは出たり治ったり。
時折、右胸の筋肉?がキューッと痛くなる。
喋ったり、そうでなくても咳が出る。

歩いていくのが辛いことと咳が辛かったので吸入はパス。


13時半頃に尿留置カテーテルを抜き、車椅子で胸腹部X-Pに行く。

その後、トイレには歩行でき、自尿も問題なくあり、夜は五分かゆを少し食べた。
点滴も終了したが、痺れ対応ということでルートだけはまだ入っていた。(血管が出ない人だから・・・)




6/26(土) 2病日
昨夜は8時頃から横になり早めに就寝。夜間覚醒するも直ぐに眠りに付くことができた。創の痛みはない、ただ首全体の重い感じはあった。
朝37.1℃あった熱は、夜36.6℃まで下がった。

早朝、6時から起床。腰背部が痛かった。
右顎がやけに腫れている。創の部分も勿論腫れている。
変な咳、時にむせこむような咳が続いている。
両手、右顎~耳下まで痺れがあった。

朝から チラージンS錠が開始となる。
嚥下はスムーズになってきた。

朝7時過ぎに包帯交換。(回診&創の処置)
ベタッ~と貼ってあった大きなテープとガーゼらしきものは取り除かれ、ドレーンも抜けた。ドレーン抜くとき痛かったぁ。
創には3~4cmに切ったテープを、創に対し縦に貼った。線路みたいに。
これは今後ずっと自分でするようになること。
創自体は抜糸も不要で(溶ける糸で縫合)本来テープはいらないが、創が太くなることを防ぐためと、紫外線予防のためということ。
テープ貼らなかったら日焼け止めクリームやファンデーションでもいいということ。

創周囲は絆創膏かぶれがあり、発赤が見られる。リンデロンVG軟膏を塗った。
右肩甲骨下が痒いと思ったらみみず腫れになっていたようで、こちらもリンデロンを塗布してもらう。

首の自由が利かず肩凝りを感じることと、腰痛があるので湿布を貼る。
腰背部痛緩和のため、できるだけ起きていて本を読んだりしていた。

午後は母が来て喋った。喋ると咳が酷くなる。むせこんでしまうこともある。
加湿のために水分をマメに取り、マスクをしてみた。

夕食前くらいから気分が変。
いつものフワフワ。軽度の嘔気。手足のしびれあり。
我慢できる範囲内のため、夕食後の薬まで様子見る。

吸入は気が向くとやりにいった。
咳き込んでしまうのでほどほどに



6/27(日) 3病日
熱も平熱に戻る。わりとグッスリ眠れて6時起床。
寝起きの時に首に力が入り苦しい。ベッドを多少ギャッヂアップして寝る始末。ただ寝返りが意識しなくてもできるようになった。
喉のつかえ感、今までと少し違う感じがする。挿管の後遺症ではなく術式からくるものか。

リンデロンの効果があり、創周囲の絆創膏による発赤はほぼ消失。夜勤の看護師とリンデロン塗ってよかったね~と喜ぶ。

朝、気分が良かったので吸入を実施するが・・・むせこみが酷くなり嘔気までした。

11時頃にシャワーを浴びる。創部のテープは濡らしながら剥がす。部屋のシャワーは狭く、鏡が妥当な位置にないため苦労した。創の下側は感覚があるが、上側は感覚が鈍い。テープを剥がすのも変な感じだった。創周囲はこすらずまだ手でなするだけ。
さっぱりしたぁ。その後は鏡を見て自分でテープを貼る。創はまあまあきれい。だが周囲の腫れはまだ酷い。特に右側の方はでこぼこって感じで触ると硬く、感覚がない。
絆創膏のあとはまたリンデロンを塗った。


夕方には職場の同僚が次々に来てくれた。学校の近況やらなにやらいっぱい喋り、そのたびに咳き込み、むせた。
途中、右耳から頚部、顎のしびれがしたが、夕食もまもなくだったので薬の時間まで我慢した。見送りで立っていると床に足が付いていない感じでフワフワした。


この日、午後に主治医の訪室ある。
甲状腺を気管や神経から剥がしているので敏感になっている。咳はそのために出るもの。
咳は日にち薬だそうだ。

広範囲にわたってリンパ節を郭清している。特に右側は耳の辺りまでいじっているので腫れはそのためである。
術前、カルシウム、アルファロールを飲んでいたためか(婦人科で骨粗しょう症予防)、血液データと臨床所見の違いがあったようである。
血液データより臨床所見は酷かったということである
「はっきりいって大変だったよ」と言われた。

リンパをとっているのでよくリハビリをすること。これは何度も言われる
首のストレッチ。腫れのせいでまだまだくっきりと曲げられない

取れるものは全部取りきれてはいるが、念のためアイソトープ治療をしたほうがいいと言われる。チラージンを1ヶ月くらい前から中止して、甲状腺ホルモンを0にしてから行うらしい。すると体調が少しダウンするかもって。この治療は、直ぐにではなく、データ等を見て決めるらしい。

