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七月十一日より総務部主催で合宿が行われている。この年の夏休みを利用して三回の合宿研修が実施され、又冬休みを利用して道場部主催で合宿研修が行われている
その時の日誌が書かれているのでそれを参考にして道場ではどんなことを行っていたのかを知ることが出来る。
龍南会総務部主催夏休第一回合宿(昭和十五年七月十一日より七月十六日)
十一日、晴 初めて道場へ備え付けの夜具十人分を手荷物として立田口駅発、校長とも同行四人、六時内牧駅着徒歩にて七時道場着、夕食後静坐の仕方など校長より教示され十時就寝
十二日 曇 夕立 五時起床、道場最初の国旗掲揚心経読誦后暫時静坐、朝食、八-九添野校長の白隠和尚坐禅和賛講義九、一〇校長を中心に坐禅、十時過ぎ校長帰熊それより十二時迄国旗掲揚柱下の藪払い作業、中食、午后二-四静座その后三人連れで田圃の中のの温泉に行く。夕食、七時徳永総務来場参加七、三〇-九、三〇静坐、十時まで坐禅、直ちに就寝
十三日 曇 夕立 五、三〇起床国旗掲揚、六、一五-七、静坐、朝食后野村眼を腫らせし為薬を求むる為内牧町行(町まで約半里なり)岡村約一時間の自由時間を聞き誤って裏の兜岩へ登り正午頃雨に濡れて帰る、残り三人九、三〇-一〇,四五静坐、設備工事のため会計主任、内牧町の請負師など来場、午后野村は休息させ他は二-四昨日の藪払の継続作業、炊事場の排水溝作り、夕刻徳永眼科に行く野村と共に帰熊、七、三〇-八、三〇静坐、座談、九、三〇就寝、その夜は二人だけ也
十四日 風雨強し、 五時半起床、六、二〇-七、静坐朝食、八-九読書九-一〇,四〇静坐、その後十二時迄読書中食后-二,三〇半読書二,三〇-四,三〇静坐、その頃風雨烈しく諸処に雨漏り地下室のまど硝子など吹落さる夕食后七,三〇-八,三〇静坐、坐談、十時就寝
十五日 雨 六時起床、六、三〇-七、一〇静坐、朝食后読書、一〇、-一〇,三〇静坐、十時過ぎ泊まりがけにて添野校長来場一〇,三〇-一一,三〇飯島岡村の二人を相手に心経を講せらる。午后二,三〇-四,三〇静坐、その後、町営温泉にゆく、八-九、静坐、坐談十時就寝
十六日五時半起床、六-七静坐、朝食、九-二〇-一〇,五〇校長のお話と静坐、中食後雨の中を三人連れにて徒歩、駅に至り一、五六内牧発汽車にて帰熊
最初の合宿後、細かに書きましたが要するに全期中滞在せるものは小生と有志学生一人、校長は二回程泊まりがけで来られたがその外に二泊一名一泊一名に世話役の学生であり総計五名、掃除などもしたらうと思いますが箒ではく程度だったやうに覚えます。食事なども少人数のため道場番のヘヤで一緒にしていました。
第二回合宿 (八月十五日より二〇日)
全期滞在者六名、一泊四名、計十名
十四日午後六時内牧駅着、偶然絵具箱をさげた菅野教授と道伴れになり午後七時頃道場着学生は一人も居らず、後に学生が後れたのではなく自分の早過ぎた事を知る。
十五日五時半起床、菅野君と二人、国旗掲揚宮城遥拝后共に朝食、午前及午後三回に渡って独り静坐、夕刻五名の学生到着、食後一同へ坐り方指示、暫時静坐、坐談后就寝
十六日五,十五起床、六-七静坐、朝食後菅野君学生一名と共に帰熊、九-一一、静坐午後は作業の予定の処大雷雨にて果さず、道場全部をふき掃除す。後、雨のはれ間を学生一人と町の温泉に行く、夜四名の学生外出、独り一時間許り静坐。
十七日、五,三〇起床、六-七静坐朝食後八-一〇静坐十時過ぎ校長来場静坐午後一-二、信心銘の講義をして頂く二-四の作業後裏の山に上がる者あり、夕食後虹の橋東の空に二重にかかる。七-九静坐、就寝
十八日五,十五起床六-七静坐、朝食八-一〇信心銘の御講義、十時より校長の先達(後達?)として兜岩に登り十二時道場へ帰着、昼食後校長帰熊、午後二時より作業途中夕立のため中止。五-七静坐(夕食後は蚊多き為夕食前に行うこととす)夕食後町の温泉に行く、満月の夜也
十九日五,三〇起床、六-七静坐八-一〇読書、嘗て道場建築の基礎工事に働ける卒業生来場、一一-一二静坐午後一-四開墾作業、五-七静坐、夕食後自由時間。
二十日五、-十五起床、道場全部のふき掃除、六-七静坐朝食、八-一〇静坐の后合宿解散。登山する者あり直に帰熊する者あり
第三回合宿 (八月三十一日より九月三日)
全期滞在一名、二泊三名、一泊一名、日帰り一名計七名
