山岳部の資料を調査眺める。熊本大学昭和三十四年の山岳部部員名簿を見る。大見美智人の名前がある。後には工学部の資源開発科の教授になられた。その他浅山洸の名前もあるこの方は小学校の時の同級生だったと思うが、医学部を卒業してお医者さんになられたと言うことは聴いたことがあった。
山岳部は部報、蘇友会を発行して色々報告を出していた。学生は昭和50年代頃から山岳部はきついということでだんだんと部員が減ってきて俺がサークルに関係していたときは新入会員は年に二~三人と言うことを聞いていたが・・・。
山岳部の資料を調査眺める。熊本大学昭和三十四年の山岳部部員名簿を見る。大見美智人の名前がある。後には工学部の資源開発科の教授になられた。その他浅山洸の名前もあるこの方は小学校の時の同級生だったと思うが、医学部を卒業してお医者さんになられたと言うことは聴いたことがあった。
山岳部は部報、蘇友会を発行して色々報告を出していた。学生は昭和50年代頃から山岳部はきついということでだんだんと部員が減ってきて俺がサークルに関係していたときは新入会員は年に二~三人と言うことを聞いていたが・・・。