この時点で、カルシウム値は横ばい、悪いところはなく経過良好とのこと。

5.4病日から6病日まで

2010年07月07日 02時00分00秒 | 甲状腺癌
6/28(月) 4病日
前日、疲れすぎたのか?! 横になったものの寝つきが悪く夜間何度も目が覚めた。喉の閉塞感があり、横になっていると何の刺激もないのに咳が出て・・・ベッドを上げたり下げたり、右向いたり左向いたりと落ち着かなかった。

朝目覚めた時から両手・両足の痺れがある。歩いていてもなんだか変な感じで・・・
朝食後の薬まで我慢した。喉のつかえはさほどなかったが朝食はあまり摂れず。時々むせ込みがあった。

薬(炭カル)を飲んだあと1時間くらいしたら少し楽になった。しかし全くなくなったわけではない。特に左手足、歩くと左大腿~膝が痺れていて重い。午前中は吸入に行っただけで、あとは何もせず横になっていた。

この症状と一致すべく、朝の採血でカルシウムが低下していた。したがって炭カルは3回/日から4回/日となる。


昼はお腹も空いてわりと食べられた。術後、流動食が1回、五分がゆが2回、全粥3回くらい、その後常食になったが、たまたまごはんが硬く食べにくかったので全粥にしてもらい、退院までずっとお粥にしていた。するりと入って食べやすかった。


6月初旬に打撲した左指。まだ内出血としこりがあり痛みもあった。ついでと言ってはなんだが、入院時から整形に診てもらいたいと申し出ていた。
この日、整形外科に呼ばれる。 痺れが強く調子が悪かったので車椅子での受診をお願いした。レントゲンと診察の結果、ひびが入っていたかも(今になっては??らしい)で、しこりは内出血で、取れるまでしばらくかかるといわれる。
結果がはっきりしたので少し安心した。クリーム状の消炎剤を出してもらう。


受診が終わり部屋に戻ると、母と叔母が来ていた。
ゼリーを食べながらいっぱいおしゃべりして、いつの間にか痺れも忘れていたわ。

この日、ゲリラ豪雨的に雨が降ったんだった。丁度、母たちが帰るときに。


送り出してからシャワーしてテープ交換、そして洗濯
創の周りは怖くてこすりきれず、テープがベタベタ。シャワー後はブラトップ姿で汗が引くのを待ちつつ、テープのベタベタを取り、新しいテープを貼るのが日課となる。


夕飯近くになると、同僚らが入れ替わり立ち代り来てくれた。喋らずにはいられない。喋りたい。でも咳が出る。声はかすれていた。
歩くとフワフワしていたが、痺れは朝よりずっと良くなっていた。




6/29(火) 5病日
グッスリ眠って朝の目覚めが良い日だった。
痺れはない。 昼食前に左足に少し感じたくらい。
喉の閉塞感はある。圧迫されている感じ。咳は随分と治まってきた。

この日はおしゃべりを控えた。
午前中は読書してシャワー浴びて、午後はパソコンして・・・疲れたら横になって休んだ。
ゆったりと過ごした日。

そのためか?! 肩凝りがあった。首と肩の運動しているんだけど・・・


夕方には同僚が来てくれる。ゼリー食べてまたおしゃべり

7時頃には母も来て。
以前、短いスカーフが欲しいな~と言っていたから、気にかけていたらしい。
夏物のショールを買ってきてくれた。
同じようなのが家にあるのに・・・とふてくされてみた。

あとで考えると・・・大人気ない。
退院時は準備していたものではなく、それを巻いて帰ってきたよ


夜、主治医が訪室。
手術時の病理の結果が出たので術式等すべての説明を受ける。
こちら

今まで飲んでいた婦人科の薬は再開OKとのこと。ただし、アルファロールとアスパラCAは重複するので中止。今後はワンアルファと炭カルでコントロールしていくとのこと。

お休みできるならのんびりして、温泉など入浴で湯船に浸かってリハビリするのが良しとのこと。
咳に対しては抗炎症剤や去痰剤で対処することもできるとのこと。

予定通り1週間で退院でもいいけど、カルシウム値も安定しないことだしゆっくりできるならそれでもよいと言われる。家に帰るといろいろやってへばっちゃうよって。



6/30(水) 6病日
看護師許可の下、夜間までサッカー観戦。寝付いたのは2時過ぎ。左腕を変についたのか?!起きたら痛かった。やや寝不足気味。
カルシウム値は随分上がってきたらしい。痺れはない。喉の閉塞感はあり苦しい。創周囲のひきつれ、しこりもまだまだ