この時は九月四日迄の予定でありましたが小生所用のため九月二日総務と自由参加学生と二人だけ残して帰熊して終ふ始末で少しはまりが足りませんでした。然し早朝起床後ふき掃除をなし国旗掲揚宮城遥拝朝食前三十分の静坐など大体形もきまりその後は作業登山、静坐など適宜取りまぜてやって居りました。
以上三回の合宿で夏休みも過ぎました。合宿といっても極めてささやかな集まりでありましたが
その間に道場らしい生活振りも一つ二つは見つけることが出来たと思います。尤も合宿修練の合間には一人二人という具合に読書、勉強にふさわしい涼しい道場の夏を自由に訪れて一、二泊した学生もありました。かくて秋二学期に入りまして九月二十二日には前記のように開場式、土曜から日曜にかけては一泊道場行、その様子は後で述べ度いと思いますが唯一つここに道場として申し上げねばならない事はは十一月にはいって従来の龍南会が所謂発展的解消の形をとって新たに龍南学徒報国団の誕生したことであります。それまでは道場も龍南会の道場部としてその生長発展を目指していたのですがその後は新たな報国団の一部とし一つの役割をつとめなければならぬ事になりました。続いて合宿の様子をも少し申し上げます。
道場部主催冬休前期合宿昭和十五年十二月二十五日から三十日
全期滞在者十七名三泊一人二泊三名一泊七名日帰り二名計三十二名
二十五日門前教授と共に学生二十二名を同伴午後三時半内牧駅着、それより徒歩、四時半道場着直ちに国旗掲揚宮城遥拝、神前参拝、ふき掃除、静坐、夕食、食後自己紹介、坐談、猶掃除係、食事係、作業係、庶務係など夫々役割を定めて10時就寝
二十六日六時起床、洗面、ふき掃除、神前供物並びに礼拝朝の挨拶、静坐、国旗掲揚、宮城遥拝、青少年学徒へ賜りたる勅語奉読、体操等朝の行事を済まして食事、八-一〇読書、十時頃校長卒業生と共に来場、十五分許り静坐の后をうけて道場合宿行事の各種に触れて一同へ親しく訓話、午後帰熊される一-三〇-三開墾作業三-五入浴其他、五-七ふき掃除国旗降納黙祷夕食等の夕の行事を終る。七-九座談会、三〇分の静坐后夜の挨拶をして十時就寝。
二十七日六時起床、朝の行事、八-十二、読書、午前中、降り始めし雨も漸くやみ午後一,三〇より作業、作業場より前面の五岳、後の外輪山に雪の積もれるを見る。みぞれ降り初めし為約一時間にて中止二,三〇-三,三〇静坐、三時よりの風呂行より十時の就寝まで凡て昨日と同様也。此の日午後河原端教授来場、門前教授と交代
二十八日、六時起床、朝の行事後ちらちら雪模様なりしも山登決行、午前九時一同出発、道場の裏、兜岩より道もわからぬ程の積雪の中を吹雪にさらされ乍ら外輪山を大観奉へ進む。やがて吹雪もやみ十二時半大観奉着。荒れ果てたれども猶屋根や圍の残れる茶屋の跡にて焚火を包んで持参の握飯を取る。誠に美味也。少憩の後下山、途中内牧町営温泉にて汗を洗い四時道場着。夕刻竹内教授は所要の為登山一行に加わらざりし河原端教授と交代に来場、浅井池田二教授は午前中来場一行の帰場せし頃も猶寒さの中に道場の土地測量をつづけたり。五時より夕べの行事、夕食には思いかけもなく二教授の心遣いによる豚汁を恵まれ一同満悦(道場の食事は大体朝夕とも味噌汁と漬物、昼は野菜の煮付け、突然食前に着いたとき、雨に降り込まれたる折など極めて稀に漬物丈のこともあります)七時より諸教授を囲んで座談会九時より静坐夜の挨拶十時就寝例の如し
二十九日六時起床、朝の行事八,一一〇,三〇迄読書正午迄静坐と竹内教授のお話、浅井池田両教授は朝より四名の学生に手伝わせて測量続行、爾後作業、風呂行、夕べの行事凡て例の通り、此の夕刻浅井池田竹内三教授帰熊交代に藤井教授来場夕食は珍しく炉の火を囲んで五日間の道場生活に就いて各自の感想を語り、藤井教授と共に感想談の結末をつける
三十日、昨日の疲れか、係の学生も起床の時刻も忘れしと覚ゆ、例になく私が合図の板木を打つ朝の行事をすまして朝食後解散の言葉を述べ直ちに解散
此の冬休前期の合宿は夏休合宿に続いて行われて居った二学期中の土曜一泊道場行の経験を経た後でありますので大体形も整い且つ新総務部の学生たちも多く加わっていたので意気込みも相当あったように思います。一つ二つその時学生の感想を雑誌「龍南」より転載して報告の不備を補い度いと思います。
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