五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

初期の阿蘇道場訪問者

2009-01-21 05:52:20 | 五高の歴史
昭和15年2月18日(日)添野校長、多数の教授、総務部の学生道場を訪れる。
内牧駅より約5キロ、平坦な道を北へ進む、温泉街に入らんとする手前の駄原で左に折れ三久保橋を渡る。田圃の中や池の畔を通り、道場の碑が立っている処から外輪山を僅かに登った地点、ここに定期バスの停留所もある。
麓から沸く泉から水を汲み裏手の露天の下で湯を沸かし茶の用意をした。
この日は絶好の小春日和で南に広く開けた阿蘇谷の田圃を超えて阿蘇五岳の展望が美しい。
添野校長の一場の話をされ、雄大な阿蘇の乍ら道元の一句「永清徹地兮魚往似魚空・・・・・・・・・」を通じて心境一如の消息を承る。
春休みの余暇を利用して、飯島、浅井、池田、の三教授諸処の道場を見学。
夏休までの3ケ月は主として道場内部の設備、龍南会に於ける道場部の位置、・・・道場生活そのものを形づける配慮、道場の裏手、外輪山の中腹を旧道が通っている。これは往昔参勤交代の通路、その道の傍に茶屋が在ったところに水の湧いている所がある。入浴は不可、地中約2百メートルの樋を通して道場の水槽へ注ぐ、炊事場、屋外洗足場の設備、家番の依嘱、設備等整う。
総務2人がインターハイの応援に行った後、伊勢神宮に参拝、大大麻を奉祀
5月27日龍南会役員会開催、阿蘇道場別則決議、経費年額3円を3期に別けて徴収することを明文化、・・・職員4名、総務2人、会計主任・・道場準備委員会の発足、
総務部や有志の者が道場らしい生活を行うため其の清規を確立する必要性を語り
有志一同の道場行を企画する。
6月半ば添野校長、茶礼の後「大燈国師遺誠」一同のため講じる、爾後は焚火櫨を囲んで坐談。
道場部、夏休みを利用して学生3人を富士の不二道場に送り一週間の道場生活を体験させる。・・・・阿蘇道場の生活確立のために寄与するため、