横になってばかりいるとついついウトウトしちゃうので、元気なこの日はふらふらと出歩いていることが多かった。
お散歩&自販機利用のためディルームに行ったり、病棟内を周回したり、1階売店やらロビーやら。夜はロビーでミニコンサートがあるという院内放送を聞き、どんなものかと行ってみた。アコーディオンによるコンサート。わずか30分だったが、見知らぬ方々と同じ曲を聴いて癒された時間だった。
部屋に戻ると仕事が終わった卒業生が訪室してくれた。入れ替わり立ち代り、立ち寄ってくれる。恋ばなして楽しかった

声は低い声しか出ない。話すより話さないほうが圧倒的に咳は少ない。


6.7病日から退院まで

2010年07月07日 01時00分00秒 | 甲状腺癌
7/1(木) 7病日
23時くらいから6時過ぎまでグッスリ眠れた。起床後、歩き出すと左手足の痺れ、特に左足が痺れる。何か両手とも指がはばったい感じもある。テタニーではない感じがする。

ボケッ~としているとあるDrの訪室あり。臨床時代に一緒に働いたDr。こちらにいるとは聞いていたが、わざわざ来てくれた
また、一つ上の先輩(Ns)も、噂を聞きつけ駆けつけてくれた。
「何も言わないなんて水臭いじゃなーい」って

低い声しか出ない。喋ると咳き込む。
嚥下しにくい。嚥下時は、首の向きを意識しないとつかえてしまう。少し前傾してゴックン。この日はより締め付けが厳しかった。


午後、主治医が来てくれて、「退屈でしょう~? 外でも行ってくれば~?」と言ってくれた。その時はドラマ:アイリス の再放送中だったので、「暑いからいやだぁ」と言って断った。でもドラマが終わると、外の空気が吸いたい衝動にかられて・・・ 5時過ぎに外出した。
公園~駅までをブラブラと。途中、同僚が同行してくれて、買い物してみたり
時間気にしていなかったら、予定時間を過ぎていた
慌てて戻ったら、丁度看護室で「さなりんさん遅いね~」って言われていたわ

元同僚が面会に来てくれて2時間くらいおしゃべりしたかな~
笑える話ばっかりで、ちょっと喉が苦しかった。
その後は卒業生が来て

久しぶりに外を歩いて足が疲れた。時々フワフワしたし。
でもいいリハビリになった。



7/2(金) 8病日  退院
朝の採血結果で退院が決定する。10時過ぎに出ると聞いたが・・・

主治医は7/3に退院としていたみたい。でも私の中では今朝の採血結果でと言ったので7/2のつもり。そのあたりの話が、他のDrらには伝わりきれていなかったみたいで、わさわさして落ち着かない午前中だったが、採血結果でカルシウム値も落ち着いていたので退院決定となる。

朝食が済むとすでに帰り支度をしていた。もしだめだったらまた出せばいいや~って。

会計済ませて、母が来るのを待って病院をあとにした。

久しぶりの外、人ごみ、電車・・・ 暑さ
ゆっくりゆっくり歩いて、途中からはタクシーで無事家に到着。

ゴッド~~~ ただいま~~~~



☆入院中は、いつになくゆっくりした
 病院でゆっくりしたというのも変な話だけど・・・

 術直後は自分のことしか考えられない。
 よくなって余裕が出てくると、家のことも考えるが身動きはとれず、時間をもてあます。

 神様がくれた “ゆったりした時間” だったのだろうか。。。

確定診断

2010年07月07日 00時00分00秒 | 甲状腺癌
創の写真があります。
苦手な方はご注意ください。



術前診断  2010年5月18日
病   名:甲状腺癌 リンパ節転移
手術 予定:甲状腺全摘術+リンパ節郭清
内   容:全身麻酔 約90~120分
      術後、カルシウム安定すれば退院 平均1週間程度
術後合併症:
 ・一過性の声の変化 甲状腺背面を走る反回神経(声の神経)を薄利するため
  1~2週間程度の風邪声、大声、高音が出にくいことがある。
  神経への浸潤がある場合は合併切除が必要
 ・出血 平均100ml以下 輸血不要 血液製剤を使用する可能性あり
 ・甲状腺ホルモン、カルシウム剤の内服 
  副甲状腺は2腺以上温存すれば永久的補充は不要


CT結果:頚部、胸部
 臨床診断・・・甲状腺癌
 甲状腺右葉に長径25mmの腫瘤を認める。頭側で腺外への突出がある。
 両葉に数mmの低吸収域がある。脈管、気管への浸潤は明らかではない。
 右下内深頚リンパ節には有意ではないが、系統的に腫大したリンパ節があり、転移の可能性がある。
 その他の部位に有意な腫大リンパ節はみられない。
 胸水はない。撮影範囲内の腹部に異常は指摘できない。

【術前の頚部】  
グリグリは見た目全然わかりません。




術後診断  6/29 手術時の病理組織診断結果含む

☆手術記録より抜粋
手術時間:2時間3分
病  名:甲状腺癌 リンパ節転移 JT3、Ex2(頚静脈 Ⅴ)、N1b、M0
手術経過:
頚部6cm大の皮膚切開 正中部からアプローチ
まず対側左葉から処理 左上副甲状腺温存し、反回神経温存確認
右葉上極の腫瘍は周囲リンパ節と一塊 まず側方頚静脈Ⅴから剥離開始
右反回神経温存 腫大したリンパ節転移多数 副甲状腺との鑑別不能
右側方には、Ⅳ、Ⅴ、Ⅶにリンパ節転移多発 顎2腹筋上方、下顎部のリンパ節までⅧの郭清 一部頚静Ⅴに浸潤している部位は鋭的に切除 5-0プローリンにて縫合閉鎖
止血確認 J-バック留置 閉創


☆病理組織診断
甲状腺全摘 48×60×20mm
右葉上極に10×11×30mm そのほか峡部、左葉にも半米粒大の病変あり。

右葉上極に浸潤型の腫瘤がみられ、腫瘤内には石灰沈着を伴う線維性間質の形成がみられる。すりガラス状の核を有する異型細胞が乳頭状に増殖し、周囲筋層内に浸潤している。核内細胞質封入体や核縦溝のみられる異型細胞が散見される。峡部に腺内転移をきたしている。肉眼的に腺内転移が示唆された左葉中極の2mm大の結節は、小型の濾胞が増生する濾胞性腺腫の像で悪性像はみられない。

リンパ節に転移がみられる。
Ⅱ:2/2 LⅢ:0/8 RⅢ:0/11 Ⅴa:0/2 RⅣ:3/20
RⅦ:0/3  本体付着リンパ節2/2  計7/48 pN1b


【術後5病日 6/29の写真 携帯で】
鎖骨が見えません。創の上はしこりで段差ができています。


【術後14病日頃】
むくみも取れてきて鎖骨が見えてきました。でも顎がすごいことに。


退院

2010年07月02日 20時54分42秒 | 甲状腺癌
昨日の話では、今朝のカルシウム値によっては週末までいようってことになっていた。
朝一番で恒例の採血。
その結果が出るのは10時頃と聞いていた。

でも・・・荷物の整理をせっせと始めている自分
だめだったらまた出せばいいや~と思いながら
しかし、そうするには自信があったともいえる
痺れがなーいもん
左足が変な感じだったけど、いつものアレって感じだったから、カルシウム値が下がったことによるテタニーではないと確信していた

ってことで予定通り(私の予定です。先生は明日にしていたみたい)退院してきましたぁ
会計と、書類を扱う人との連携が悪くちょっとイラついた私ですが・・・

創をかばいつつ、迎えに来てくれた母ととっとと歩いた


こちらの病院に行くと、お決まりで買ってくるシウマイ弁当。今日も買ってきたぞ~
でも でも w(☆o◎)wガーン
嚥下に少し問題があるので、入院中の私はずっとおかゆさんにしていた。
でも食べられるくらいに思っていたが・・・
きつい
倍の時間をかけても半分
しかも、おかずとごはんを口に入れて噛み砕き、ゴックンすることができない つまり量が多いとつっかえちゃうってわけ
大丈夫だと思っていたのに、ショックだな~


片付けをしてから、しばらく横になってゆったりぃとした時間を過ごしました

しばらく自宅療養しまーす



入院以降の記事へのコメント返しができていませんでした。
今更ですが、日毎に簡単なお礼をお返しさせていただきました。
お一人お一人ではないことをお許しくださいね。
その分、いただいたパワーで元気になりますから





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足慣らし

2010年07月01日 21時03分52秒 | 甲状腺癌
午前中はおとなしくしてた

午後になりシャワーを浴びてテープ交換(お仕事終了!)

先生が『退屈でしょう~、外でも行ってくれば~』
と。
でもテレビ見てるし~ 暑いだろうし~

しかし夕方になり、ふらりと歩いてみたくなり、結局1時間ちょっと外出してきた。 実習帰りに寄ってくれた同僚が着いていてくれたから安心
病院から駅方面に歩き、買い物したりして
フワフワ、くらくらすることもあり、足にかなり力を入れていたためか、足がだるくなったわ

予定より少し遅れて戻るともと同僚が面会に来てくれて延々とおしゃべり

そのあとに病棟にいる卒業生が寄ってくれて~
昨日も違う子がおしゃべりしていったわ。仕事が終わり家に帰ってくるように

さてと
明日朝の血液データが落ち着いていれば退院出来そうでーす


@携帯